参考文献 山谷牧師の「オウム真理教を総括する」と「ヨハネ黙示録の位置づけ」

 

                           救世軍山谷真少佐による
 

                  オウム真理教を総括する

 

オウム真理教の開祖に対する死刑判決が、最高裁判所によって確定された。この時にあたって、小生は、自分なりに、この事件の要因を論考し、総括してみたいと思う。

この悲劇的事件の要因を列挙すれば、次のようなことが、あるであろう。

1.タントラ仏教原理主義

 
末期仏教であるタントラは、インドからヒマラヤを越えチベットに移植されて開花したわけだが、チベット仏教のある宗派においては、修行者が悟りを得るのに、導師への無条件の絶対的服従を要求した。

 そこで絵画的に用いられたのは、導師が「だれそれを殺して来い」と言ったので、弟子はその通りに行い、「殺して来ました」と師に報告した、という寓話である。もちろん、チベットの仏教者は、この寓話を「入門するには、それぐらいの覚悟が必要」という心構えとして学ぶのである。

 しかし、オウム真理教においては、この寓話が字義的に解釈され、なんと、文字とおり実行されてしまったのだ。これすなわち、タントラ仏教原理主義である。なぜこんな原理主義になってしまったかと言えば、そもそも麻原という人が、導師に入門して、服従を学び、心得を学び、経文を学ぶ、ということを、していなかったからである。独学、独力で、あるいは、動物的直感にたよって、タントラ仏教を追求し、「ある境地」に達してしまった。

  しかし、導師について学ばなければ、修行者は容易に「魔道」に落ちてしまうことは、禅の世界では常識中の常識。かの禅カルトムービー「スターウォーズ」で物語られている通りである。

教訓「導師についたことのない者が、導師になってはいけません」

2.疑似科学的仏教

  
カウンターカルチャーの元祖アレン・ギンズバーグは、悟りを求めてインドに渡り、そこにて座禅したばかりでなく、ドラッグにも手を染めた。ギンズバーグの後を追ってインドに渡った北米の若者の多くも、右へ倣えをしたのである。

  かくして、カウンターカルチャーの根の部分に、ドラッグが持ち込まれた。その落とし子である「精神世界ブーム」においては、そも悟りとは、大脳皮質のレベルにおける、ある種の化学反応が引き起こす「変性意識」にほかならぬと、安易に結論してしまったのである。

 悟りを開いた(と称される)ヨーギ・マヘリシ・ヨーギが、弟子のいたずらでLSDを呑まされても、アチャ、とひとことつぶやいただけで、別段何も起きなかったという「伝説」が、まことしやかに伝えられ、「ほらね。意識が覚醒したブッダには、LSDは何ら作用しない。それは逆を言えば、凡人がLSDを呑めば、インスタントブッダになれるということだ」と曲解されてしまった。かくして、大脳生理学的仏教、あるいは、薬物生理学的仏教が、「科学的仏教」という看板のもとに誕生した。きちんとした導師につかずに、精神世界の本をひとりで読んで、不幸にも「変性意識」を経験してしまった麻原が、それを繰り返し体験するために、あるいはまた、自分の弟子たちに追体験させるために、熱湯だの電気だのクスリだのを用い、さらには、工場を建てて自力で覚醒剤からLSDまで生産供給しようとしたのは、疑似科学的仏教の、ひとつの末路であった。

教訓「宗教と科学は、きちんと住み分けしましょう」

3.終末論的集金システム

  
当初はヨガ教室の月謝で、ぼちぼち運営していたオウム真理教であったけれども、弟子たちに「出家」させることによって、多額の資金を獲得できることに、目をつけた。出家、すなわち、家督のすべてを捨てて、導師についていくことにほかならぬ。

  ところが本来、出家して家督を捨てることと、出家者が財産を教団に献金することとは、まったく別の話である。ここをオウム真理教は巧妙に創作して、出家イクオール全財産を教団に差し出すこと、と決めてしまった。この結果、教団に多額の資金が入って来ることとなった。そうして、そのお金を、思いつく限りの(衆院選出馬を含む)あらゆる新奇な事業につぎ込んで、使い果たしてしまった。

  そのときに「はた」と気づいた。全財産を教団にささげて出家した信者の、その全部を教団が使い果たしてしまった後には、教団が一から十まで面倒を見なければならない、無収入の出家者だけが残っている、という現実に、である。

  多くの出家者を抱え込んで養わなければならなくなった教団は、資金源として新たな出家者を獲得するために、短時間で最も効果が挙がる方法を編み出さなければならなかった。それが「終末論セミナー」である。

  この種のものとしては初めて行われた石垣島セミナーでは、「世界の終末が近い。文明は崩壊し滅亡する。財産を持っていても役に立たない。出家して教団のシェルターに入りなさい。それが唯一の生き残る道だ」と教え込まれた。諦観した若者は、仕事を辞め、預金を解約し、財産を手放し、家族と縁を切り、教団に入り、「末法の世に仏種を存続させる」という高邁な使命にコミットしたのである。その後も教団は、どんどんお金を使い、そのためには、どんどん出家者を獲得しなければならないから、教団の「終末論シフト」は、どんどん過激になって行き、教団の存在理由が終末論一色で塗り固められ、ついには、自分たちの手で、世界の終末を引き起こす計略(ハルマゲドン戦争)を実行するに至ってしまった。

教訓「最後の審判で問われるのは、家督をきちんと管理したかどうかだと、心得ましょう」

4.二元論世界観的自己防衛

 
出家者がどんどん増え、資金がだぶつきはじめ、当面の使い道が思いつかないような「逢魔が時」には、野心家なら、政治への進出を考えるであろう。出家者は導師への絶対服従を誓っている。「さあ、行って、ポスター五万枚貼って来い」と言えば、「はい」と行って、べたべた貼って来る。弟子たちは、それが悟りへの道と心得ているからだ。

  「日本のインド」と形容されることもある中央線沿線の中野・高円寺・阿佐ヶ谷あたりの住民の中には、自宅だのアパートの自室だのに、小さな祭壇を設け、シヴァやシャクティの御絵を掲げ、ガネーシャの小神像をまつり、甘ったるいインドのお香を焚き、朝に晩に般若心経を唱えるような人たちが、まとまった数、いるだろう。ゆえに、中野・杉並に重点を置いて選挙に出れば、当選間違いなしだ・・・

  こんな皮算用をはじきだした教団は、明らかに、中野・杉並の住人の「コモンセンス」(良識)を見落としていた。ガネーシャは「マイ・スペース」の存在なのに、それを国会の赤絨毯という「パブリック・スペース」に引きずり出そうとする教団のセンスを、中野・杉並の住人は、「気色わるっ」と感じたのである。当然の結果である衆院選惨敗に、しかし、教団は、自分たちのセンスが間違っていたとは、認めることが出来なかった。悪かったのは教団ではなくって、「彼ら」でなければならなかったのだ。

  では、「彼ら」とは、だれなのか? 必死にはじまった「彼ら」探しの途上で、手っ取り早く見つけてしまったのが、日本陰謀界御三家、太田龍、小石 泉、宇野正美らの「ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ陰謀論」であった。革マル派理論家からキリスト教を経て陰謀論者となった太田 龍、フリッツ・スプリングマイヤーの代弁者でチャーチオブゴッドの牧師である小石泉、ブラザレンの巡回教師から中東問題シンクタンクを経て陰謀論者となった宇野正美。これら三人の「キリスト者」が説く陰謀本に飛びついたオウム真理教は、「フリーメーソン・イルミナティが、地球上から仏教を根絶するため、陰謀を着々と進めている。その手先が、合衆国政府であり日本政府だ。この戦いに勝てなければ、地上から仏種は消え去り、衆生の救済は永遠に不可能となる」という、壮大な妄想に取り付かれて行くこととなる。

  中野・杉並の住人の良識に打ち負かされた教団は、ほんとうならガネーシャ帽をかぶって太鼓を叩きながら「中央線の呪い」をお祓いすべきはずだったのに、キリスト教仕込みの二元論的世界観というカプセルに固く閉じこもって、外部の敵、すなわち、ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティの「彼ら」を、サリン・ソマン・タブン・炭疽菌で消し去る道を選んでしまったのである。

教訓「ユダヤがわかると世界がわかる、と思い込むと、自分も他人もわからなくなる」

5.結論に代えて

さて、以上四つの教訓を総合して、その上で、「いま」という時代を逆照射してみよう。

「導師についたことのない者が、導師になってはいけません」
「宗教と科学は、きちんと住み分けしましょう」
「最後の審判で問われるのは、家督をきちんと管理したかどうかだと、心得ましょう」
「ユダヤがわかると世界がわかる、と思い込むと、自分も他人もわからなくなる」


あなたの、また、自分の属している、キリスト教なり仏教なり神道なり諸宗教なりの「教団」は、果たして上記の教訓にあてはめてみて、大丈夫であろうか? そうして、以上の四つの教訓に比べて、それに勝るとも劣らず重要なのが、中野・杉並の住人の「良識」を、ゆめゆめ軽く見てはならぬ、ということである。

山谷真牧師の『ヨハネの黙示録』の位置づけ
 

> (1)福音書、使徒行伝、パウロ書簡、公同書簡は、ローマ帝国に代表される「国家権力」に対して、おおむね好意的かつ楽観的である。それらの文書が執筆された年代においては、国家権力によるキリスト教徒迫害は開始されておらず、使徒たちにとって、ローマ帝国とは、治安を維持し、道路を建設し、海運を扶翼し、通商を盛んにし、人の移動を容易ならしめて、伝道に良好な環境を提供してくれる「世界管理者」(オイクメネー)にほかならなかったからである。それゆえ、パウロは、「おのれの良心のために統治者に服従せよ」と命じ、ペトロは「主キリストのために統治機構に服従せよ」と命じた。使徒たちは、国家権力を、キリストのしもべと見ていた。

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> (2)黙示録において、トーンは一転する。ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒迫害が開始され、小アジアのユダヤ系キリスト者共同体は、大きな痛手を蒙った。ここから、小アジアのキリスト者の国家観は「悪鬼的国家」と言うべきものとなった。悪鬼的国家(国家性悪説/バビロン)においては、国家権力は、法の「かせ」をふりはらい、国家そのものを至高絶対の神として礼拝し奉仕するよう国民に要求し、逆らう者には過酷な罰を下す。キリスト者は、悪鬼的国家の圧倒的暴力の前になすすべがなく、残された道は殉教のみである。しかし、悪鬼的国家の横暴が極致に達した時、主キリストが再臨し、国家権力を滅ぼし、千年王国を樹立したまい、新天新地が到来する。かくして、小アジアのキリスト者は「終末待望」「再臨待望」に生きることとなる。

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> (3)ローマ皇帝コンスタンティヌスが十字架の旗をかかげて戦い、敵を破り、洗礼を受け、キリスト教を帝国の国教と定めたとき、「ヨハネの黙示録」が提示する世界観は、現実に合致しなくなった。それゆえ、教会史家エウセビオスは、歴史の修正を行い、小アジアのユダヤ系キリスト者の終末論的信仰を「迷妄」として退け、ヨハネの黙示録を「字義通りに解釈すべきでない隠喩の書」と位置づけ、小アジアの教会指導者パピアスを、ぼろくそにこきおろし、返す筆で、ローマ皇帝を「地上におけるキリストの代理人」「神の子」と誉め称え、ローマ帝国を「主キリストの統治したもう千年王国」と見るに至った。この「神の子たる皇帝の世界観」は、東ローマ帝国に継承され、オスマントルコに打倒されるまで、命脈を保った。

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> (4)一方、蛮族襲来によって西ローマ帝国は滅亡。皇帝を「キリストの代理人」「神の子」とし、ローマ帝国を「千年王国」と見た、エウセビオス流の歴史観は、帝国と共に瓦解した。残った瓦礫に外科手術を施して救ったのが、ヒッポ司教アウグスティヌスである。アウグスティヌスは、国家権力の歴史を「地上の国」と「神の国」に切り分け、世界史とは「地上の国」から「神の国」への長大な移行期間にほかならぬ、と捉え、教会を「地上の国」から「神の国」へ旅する巡礼者として、位置づけた。こうして、聖界と俗界が緊密に統治を分かち合う、中世的世界観への扉が開かれた。

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> (5)中世的世界観の終焉である宗教改革期には、「地上の国」か「神の国」かをめぐる二項対立図式の世界観論争が激しく燃え上がった。「地上の国」を滅ぼして、「神の国」を樹立すべしと説いた、ミュンスター千年王国再洗礼派は、暴力で統治者を打倒し、法を廃棄し、統治機構を解体し、「解放区」を設置した。しかし、この左翼的実験は、大失敗に終わった。再洗礼派の狂気に震え上がった宗教改革者たちは、再洗礼派の革命思想を激しく弾圧すると共に、「地上の国」と「神の国」の間に明確な境界線を引き、両者の住み分け、すなわち、「政教分離」を唱えて、事態の収拾にあたった。

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> (6)20世紀に入り、「神の国」(宗教思想)を廃絶して、楽園としての「地上の国」(共産主義国家)を建設せんと目指したマルクス主義の台頭に伴い、キリスト教徒は防衛体制に入った。左派キリスト者は、キリスト教を社会民主主義的に再解釈することで、マルクス体制/ケインズ体制下での生き残りに賭け、右派キリスト者は、キリスト教を原理主義化することで、マルクス体制/ケインズ体制への抵抗を試みた。原理主義的キリスト者の中から、全体主義国家、共産主義国家、軍産複合国家を批判的に捉えるために、黙示録の「悪鬼的国家」の概念が再発見され、国家の専制と横暴を、終末論的文脈に位置づけ、キリストの再臨をひたすら待望する信仰姿勢が強調されて行った。「悪鬼的国家」の概念は、全体主義国家、共産主義国家、軍産複合国家を厳しく批判する道具としての「陰謀説」を醸成し、極右の原理主義的キリスト者の終末信仰を陰謀説と不可分一体に結びつけることとなった。かくして、黙示録を素材にした、ユダヤ人陰謀説、フリーメーソン陰謀説、イルミナティ陰謀説、カトリック陰謀説、共産主義陰謀説、スカルアンドボーンズ陰謀説が、絶えず再生産され、現在に至っている。

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