廣松渉とは何か

                    やすいゆたか 聞き手佐々木肇

           第1回講演用テキスト

    論文「初期マルクス像の批判的再構成」

佐々木:やすいさん京都の勤労者学園であるラボール学園で、今年度は三回にわたり、「廣松渉」を講義されるそうですね。

やすい:ええ、私が日本思想を担当することになっていまして、西周、西田幾多郎、梅原猛に次いで、今年は廣松渉を取り上げることになりました。

佐々木:廣松渉に関しましては、やすいさんは若い頃にかなり突っ込んで批判されていたようでしたね。

やすい:はい、でも最初はすごく惹かれたのです。彼が論壇で広く注目を浴びたのが『思想』196710月号の「初期マルクス像の批判的再構成」という論文でした。私が立命館大学で、学部3回生の時です。至誠堂から翌年出版された『マルクス主義の成立過程』に納められています。これがなかなかすごい論文でしてね、『経済学・哲学手稿』から『フォイエルバッハ・テーゼ』を経て『ドイチェ・イデオロギー』に至る過程でのモーゼス・ヘスの圧倒的な思想的影響を指摘したものでした。

佐々木:疎外論から物象化論への変化の過程が説かれていたのですか。

やすい:廣松自身は、すでにその四年程前に「マルクス主義と自己疎外論」を『理想』に発表していました。そこでは物象化論は論じられていませんが、自己疎外論の超克が主題的に論じられていました。私はそれは読んでいませんでした。この論文はそのことには関説していなかったのです。フォイエルバッハの類的本質から捉えた人間理解に対して、モーゼス・へスは諸個人の協働関係から人間の本質を捉えていて、それがマルクスに影響したことを展開していたのです。念のためにヘスの言葉を引用します。

「フォイエルバッハは神のヴェーゼン(普通「本質」と訳す)は人間の……ヴェーゼンであり、神的ヴェーゼンに関する真の理説は人間的ヴェーゼンに関する理説だという。これは正しい、しかし……人間のヴェーゼンは社会的ヴェーゼンであり、諸個人の協働である。……」このヘスの言葉がマルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』の「第六テーゼ」の元になっているというのです。

佐々木:「フォイエルバッハは宗教的ヴェーゼンを人間的ヴェーゼンに解消する。しかし人間的ヴェーゼンは個々の個人に内在する抽象的存在ではない。その現実性においては、社会的諸関係の総体(アンサンブル)である。」ですね。

やすい:それに理論的、解釈的な態度に対する、実践的な態度の強調もヘスのフォイエルバッハ批判の影響だというのです。つまり現実の社会的、経済的な人間の諸活動を踏まえて、それらの実践的な関係として人間を捉え、その変革を図っていくという立場です。マルクスやエンゲルスをヘーゲル左派の中で相対化して、生々しく思想形成の実相に迫っていく迫力に圧倒されたのです。

佐々木:やすいさん、あなたの研究者としての興味で語られても読者やラボール学園の受講者にはつうじませんよ。

やすい:これは失礼、つい懐かしさに三十年前に戻っていました。

自己疎外論の流行とマルクス研究

佐々木:のっけから、なんだか、オタッキーな議論になってしまいましたね。当時1960年代末、廣松渉は、自己疎外論が脚光を浴びている時代にあって、自己疎外論を若きマルクスは超克して科学的社会主義が成立したという立場ですから、かなり異端的でマイナーな見解だったのですか。

やすい:いや、若きマルクスの自己疎外論は、ヘーゲル的な思弁が残っているもので、『フォイエルバッハ・テーゼ』や『ドイチェ・イデオロギー』で唯物史観が成立することによって、払拭された未熟な思想であるというのが、ソ連共産党など正統的なマルクス主義の保守派の見解でした。これに対して西欧マルクス主義の影響を受けた人々の間で疎外論が活発でした。新左翼ではスターリン的な官僚主義に対する批判から、主体性を強調する疎外論が活発だったのです。その新左翼の中で廣松が疎外論批判の論陣を張っているのが、かえって新鮮でした。

佐々木:日本共産党の理論家でも、やはり分裂していたのですか、自己疎外論を強調する人と、警戒する人に。

やすい:党内外を問わず、戦前からのマルクス研究家では警戒していた人が多数派だった気がしますね。戦前からの疎外論者で一貫している私の恩師の梯明秀先生などは特別ですよ。でも時代が疎外論に有利に作用していきましたね。1960年代の高度経済成長は、公害問題などの資本主義のひずみを拡大しましたので、人間が生み出した富が人間に敵対して、人間を圧迫し、支配するという自己疎外論の捉え方が、とてもぴったりきたのです。それに西欧マルクス主義、ルフェーブルなどですね。アメリカに渡ったフランクフルト学派特にフロムなどは評判でしたし、パッペンハイムの『近代人の疎外』という名著もありました。それにサルトルなどのマル存主義も疎外という用語を重視していたと思います。それで疎外論が流行したわけです。ただ、マルクス主義者の中では、それを後に克服される「若きマルクス」の思想として限定して再評価すべきか、生涯にわたってマルクスが抱き続けていた思想として全面的に評価すべきかで議論がわかれていたようでした。

佐々木:フランスでも廣松渉と疎外論超克論では同様の議論をしていたのが、構造主義的マルクス主義者のアルチュセールでしたね。

やすい:ほぼ同時期だったと思います。彼は、マルクス主義は「矛盾の重層的決定」を重視する科学だという立場なんです。そして自己疎外論はヘーゲル主義の残滓であり、イデオロギーにすぎないというのです。それは『フォイエルバッハ・テーゼ』を切断点にして、自己疎外論は清算されているという議論でした。でも後期マルクスでも「疎外Entfremdung」という概念は使用されているじゃないかという批判がなされたのです。それでアルチュセールは『資本論』を彼の考える科学の典型としていたのに、疎外論の展開がみられるので悪しきヘーゲル主義に汚染されていると見なすようになり、レーニンの『帝国主義論』や毛沢東『矛盾論』などを持ち上げるようになりました。

佐々木:その点、廣松渉はどのように、後期マルクスにおける「疎外」概念の使用問題を扱っているのですか。

やすい:要するに理論の要の概念になっているかどうかですね。廣松はいわゆる「物象化論」や「物神性論」を後期マルクスの立場として強調していますから、人間の社会関係が物と物の関係に置き換えられることにより生じてくる問題を「疎外」という言葉で形容しても、それは物象化論の展開であって、自己疎外論の展開ではないとみなすのです。しかし全ての用例を調べますと、後期マルクスの「疎外」も自己疎外論として展開されていることが分かります。それで私は、廣松の自己疎外論批判に関する支持を撤回したのです。

佐々木:それじゃあ、やすいさんの廣松批判は当初は、いわゆる廣松物象化論・共同主観性論批判であって、自己疎外論脱却論は支持されていたのですね。

やすい:ええ『ドイチェ・イデオロギー』や『共産党宣言』まではエンゲルスが主導的で、ヘーゲル左派の自己疎外論からの脱却をリードしていったというのが、廣松の論議です。なかなか説得力がありましたからね。1980年ぐらいまでは自己疎外論からの脱却説は支持していました。

「自己疎外」とは何か

 佐々木:ところで「自己疎外論」それ自体を知らない読者も多いと思いますから、まず「自己疎外」とは何かから説明していただきましょうか。

やすい:廣松の功績もありますが、自己疎外論は1970年代には衰退に向かうのです。1968年のパリ「五月革命」がその転機だったかもしれません。先進諸国で一斉に学園紛争が起りましたが、彼らは資本主義体制の下での大学は、労働力商品の再生産工場になっており、結局資本主義世界体制という体制を再生産するだけだから、大学を解体すべきだと叫んだのです。

佐々木:しかし資本主義世界体制は、急に別のものに変えられるわけはないし、いつまでもバリケード封鎖を続けていると、労働力商品の再生産ができなくなって、だれも就職できなくなってしまいますね。それではかえって困るので結局は、授業を再開し、また元通りにならざるを得なかったということでしょう。つまり「自己疎外」状態を克服しようとしても、かえってその不可能を思い知らされるだけだったのですね。

やすい:「自己疎外」とは何かですが、1844年のマルクスの『経済学・哲学手稿』で「四つの疎外」として展開されています。これは哲学史的にはヘーゲルの「自己疎外論」を批判的に継承していますし、フォイエルバッハによるヘーゲル批判も引き継いでいます。

ヘーゲル哲学では自然というのは意識が、自己という意識主体から離れて、感覚諸要素となり、それが統合されて事物として捉えられたものなのです。つまり意識が意識でない意識の疎外態である事物となったと考えます。

佐々木:事物などの存在と意識が同一であるというドイツ観念論の「同一哲学」の立場にたっているわけですね。

やすい:ええ、ヘーゲルでは、事物は意識ではないもののように現れますが、実は、事物を認識するということは、対象を意識で述語づけることなのです。つまり対象が様々な意識の統合であったことが分かって、意識の他者であることを止めたとき、事物は意識に還元されていますから、意識の自己疎外は克服され、自己の下に還帰しているわけです。これがヘーゲルの自己疎外論です。

佐々木:それに対してフォイエルバッハはどのように批判したのですか。

やすい:自然や身体の立場を対置するわけです。ヘーゲルだと自然や身体は意識が自己を自己ではない姿にして、つまり自己の外に対象化して捉えたものだということで、意識の自己疎外だったわけですが、では意識というものはどうして生じるのか、それは自然や身体の活動ではないのか、ヘーゲルでは神である絶対精神の自己展開として自然や歴史、国家が捉えられます。そして全ては絶対精神に還帰するわけです。しかしこの絶対精神なるものは一体どこから生じたのか、自然や身体を基礎にして展開される人類の営みの疎外された姿ではないのかというわけです。神は人間の様々な能力を全て集めたもので、神として外化されて崇拝されているものは、実は人間の類的本質なのだということです。それでフォイエルバッハは神を人間の類的本質として、疎外されていない形で人間に取り戻そうとしたのです。

佐々木:マルクスの「四つの疎外」というのは、それを労働の疎外として具体的に経済活動に適用したものですね。

やすい:『経済学・哲学手稿』の「疎外された労働」という題のつけられている断片で出てきます。「@生産物からの疎外 A労働からの疎外 B類的本質からの疎外 C人間からの疎外」です。
〔1〕生産物からの疎外−人間は自分たちが生み出した生産物が,自分たちのものにならないで,自分たちから独立し,自分たちに敵対して自分たちを苦しめる「生産物からの疎外」に陥っています。この生産物には広い意味では文明もふくまれます。人間が生み出した文明は人間から自立し、一人歩きして、人間の手におえないものになり、人間に対立して人間を苦しめています。
〔2〕労働からの疎外−「生産物からの疎外」が起こるのは,労働が自由な活動ではなく,強制された苦役として無理やりやらされる「労働からの疎外」に陥っているからです。
〔3〕類的本質からの疎外−「労働からの疎外」が起こるのは,「類的本質からの疎外」によるのです。つまり人間という類は労働することを本質的な特長にしています。労働によって自己の能力を発揮し,自己実現できるのです。労働によってさらに人間生活を豊かにし,自然をそれに相応しく作り変えて人間環境として素晴らしいものにするのです。ところがこの活動が,実際には苦役であり,衣食住などの消費生活の手段としてしか捉えることができません。本来は目的である筈の自己実現活動が自己喪失活動としてなされており,実際の目的である生活手段を獲得する為の手段でしかないのです。これが「類的本質からの疎外」という意味なのです。これは〔1〕〔2〕の帰結であると同時にその原因でもあるのです。
〔4〕人間(他人)からの疎外―もし人間同士が互いを共同で働き,共同で消費する身内と見なすことができていたら,「類的本質からの疎外」も起こらなかったでしょう。自分が作った物が人々の欲求を充足することに自己実現を感じ,生きがいを感じられる筈です。しかし現実は,労働を通して各人が作るものは分業社会では,見ず知らずの他人の消費するものです。自分も他人の作った物を手に入れるために,自分が作った物を提供しています。ところが両者は互いにできるだけ少ない労働で,他人のできるだけ多くの労働の成果を支配しようとしていますから,相互支配であり,対立的な関係にあるのです。労働自体が他人を支配する為に他人に支配される関係になってしまい,類的な共同として実感できないのです。この相互支配,敵対的な人間関係が「人間からの疎外」です。この原因は生産物を排他的に所有し合う私有財産制度にあるのです。私有財産を無くして共同的な人間関係を築き上げることができれば,互いは同じ共同的な全体の身内として意識され,四つの疎外も克服できるというのです。

        自己疎外論とマルクス主義の成立

佐々木:それでは自己疎外は私有財産制度を克服することによって、克服できるというのなら、自己疎外論によって共産主義理論が打ち出せるわけですね。それをどうしてマルクスやエンゲルスは棄ててしまったっていうのですか。

やすい:廣松も自己疎外論のマルクス主義成立に果した決定的な役割を認めているのです。

レーニンは、マルクス主義の三つの源泉を「イギリス古典経済学、フランス社会主義、ドイツ観念論哲学」と言いましたが、これが「自己疎外」をキーワードにして結びつくらしいのです。スミスやリカード経済学は私有財産を労働の産物として捉えて、労働量から価値量を規定したわけですが、これをヘーゲル自己意識の自己疎外論理を使って、主体の自己疎外として捉えますと、資本主義的富の蓄積を労働者の労働の自己疎外として捉えられるわけです。

佐々木:労働者たちは本来、類的本質の自己実現である筈の労働の自己疎外が、結果として資本主義的富を蓄積して、労働者に巨大な敵対的な力としてのしかかってくるわけで、それを生産関係を共産主義的に変革することによって、労働の自己疎外を克服しなければならなくなるわけですね。なるほど、自己疎外論が三つの源泉を結合しています。すると自己疎外論を払拭してしまうと、マルクス主義も成立しなくなりませんか。

やすい:ところが自己疎外論でいきますと、自己を疎外する主体はヘーゲルの場合、精神とか自己意識ということになります。自己を疎外することで、疎外された事物化された自己を自己にあらざるものとして否定し、それを意識に取り戻すわけです。もっと大きく捉えますと、自然は精神の疎外態であり。現実は理念の疎外態であったということになります。

佐々木:そういう観念論的な自己疎外論に代えて、主体を自然や身体におく唯物論的な自己疎外論を、神は人間の類的本質の自己疎外だという形でフォイエルバッハが展開しましたね。それをマルクスが高く評価し、『経済学・哲学手稿』で、主体を労働者に置き換えて、私有財産を疎外された労働の疎外態とらえたわけでしょう。唯物論的に転倒しているじゃないですか。

やすい:主体概念が、ヘーゲルの精神に対して、ブルーノー・バウアーは自己意識を、フォイエルバッハやグリーンは類的本質を持ち出したわけです。マルクスもそれに習っていたわけです。しかしそれらは元来は疎外さていなかった主体があって、それが疎外に陥って本来の自己を疎外態である私有財産や文明のなかで喪失しているという捉え方になっています。そういう本来的な主体というものがかってあったという仮定に立っていますが、そういう仮定には根拠がないということです。そういう「類的本質」「理想的な人間」「本来的な人間」「平均的な人間」「人間なるもの」もヘーゲルの「精神」や「自己意識」同様の抽象的な本質ではないかというわけです。

佐々木:どうも納得がいきませんね。近代は大航海時代以来の貿易や商業の発展で市民社会が形成され、等質的な人間という観念が発達しました。これが17世紀以降の自然法的な人権意識を醸成します。そして自由・平等・博愛の旗印の下に市民革命を齎したのです。それに産業革命以降は労働の等質化が進行し、その面でも平均的・抽象的な人間という観念も現実化しているのです。これが労働するという類的本質をヘーゲル左派に自覚させたわけでしょう。そしてそれが私的所有制度や資本主義体制の下で、自己の労働生産物がそれを生み出した労働者たちに疎遠な存在として敵対しているというのも事実でしょう。

やすい:そのことでは廣松の文章を直接引用しておきましょう。

「たしかに、現代社会においては、マルクスのいう『日々行われている現実的抽象』によって、人々は均質化され、規格化され、『人間』になりつつある。奴隷制社会においては、奴隷主は奴隷を自分と同じ『人間』だとは感じなかったであろうし、奴隷の側でも自分を主人と同じ『人間』だとは思わなかったであろう。貴族と農奴との間においても同断である。『王権と貴族とブルジョアジーとが支配権を争う結果、支配権が分裂しているような一時代に至り、三権分立の学説が現われ、これがやがて"永遠の法則〃だと宣言される---』のと同様、『人間』の思想はブルジョア社会における均質化、規格化の表現である。しかし、アメリカや南ア連邦における黒人問題を引合いに出すまでもなく、そもそも階級が存在する限り、『人間』なるものは『神聖家族』にいう『果物なるもの』と同様、悟性的抽象たるにすぎない。その上、それは「平等」でありたいという願望の物神化である。それは現に在る人々の本質なのではなく、理想として表象された構想物にすぎない。しかも、それは、被支配者における不平等に対する不満、平等の欲求が物神化され「本然的な姿」だと思念された顛倒なのである。括弧つきの『人間』は自己の現実の顛倒された表象として、まさしく「神」なのである。プロレタリアは彼が賃労働者たる限り、賃金奴隷であるのが『本然の姿』なのである。彼はかかる自己の本質、自己の存在を自覚しこの自覚を契機として、自己の本質を革命的に否定するのであって、本然の姿に帰るのではない。『本然の姿を回復する』というような発想、『本質を実現する』というような発想、『平等の要求』という類のことは『反デューリング論』で揶揄されている通り、階級意識のプリミティヴな表現にすぎない。マルクス主義はこのような即目的な階級意識を理論的にも止揚しているのである。』(7374頁)

当時のマルクス主義成立期の階級的な捉え方は、「人間」という抽象では収まらなかったのです。「イギリスにおける労働者階級の状態」を目の当たりにして分析しているエンゲルスにとっては、人間なるものを自然科学の対象にして論じている場面ではないでしょう。歴史的現実、社会矛盾、階級闘争の中で、生産や消費をしている具体的な人間を問題にしているわけです。そうしますと、人間なるものも、そういう抽象的な本質として個人に内在しているのではないんだ、現実的な諸個人は社会的諸関係のアンサンブル(総和)なんだというわけです。

佐々木:つまり資本家や賃金労働者という立場を離れた、抽象的人間の立場で論じても、建前論、理想論になって現実的な矛盾の解決のための実践的な答えは出てこないということでしょうね。

     第一バイオリンを弾いたのはエンゲルス

やすい:廣松の議論で新鮮だったのが、科学的社会主義の成立に果したエンゲルスの主導的な役割です。晩年のエンゲルスの謙遜な言葉でマルクスのイニシアチブが強調されすぎていたきらいがあったのですが、廣松は丹念に若きマルクスとエンゲルスの著作を読みこなして、第一バイオリンを弾いたのはエンゲルスであったことを証明したのです。エンゲルスは1843年には既に共産主義の立場を表明していますが、マルクスは1844年までは共産主義に懐疑的でした。マルクスが『経済学・哲学手稿』の諸論稿を執筆していたころ、エンゲルスは『カーライル論』を『独仏年誌』に発表していました。マルクスはヘーゲルが思惟の内部でしか疎外を考えていないことを惜しみますが、エンゲルスは、「疎外の論理」そのものを斥けるのです。

々木:それはフォイエルバッハ的な「類的存在」を主体とする立場に対して、観念的な主体だと批判したのですか。

やすい:マックス・シュティルナーの『唯一者とその所有』という問題作が出ました。絶対的自己関心のエゴイスティックな個人の立場から社会を捉え返そうとしたものです。これに刺激を受けて、「類的存在」としての人間が主体として存在するというのではなく、具体的・経験的な現実的諸個人から、社会を展開しようとしたのです。理念が自己実現するヘーゲル的な「思弁」を排していたのです。

「シュティルナーは、フォイェルバッハの『人間』……をしりぞける点で正しい。…『人間』はたしかに未だ神学的な抽象の後光を背負っている。……われわれは我から、経験的な身体をそなえた個人から出発しなけれぱならない。……手短かに云えば、われわれは経験論・唯物論から出立しなければならない。われわれは普遍を個別から導出しなければならないのであって、それ自体から、へーゲル式にルフトから導出してはならない。」「ヘスも理論上の事柄について語る段になると、きまってカテゴリーへ先導してしまうのであって……まだ観念論的な誤魔化しをやっている。」(エンゲルスのパリのマルクスあて第二信)

佐々木:ちょうどその時期にマルクスとエンゲルスは『神聖家族』という共著でヘーゲル左派と対決していますね。

やすい:ええ、それはマルクスが仕上げました。バウアーの自己意識に対してフォイエルバッハの「類的存在」が対置されているだけでしたね。そしていよいよ1885年四月から、ブリュッセルで『ドイチェ・イデオロギー』の共同執筆が始まります。両者の書き込みを比較してみますと、廣松いわく「マルクスの方がいかに甚だしく立ち遅れていたか、また唯物史観は主として専らエンゲルスの創見によるものであって、マルクスはむしろエンゲルスに学んだのだということ。これが判る。」(98頁)なのです。特に「共産主義」についてはエンゲルスはプロレタリア階級による国家権力の掌握などのプロセスや、固定化された分業のない社会として共産主義、必然の王国に対する自由の王国としての共産主義を展開していますが。マルクスは分業のない社会という構想に対して、「批判的批判家になる」「食後に批判をする」と冗談めかしているのですね。そして共産主義を次のように規定しています。

 「共産主義は我々にとっては、打ちたてられるべき或る状態(社会体制)ではなく、現実がそれに則って自らを律すべき理想ではない。われわれが共産主義と称するのは、現在の状態を廃絶する現実的な運動である。」

佐々木:その言葉、大好きなんです。20世紀に社会主義世界体制は崩壊し、国際共産主義運動は見事に瓦解したのですが、協同主義としてのコミュニズムは21世紀の運動として受継がれると思います。経済のグローバル化に伴う様々な国際協力体制づくりも、地域的な互助的経済活動、その他集団安全保障体制やグローバル国家による大量破壊兵器の集中管理体制の構築、宇宙船地球号の自覚に基づく、生命の共生と循環の惑星づくりもコミュニズムなわけです。これはマルクスの規定にぴったりです。

やすい:そういう発想をコミュニタリズムというそうです。おおいに現代的意義がありますが、私有財産の止揚の問題、企業や協同体の運営を職場や地域や自治体、国民国家、世界政府などでどのように民主的に行うことができるのかが、問題です。それらを不問にして、共産主義や社会主義の継承を語ろうとするのは、懐古的なロマンチズムです。

当時の共産主義運動の発展という見地からみますと、エンゲルスがぐいぐい主導していると言えます。

佐々木:『ドイチェ・イデオロギー』では、唯物史観が確立したといわれていますね。その面でもエンゲルスが主導だったのですか。それにマルクスが悪筆だったので、口述したのをエンゲルスが筆記をしたと習ったような気がしますが。

やすい:エンゲルスが書いた原テキストに「唯物史観の公式」あたるものがあるのです。

「ここでは行論を辿る余裕を欠くが、次の事実を指摘することによって、彼の到達した思想水準とその内容とを端的に示唆することができよう。それは、後年のマルクスがいわゆる〈唯物史観の公式〉として定式化した諸論点が、いずれもほぼ完全な形でエンゲルスのウア(原)テクストのうちに現われているという事実である。即ち、
(a)「現実にあるがままの個人」つまり、生活手段を「物質的に生産しているところの、従って一定の物質的な、彼らの恣意から独立な諸前提と諸条件のもとで活動している個人」(手稿11頁、異稿五)から出発し、

(b)この条件の総体、つまり「従来のあらゆる歴史段階に存在せる、生産力によって制約されるも逆にそれを制約する交通形態」(手稿19)「生産関係」(手稿59)をへーゲルの語義で「市民社会」と呼び(手稿24頁、68)、これこそが「国家およびその他の観念的上部構造の土台をなす」(手稿 68)こと、

(c)このものは「相連関する一系列をなし」て歴史的に発展すること、それは「桎梏となった旧来の交通形態がより発展した生産力…に照応する一つの新しい交通形態」(手稿61)によって次々に取って代られるという仕方で継起すること、

()それは「生産カと交通形態との矛盾」(手稿22頁、52)に由因するものであって、この矛盾は「その都度一つの革命となって爆発せずにはおかない」(102)

佐々木:でもこれだってマルクスの口述をエンゲルスが筆記したものだとしたら、そういう可能性はないのですか。

やすい:元々、エンゲルスの方が共産主義の理論も、ヘーゲル左派からの脱却も先行していたわけですから、エンゲルス主導で原テキストを書き、それにマルクスが補筆したと考えた方が自然だという解釈です。

           何故疎外論を脱却したのか

佐々木:何故自己疎外論を脱却しなければならなかったのか、脱却したらどういうメリットがあり、どういう世界が開けてくるのか、よくわからないのですが。

やすい:ヘーゲルが絶対精神の自己展開として歴史を展開し、プロイセンの啓蒙専制国家を『歴史哲学』や『法の哲学』を合理化したのをご存知でしょう。それに対抗するには理念の自己展開として人間は生の現実の人間ではない、生の現実の人間を捉えるべきだというのがヘーゲル左派の運動です。

佐々木:それでバウワ―は自己意識を原理に据えた、フォイエルバッハは類的本質を人間の本質として主張したわけですね。現実の生の人間を捉えているつもりだった。だって自己意識は市民社会の発達に伴う、諸個人の意識の対立や分裂が反映していますし、類的本質は人間社会の分業や人間と自然の関係に踏み込んでいますからね。それでもまだまだ抽象的な議論ですね。

やすい:自己疎外は、ヘーゲルの論理を現実の社会の労働関係に適用して、人間の生の現実に迫っているわけですが、それはやはり疎外されない本来の人間を前提して、人間の理念としての類的本質の疎外と回復という、理念の自己展開になっているわけです。そこでそういう理念の自己展開でなく、現実の諸個人の関係として社会を捉え、そこから説明すべきではないかと考えたのです。

佐々木:ところがそういう構えをとってしまいますと、折角の歴史の発展の中で育んできた人間の分業や協業、労働による自己実現、自然の開発などの類的本質が、理念に過ぎないとして棄てられてしまい、人間について倫理的に考えることができなくなってしまいませんか。

やすい:そこが肝心なところですが、かれは現実に存在するものを理念の自己実現として捉える観念論や、存在するものは個物や物質(マテリー)でしかないと捉える素朴な唯物論に対して両者を乗り越える論理を提示しようとしているわけです。

佐々木:また急に難解な哲学論議にはまり込むのを避けるために、疎外論の問題点を整理しておきましょう。自己疎外には自己疎外の主体が仮定されるけれど、疎外される前の疎外されざる本来的な主体が置かれるからだめだというのはどういう意味ですか。

やすい:もし疎外されざる本来的なあるものを想定しますと、それは完全な理念そのものになってしまい、生身の人間ではなくなってしまうという考えがあるのかもしれません。そのような理念どおりの人間なら何の問題も起らないので、かえって現実的ではなくなってしまいます。観念の世界ですね。逆に個々の生身の身体から出発するとしますと、自然的な関係しか説けなくなってしまいます。

佐々木:現実の人間が、言葉によってコミュニケーションを交わし、概念で構成したものを自然界に作り出して、自然を獲得する類的存在であり、工作人であるという本質をもっていて、その能力を実現する存在だと規定するのは間違っていると廣松は主張しているのですか。

やすい:イエスそしてノーですね。予めそういう本質があって、そのような類的能力のある諸個人が集まって社会を構成しているように捉えてはいけないという意味では、イエスです。

佐々木:つまり元々、独立した諸個人がいて、彼らが人間としての類的能力をもっていて、社会が形成されたのではなく、そのような言葉を交わすとか、労働を行う類的能力というものは、社会的な諸関係の中で育まれたものであるということでしょう。

やすい:社会契約論だと、独立した諸個人が自然状態では人間としての固有の権利や能力が守れなくなったので、社会契約によって社会の力で諸個人の権利を守ろうとしたのです。ですから、社会以前に類的本質が存在したという理解になっています。それに対してマルクスは言語や意識や労働自体が、社会的な生産の諸関係の中から生み出されたものだというわけです。

佐々木:確かに言葉というのは他人とのコミュニケーションの中で生まれるものです。その言葉によって構成されている概念を使った人間的な意識も、社会的に生み出されていることは否定できません。しかし言葉を使っている主体として個人的な人格があり、自分の意志によって生産や様々な経済的文化的な活動を行っているわけで、そういう主体が、自らの権利や能力を維持するために社会や国家を形成しているのも確かでしょう。

やすい:ええ、そうですね、社会契約論などの個人主義的社会論とポリス的人間論は、人間社会についての対極的な見方を示していますが、どちらも一理ありますね。ただ社会契約論では社会の形成についての契約という歴史的行為を前提しますから、その意味で社会形成以前に人間的意識や生産などの社会的行為を前提してしまうという背理を含んでいるわけです。そして自由で平等な人格が自分の意志で生産しているかに前提してしまい、それでその通りなっていないものだから、労働が疎外であることになるというのです。

佐々木:ところが社会的な諸関係から諸個人が規定されるとしたら、労働者の引き受けている悲惨な立場がそのまま、彼の現実的な本質であり、そこには自己の本質を喪失しているという意味での「疎外」はないということになるのでしょう。でもそのような疎外された類的本質、言葉を話し、思考し、生産し、家庭生活や社会生活を繰り広げるという能力があるから、現に生産しているのでしょう。

やすい:しかし廣松によれば、それは個人に内属した本質ではないというのです。社会的な諸関係に置かれる事で、それぞれの役割に応じて個々の作業を行い、与えられた役目を果しているだけです。社会的な分業や市場を通して、個別の労働やその生産物が交換されることによって、あたかも労働一般が存在し、類的な本質が個人に内属するように見なされているだけだというのです。

佐々木:しかし労働というのは一定の訓練をすれば、職業を取り替えることも可能です。それは労働一般の能力が個人に内属していることを意味しませんか。廣松の発想では類的存在や社会は、個人の外にあって、個人はその都度社会から規定を与えられていることになりますね。

やすい:そこが廣松哲学の最大の特徴であり、問題点でもあります。そしてそれは主観・客観の認識図式の超克の問題とも絡んでいます。次回に共同主観性に基づく四肢構造的認識図式として検討してみましよう。

      廣松渉の「物象化論」について

佐々木:それでは疎外論を脱却して物象化論になるというのはどういうことなのか、説明して下さい。「物象化論」とはそもそも何か、初めて聞く人も多いかもしれません。

やすい:マルクスは『資本論』で、資本主義社会を巨大な商品集成として捉えました。商品という物の関係に人間関係が置き換えられていることを指摘したのです。そこから物と物の関係に人間関係が置き換えられたり、表現されたりしていることを「物象化」と呼んだのです。

佐々木:「物化」と「物象化」とは違うのですか。

やすい:「物」と「物象」はほぼ同じ意味ですね。ドイツ語でversachlichungが「物象化」でverdinglichungが「物化」です。ですから「物象化」と訳すより「事化」とか「事象化」と訳した方がよいように思われますが、なにしろ人間関係を物と物の関係に置き換えることをversachlichungと表現しているものですから、「物象化」と訳しているわけです。

 しいて用法的な違いを挙げますと、物化の場合は物によって人間や人間関係を表したり、物が人間の役割を果します。また組織や制度が固定して人間によっては簡単には動かせなくなり、人間を支配するようになりますと、これも物化と呼びますが、物象化とも呼びます。これは「疎外」という言葉でも表現できますね。

佐々木:商品交換という物と物の関係は、実は人間の労働関係の表現なんだというわけですね。人間たちは自分の作ったものを他人の作ったものと交換して、一つの物しか作らないのにたくさんの種類の財貨を手に入れることができますから、この物象化は肯定的な意味で使われているのですか。

やすい:廣松によれば「疎外論から物象化論」ですから、疎外として問題視されていたことが、物象化として問題視されているわけです。だからむしろ否定的な文脈でつかわれているわけです。といいますのは、商品関係や貨幣・資本などに人間関係が置き換えられますと、それはもはや人間同志の関係であることが見えなくなって、物の関係として、自立的に展開していくのです。経済は物の関係として捉えて、それに従わなければならないわけです。

佐々木:廣松の「物象化」解釈は、マルクスの物象化論を忠実に受継いでいるのですか。

やすい:本人はそのつもりですが、「廣松物象化論」という固有名詞になっているように、独特の発展を遂げています。それは人間関係を物と物の関係に置き換えることだけでなく、すべからく物の関係や、物として認識すること自体が「物象化」です。つまり廣松は世界はすべて物ではなく事、事態から構成されているいう「事的世界観」に立っているのです。そして世界を認識する際に事や事態を物と物の関係として説明するのだというのです。

佐々木:話が随分飛躍しましたね。事や事態というのは物の運動や関係として生じるのではないのですか。

やすい:そのように人間は認識するけれど、物というのは事や事態を説明する際に仮に立てた暫定的な機能的なもので、物というのが先ずあって、それが事をひき起こしているというのは、倒錯的な見方だというのです。

佐々木:物より事の方が第一次的な存在だというわけですね。しかし事は物の関係としてしか認識できないとしたら、物の第一次性も否定しきれないのではないですか。

やすい:そこが私の廣松批判の眼目です。ただ廣松にすれば、物の第一次化は、物を実体化することになり、物が実は意識に先行してしまい、客観的な物の世界を主観的な意識が認識するという、近代的な主観・客観認識図式を超克できなくなってしまうわけです。これは次回の廣松渉の共同主観性による四肢構造的認識論を検討する際に解明しましょう。

第2回講演用テキスト

主観・客観認識図式について

佐々木:いよいよ廣松哲学の核心の主観・客観認識図式を超克した共同主観性に基づく四肢構造的認識図式に入るわけですが、その前にそもそも「主観」とか「客観」とか「主観・客観認識図式」とかについて説明願います。 

やすい:物事を認識する際に、認識される側と認識する側があると考えます。分かりやすく言えば、ここに携帯電話がありますね。としますと「これは携帯電話だ」という認識が成立します。その場合、認識される側は「携帯電話」という事物です。認識する側は認識している側の意識です。認識される側、認識される対象を「客観」と呼び、認識する側、認識する意識を「主観」と呼びます。「主観・客観認識図式」とは認識の仕組みを主観と客観の関係として捉え返す図式です。 

佐々木:なんだか言葉のまんまという感じですね。それじゃあ、主観・客観認識図式というのは、認識である限り超克できないのじゃないですか。 

やすい:主観と客観に二分できるという場合、デカルトによれば、主観は純粋な意識として捉えられ、客観はその意識の対極としての事物だということになります。ところで主観を意識、客観を事物だとしますと、客観の事物は意識の対極だから、意識ではない事物だということになりますね。 

佐々木:ええ、客観的な事物を認識するわけです。 

やすい:しかし、認識されている内容は意識ですね。 

佐々木:いいえ、携帯電話という事物です。 

やすい:そうですが、認識の内容は「これは携帯電話である。」とか「携帯電話は携帯できる電話である。」とかいう事物についての意識だということです。 

佐々木:それでは事物は物自体であって、認識できないことになりますね。というより認識は事物についての意識です。事物の述語付けだといえます。 

やすい:認識は意識ですので、事物についての認識も意識であるのは当然です。意識は意識の外に出られません。ですから、意識から自立した事物があるというのは推論に過ぎないのです。 

佐々木:確かに、でも知識はくっつける糊みたいなもので、その糊にくっついているのが事物としての携帯電話でしょう。たとえ見えないものでも、つまり意識に上らないものでも、意識するとしないとに関わらず存在します。「畳の中にダニはいる」わけです。 

やすい:少し噛み合ってませんね。「畳」や「ダニ」という事物があるから、それを意識が認識できるという構図が、すでに主観・客観認識図式を前提しているわけです。畳という事物が存在するためには畳についての意識が必要でしょう。 

佐々木:それじゃあ「畳」という意識が存在するためには「畳」という事物が必要ともいえますよ。これは循環論法ですね。 

やすい:ええ、そうです。だから意識はあるものについての意識であり、事物は意識されたあるものであるわけです。 

佐々木:しかし「龍」という観念は意識できても、実際には「龍」という事物は存在しませんね。

やすい:想像上の事物の場合は、事物が実在していなくても意識があるわけですが、その場合でもやはり、龍という事物の観念なのです。それは「丸い三角形」というような想像できないものとは違います。 

佐々木:一体何が言いたいのかよく分かりません。龍は実在する動物の体の一部分を集めて再構成したものだと言われますが。 

やすい:ですから観念も事物の観念であり、観念として意識された事物でしかありません。だから観念も事物も、第一義的な存在ではありません。経験の解釈から派生したものにすぎないということです。 

佐々木:その論理は西田幾多郎の純粋経験論でしょう。主観・客観に分かれる前のあるがままの経験は、未だ何々という観念でもなければ、自分の外にある事物でもない、生の感覚そのものである。しかし廣松哲学を説明するのに西田哲学を使うと余計ややこしくなりますね。   

やすい:とはいえ廣松が晩年東洋思想それも主・客図式を超克した禅思想に共感を深めていた節は窺えます。最近昭和戦前期に活躍された唯物論者が高齢で亡くなっておられます。そういう場合、私の恩師船山信一・梯明秀両先生もそうですが、無宗教の葬式をされておられます。2001年9月14日に亡くなられた大阪音大の高橋準二さんの場合は、軽音楽を使っていい雰囲気でしたね。廣松渉は禅宗で葬式を出しています。ですから廣松を理解するのに西田を参考にするのは全くの当て外れではないのです。余計に難しくなることはあるでしょうが。 

佐々木:それでは西田の純粋経験にあたるところに直接的なというか、第一義的な存在として何がくるのですか。 

やすい:「事態・事」ですね。あるいは本質の現れとしての現象ではなく、現にある生の姿として「現相」とかと表現しています。意識や事物はそれらの解釈のための機能的な概念になるわけです。 

佐々木:その機能的概念とは何ですか。ファンクショナルな概念ですから函数的概念でもあるわけですね。 

やすい:第一義的な存在は主観・客観を超越した事態なのですが、それを説明するのに第二義的な意識や事物という概念を使って説明せざるを得ないわけです。これら第二義的存在は、第一義的存在を説明するのためのあくまで便宜的、機能的なものでして、それ自体で存在しているわけではありません。ですから物と物が先ずあって、それらが関係しあって事態が惹き起こされるという捉え方ではなくて、先ず事態があって、これがどういう事態かという説明に、便宜的に物と物の関係として説明するということです。 

佐々木:意識や事物を第一義的存在と置いたら、主観・客観図式のままだけれど、主・客を超えた事態を第一義存在に置き、その説明のための存在に意識や事物を格下げすることで、この認識図式は、主・客図式を超克していることになるのですかね。 

やすい:廣松自身はそのつもりでしょう。 

佐々木:どうも納得がいきません。事態が主・客を超越したものであるとしても、それを客観的事態として突き放して意識は認識しようとします。とすれば、その結果、事態は客体としての事物間の関係として解釈されることになるのでしたね。 

やすい:ええ、そうなりがちだということです。 

佐々木:事態解釈によって、客観的な事物を主観的な意識が解釈する主観・客観認識図式になっているんじゃないですか。 

やすい:私もそういう批判を廣松に投げかけているのですが、シカトされているのです。それは返答に窮してではなく、うんと格下の私の批判に一々対応する必要を認めなかったからでしょう。その批判は本質を衝いていると今でも思いますが、廣松にすれば的はずれでしょうね。 

佐々木:事態解釈によって了解された事物というのは、あくまで主・客図式を超克した事態の解釈にすぎないから、意識から客観的に独立した実在としての事物ではないということですか。 

やすい:その通りです。事態を函数的に捉えた時の「項」にすぎないのを、それ自身で存立していると捉えてしまうと、項が物象化されて「事物」だと倒錯されるという理屈です。廣松は、デカルト流の近代的主観・客観認識図式を超克するという問題意識に立っています。ですから意識は純粋主観で、事物は純粋客観ですね。とすると主・客未分な事態の解釈から出てきた、意識や事物はそうした純粋な主観・客観ではありえないことになります。 

佐々木:それでは、やすいさんはどうして廣松の議論に納得されないのですか。 

やすい:それは認識の定義に関わるのですが、認識するということは、事態を主観から相対的に自立した客観的な事物の関係や運動として把握することだと考えるからです。その場合、デカルト的な形而上学的なそれ自体で存在している事物や、「我思う故に我あり」的な超越的自我は認めません。人間の認識する事物は意識された存在であり、意識はある物の意識です。それは厳密に言えば「物」ではなくて、自然的・社会的な事態函数の項だと廣松なら言うでしょうが、「事物」というカテゴリー自身が弁証法的に発展しているのです。 

       「現相的所与」と「意味的所識」

佐々木:そろそろ認識の四肢構造の説明に移っていただきたいのですが、記号論でいうシニフィアンとシニフィエにあたるのを廣松は、「現相的所与」と「意味的所識」と呼んでいるらしいですね。インターネットよりシニフィアンとシニフィエについての解説を引用しておきます。

シニフィアンとシニフィエ(「ほうとう先生の自省式社会学感覚」より引用)

 さて記号論によると、記号[シーニュ]はふたつの要素に分けられる。「意味するもの」[シニフィアン]と「意味されるもの」[シニフィエ]である。シニフィアンは記号の形態のことである。といっても言語のことばかりではない。しぐさをはじめとして音楽・絵画・映画・テレビ・ファッション・建築・機械・道具などあらゆる文化現象がシニフィアンたりうる。それに対してシニフィエとは記号の意味であり概念内容のことである。たとえば一枚の白地の布の中央に赤い円が染められていれば、それがシニフィアンであり、これを「日の丸」と呼び「日本国の国旗である」とされていれば、それがシニフィエである。しかし、それが「旧日本帝国」を象徴するものと感じる場合、それはもうひとつのシニフィエである。「国旗」という表層の意味を「デノテーション」といい、「旧日本帝国」という深層の意味を「コノテーション」という。前者を「外示的意義」もしくは「明示的意味」と訳し、後者を「内示的意義」もしくは「伴示的意味」と訳す。

やすい:おそらく廣松のねらいとしては、事物というのが客観的実在ではないことを論証しているつもりでしょう。「日の丸」の例でいいますと、国旗としての「日の丸」は白地に赤い丸の入った布付き棒の意味に過ぎません。つまり国旗としての「日の丸」という事物はないのです。また当然「国旗」一般も事物ではないことになります。 

佐々木:すると「旗」一般も特定の布の意味だということになりますね。 

やすい:はい、そうです。「旗」というのは、旗が使用される文化圏における、社会から外的に付与される布の意味だということになります。事物としての布にとっては勝手に「日の丸」だの「五星紅旗」だの「星条旗」などのデザインを書き込まれて、無理やり押し付けられた役回りなのだそうです。 

佐々木:では「布」はどうですか、布という事物も客観的事物ではないのですか。 

やすい:布は現相的所与としては「織られた糸」だといいます。布というのも実は、織られた糸が物の包装に使われたり、衣類に使われたりしますね。そのような社会的な実践が「織られた糸」に投影して、「織られた糸」の意味的所識を「布」と呼んでいるというわけです。 

佐々木:それでは自然的な事物はどうですか、「桜の木」は客観的な事物でしょう。 

やすい:桜の木を梅ノ木や桃の木と区別することができるのは、それぞれに観賞用や木材用に植林し、栽培する文化があるからです。それらの木は日本人の生活文化に深く根をはっています。そうした歴史的社会的な文化的生活的な関連から、それぞれの特色を示す木に梅・桜・桃という名前をつけているわけです。桜の木がそれ自体であるのではなくて、社会的実践の投影としてあるということになります。廣松によれば鉱物から粘菌類あるいは星でも人間社会の歴史的発展につれて自然観やコスモロジーに変容が生じる中で、様々に発見され、鑑賞され、利用されてきたわけです。 

佐々木:例えば、星は古代では天にある小さな穴で、そこから天上の光が洩れていると解釈されたそうです。それが近代では、恒星と惑星に区別されて、無限の膨張しつつある宇宙に拡散していると捉えられています。見えていた感覚としては同じ光の現相であって、そのシニフィアンとしては同じでも、シニフィエは全く違うわけです。このシニフィエの面は社会的諸関係から捉えているわけで、それは客観的実在としての事物とはいえないのでしょうか。

やすい:そういう捉え方は、廣松の理解に近いと思います。 

佐々木:やすいさんは、そういう廣松哲学をどう批判されたのですか、おもしろそうですね。 

やすい:私が35歳の時、1980229日に『廣松渉『資本論の哲学』批判』を茨木教材社から経済哲学研究会編で発行しました。これは自費出版です。1冊の本に10万字にのぼる本格批判です。これで天下の廣松と論争をやって、社会的に認知されたいと思っていたわけです。でも廣松も世間も無視です。ただ鷲田小彌太氏に注目され、当時大阪唯物論研究会哲学部会が再開されるので、その最初の研究会で発表させていただいたのです。おかげで三重短大で倫理学とドイツ語の非常勤講師になれたわけです。 

佐々木:そういうキャリアの話は、どうでもいいので、廣松批判の中身のお話をお願いします。 

やすい:廣松批判は、彼が新左翼の理論的支柱であっただけに、雑誌などで批判論文はでたものの、これだけの本格批判はなかった、それで結局、日本のマルクス主義哲学の代表、あるいは戦後日本人哲学者の最高峰みたいに彼は評価されるようになったのです。まあそれはいいとして、私は、「糸」や「布」や「旗」や「日の丸」などの社会的事物は社会を構成する主体的事物として、客観的に実在するという立場なのです。たとえばここに「携帯電話」がありますね。これは携帯電話として作られ、携帯電話として機能しています。鉄や軽金属や樹脂を組み合わせた物を、社会的に携帯電話と呼んでいると言えるような物じゃない。 

佐々木:やすいさんの浮ばれなかった理論活動の恨みが、その本には篭められているわけですね。その廣松批判の本もただの紙切れの束じゃない。紙爆弾だぞというわけですね。 

やすい:いや、そんな大袈裟なものじゃありません。ほんの「紙つぶて」ですよ。実際、廣松にとって、痛くも痒くもなかったんだから。冗談はさておき、廣松はダンボール箱でもその前に座ってものを書けば机と見なされるという言い方をします。 

佐々木:脚付きの台を机と呼ぶか、テーブルと呼ぶかは用途次第ということでしょう。 

やすい:たしかにそういう場合もありますね。でも実際の商品社会では、机とテーブルは別種類の商品として製造され、消費されています。ただ転用しやすい商品だというだけです。それに廣松式に思考すれば、現相的所与と意味的所識の関係が外的なんです。ある物が特定の社会の中では、その文化を投影して特別の意味を帯びる、例えば、子安貝の貝殻が貨幣として交換の媒介をするというように。でもこの服は、布がたまたま服として呼ばれているのではなくて、服として製造され、販売されているところに特色があります。別に布でなくても、毛皮でも、なんだったら紙でできていても服は服です。 

佐々木:「三匹の子豚」の「藁の家」「木の家」「煉瓦の家」を思い出します。藁や木や煉瓦が家なのではなくて、それらは家の材質に過ぎないわけですね。家という事物があるのだという理屈ですね。その議論はたしかにそうだとしても、現相的所与と意味的所識の区別それ自体は有効なのでしょう。例えば勾玉が縄文社会では、霊に通じており、様々な霊力を持つ呪物であるとか。 

やすい:先ほどのインターネットからの引用にもありましたように、もともとシニフィアン・シニフィエという用語はソシュールの言語学の用語でして、特定の音がシニフィアンとなり、シニフィエとしての社会的な意味を担うわけです。例えばある鳥を日本語で「ハト」と発音します。「ハト」という音が、その音自身が元々持っていない一つの鳥の種類を意味します。音と意味には必然的なつながりは無いことをソシュールは強調したのです。

 ところが廣松の場合は、その有るがままの姿かたちというのが、その物の意味と深く関係している事物にまで、その論理を拡大して適用してしまったのです。例えばインドのサリーという反物でしたら、それは反物という意味だけでなく、体に巻きつけて着物の意味を同時にもつ事ができますが、洋服にする前の布地の場合は、それは服という意味を担えません。服という物があると考えるべきです。

 佐々木:それはあくまで人間社会においてである、そのままでは服ではない、布切れでもない、ところが服だけを取り出して、これを服だと言っている。そこに倒錯があるのだと指摘しているのでしょう。

 やすい:ええ、「猫に小判」みたいなもので、猫にとっては小判はただの食べられない平たくて硬い物に過ぎません。「小判」という範疇が猫の世界には存在しないわけです。だから、服を人間社会の外に持っていって、それが本来服かどうか考えるという発想がおかしいのです。つまり廣松は、服を服だと捉えると、それはある物をそれ自体で社会関係を捨象して捉えていることになると見なすのです。特定の社会関係の中でそう規定されているのだから、服という規定は現相的所与にとっては外的なのだというのです。

 佐々木:現相的所与自体が社会的諸関係から生み出された物なのだから、社会的事物としてみなすべきだということですね、やすいさんの議論は。ところが廣松も社会的諸関係から生み出されたということを論拠に議論を展開しているわけです。

 やすい:その結果、廣松は社会的事物の規定性を社会関係に奪還してしまうのです。服という規定は人間の特定の行為、ふるまいを物の規定性にしてしまったものだというわけです。

 佐々木:服の場合、体温維持行為や扇情行為、みせびらかし行為としての布の装着行為を布自身の本質規定としたのが、服だということでしょう。

 やすい:これは人間行為の物象化です。たしかにそういう面を捉えることは大切です。しかしそのことによって、服という社会的事物が成立しているわけで、そこには倒錯性はないのです。

 佐々木:廣松にすれば、物象化だと認識することで、物の本質が人間の社会的連関から発する行為に還元されたから、それをなおかつ物の規定と考えるのは倒錯だということでしょう。

 やすい:だから廣松自身がデカルトのそれ自身で存立するとする「物」把握に止まっていて、社会関係の中で生産され、社会関係を取り結ぶ社会的諸事物を捉えることができないのです。

 佐々木:ところでマルクスはどうだったのでしょう。社会的諸事物をどう捉えていたのですか。

 やすい:マルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』で「従来のすべての唯物論の主要な欠陥は、対象、現実、感性がただ客体または直観の形式のもとでのみ捉えられ、感性的な人間的活動、実践としては捉えられず、主体的に捉えられていないことである。」という言葉があります。例えば「服」を事物の規定としてだけ物象化して捉えていて、人間の実践活動として主体的に捉え返されていないことが批判されていたのです。とはいえ、社会的事物を有用性によって規定していたわけで、商品論では使用価値に関わります。ただし価値は、抽象的人間労働のガレルテ(膠質物)なのだという議論です。これは商品の本質なんですが、使用価値である生産物に内在しているわけではないというのです。ガレルテとしての価値が生産物に膠着しているわけです。だから、生産物自身には価値はないけれど、抽象的人間労働の固まりである価値が生産物にくっついて、生産物自身が価値を内属しているように仮現しているという捉え方なのです。

 佐々木:やすいさんのオリジナルな解釈である、マルクスの「価値=つきもの」論ですね。要するにマルクスは生産物の本質を有用性に認めていたから、人間の実践としても捉え返していたけれど、事物の本質ではないと言ったわけではない。価値については商品の本質ではあるが、あくまで人間の労働関係の投影あるいは刻印、あるいは付着であって、人間の関係に還元されるべきだという点では廣松と共通しているわけですね。 

やすい:ええ、そうです。マルクスは抽象的人間労働の固まりであるガレルテが付着するというような実体的な捉え方をしています。廣松はそういう表現はあくまで「叙述の便法」だというわけです。価値を人間労働に還元し、事物の属性とは認めないという点でマルクスと廣松は共通しているわけです。

        能識的或者としての能知的誰某

佐々木:廣松哲学の認識の四肢的構造ですが、認識する当事者も二肢的構造になっているのでしたね。

 やすい:ええ意味的所識として現相的所与が現れるのは、知る側の誰某が社会的に規定された或者として社会的な役割を担っているからです。例えば佐々木肇さんが、大阪に住み、日本語を理解し、現代思想研究会の会員として現代思想や哲学に興味をお持ちになって活動されておられるわけですが、それでこういう対話が可能になっているわけです。常に社会的に規定された或者となっているので、このややこしい廣松哲学についての会話も可能なのです。

 佐々木:その場合、わざわざ二肢構造になっているということは、佐々木肇と現代思想研究会員の間に布と服の違いみたいな違いがあるわけですか。

 やすい:布が服にもなればカーテンにもなり、雑巾にもなれるように、佐々木肇さんはテニス同好会に入ることも、登山や書道をすることもできたわけです。短歌の会もありますね。

職業的にも高校の社会科の教師をされていますが、国語の教師でもなれただろうし、システムエンジニアに成っていたかもしれない。

 佐々木:というような捉え方をしているということは、社会的な諸規定というものは、各個人に対して社会から外的に投影されていることになりますね。それはやはり主観・客観的な認識図式の超克と関係あるのでしょうね。

 やすい:大いに関係ありです。日本語文化圏で暮らし、社会科教師で哲学に関心が深い佐々木肇という主体があって、様々な事物や現象を哲学的に考察する。あるいは科学的に認識するということになれば、主観・客観図式になってしまいますが、日本語や社会科の知識や哲学の教養というのが、社会から佐々木肇に投影してくるような感じになりますからね。

 佐々木:それでもやはり私、佐々木肇が主体的に思考し、認識し、客観的な事物や現象を捉えていることになるのではないのですか。

 やすい:もちろんそのように、あなたが受け止めるように、近代の思想ではなっているわけですが、それは廣松に言わせれば倒錯しているのです。第一、あなたは、自分が思考する主体として客観的事物に対峙していると思っておられます。しかし先ずもってあるのは廣松に言わせれば、現相的所与として諸感覚の束に過ぎません。それを何か自分の意識とは違う客観的な事物として自分の意識の外に立ててしまっているのです。そして、それに対する自分は純粋な意識であるかに思い込んでいるのです。本来、薔薇と薔薇を見ている意識は区別できないものなのです、と廣松は諭すのです。

 佐々木:西田の純粋経験論だとそうなりますね。廣松の場合は西田とはどう違うのですか。

 やすい:廣松の場合は、意味的所識としての現相的所与と能識的或者としての能知的誰某は渾然一体となっています。主客未分化という面では西田と同じですが、西田の場合は規定される前の状態と考えられているのに対して、廣松の場合は意味がはっきりしています。それはやはり社会的諸関係の総和として意識内容が規定されるからだと思われます。そのことを「共同主観性」というタームで説明しています。つまり同じ社会では言語や思考パターンがある程度共有されています。そうでないと意志伝達ができませんからね。私が「共同主観」という言葉を使って批判しますと、葉書で「共同主観」とは言ってない、「共同主観性」だと反論がきました。これが唯一の反論ですね。

 佐々木:どう違うのですか。

 やすい:「共同主観」があるとなると、実体的な主体として「共同主観」があるように受け取られかねないと思ったのでしょう。社会的諸関係の中で、存在被拘束性によって意識が同じように働くように制約されていることを「共同主観性」と表現したのでしょう。

 佐々木:意識内容が社会的諸関係によって規定されるというのはよく分かるのですが、それは意識主体が成立する条件のようなもので、その上にたって主観・客観的認識が成り立つように思うのですが。

 やすい:それは、私の考えでは、高校社会科教師で市井哲学者の佐々木肇が存在して、物事を客観化し、対象化して認識されておられるからです。佐々木肇はその他にも通勤電車の乗客として通勤地獄に苦しんでおられますし、家庭では子煩悩で愛妻家です。もし佐々木肇がいて、それに社会的諸関係ががんじがらめに拘束するとするのなら、社会的諸関係を離れた生身の佐々木肇が先に存在することになってしまいます。しかし高校社会科教師でない、現代思想研究会員でない、父でも夫でもない佐々木肇は存在しません。それらの規定は佐々木肇自身の存在のあり方に他ならないのです。佐々木肇は、主体的に仕事に取り組み、苦悩のうちに哲学されています。そういう仕方で社会を構成し、作り上げている主体なのです。

           事的世界観と共同主観性

 佐々木肇:やすいさんに励まされれば励まされるだけ、余計に私の主体というのは不安になっていきます。私などだれとでも入れ替え可能で、さまざまな社会のシステムや慣習やおきてで縛られ、決まりきったステロタイプな言動しかはけない、この場面ではこうするだろうと期待されていることを考え、行えなかったらどうしようといつも怯えているのです。ですから「存在被拘束性」とか「共同主観性」とか廣松がよく使いますね、はっきりした意味はよく分からないけれど、「自由」だとか「主体性」という言葉より説得力があるように響くのです。

 やすい:1968年の五月革命というのがあったのです。これは実際に政治権力を握る革命ではないけれど、フランスの学生たちが中心に既成の体制や価値を否定し、自由や主体に基づく社会を作ろうと「否定」や「抗議」の叫びをあげました。パリの学生街「カルチェラタン」を占拠して立て篭もったのです。労働者や市民も合流して大きな盛り上がりを示したのです。しかしいつまでも無秩序は続きません。やがて敗北しました。その結果、実存主義は息の根を止められてしまったのです。「自由」や「主体性」など幻想だというわけです。言語まで体制的なもので、何を考えるかは社会構造によって決まっているというわけです。これをフーコーは「人間の死、言語の支配」だと言ったのです。構造主義が流行します。

 佐々木:廣松の活躍も1960年代の末からピークは1970年代ですからね。日本でも五月革命と連帯し、それに匹敵するようないわゆる「全共闘」運動があり、これが「連合赤軍浅間山荘事件」で悲惨な結末を迎えるわけです。

 やすい:フランスの構造主義も日本の廣松理論も決して変革や革命を否定するわけではありません。ただ「主体性」や「自由」を叫んでも、人間存在自身が深く社会構造のからの拘束を受けているので、ガス抜きに終わってしまう。よほどしっかり社会構造を見据え、構造自体の中に変革の方向性を見出していかなければならないわけです。ただ構造主義では、主体としての人間の死の宣告がなされたりしたので、社会形成主体としての人間の論理を構造主義に対して対置しなければならないと、我々は思っていたのです。

 佐々木:廣松自身が新左翼運動の理論的指導者でもあり、マルクス主義哲学者の中でアカデミズムで最高の権威を持つという特異なステータスをもっていたわけですね。その中で社会構造からの拘束性を強調した論理を構築したのは冷静だったような気がしますね。

 やすい:でも彼の革命論は、ブンド的で少数のエリートの前衛集団の陰謀による、権力の奪取と、プロレタリア独裁権力の樹立という古風でアブナイ過激派路線にかなり晩年まで固執していました。

 佐々木:廣松哲学に戻しましょう。四肢構造で認識する個人も認識される対象もそれ自身で存在するのではないわけです。社会的諸関係や協働関係から規定された現相が先ずあって、そこに渾然一体になっているわけです。この現相は後で客観的な事物として倒錯的に捉えられることになるけれど、第一義的には事態とか事とかとして捉えられるべきだということで、事的世界観が打ち出されるのでしたね。

 やすい:だから事物として捉えてしまいますと、主観の側の意識と客観の側の事物は断絶してしまいますね。人間対物という形です。それを事態・事として捉えればどうでしょう。それは五感が展開する状態であり、感じられているものと感じているものの区別はないわけです。

 佐々木:しかし物と捉えれば意識の外にある事物と見なしていることになるというのが、よく分かりませんね。どんな事物でも形や色や重さや匂いなどがあるわけでしょう。事物はすべからく感覚の束として知覚されているわけですから。

 やすい:カメラモデルで認識を理解してください。フィルムに写った像と被写体は別ですね。フィルム像が意識で被写体を事物と考えますと、事物には意識の契機が抜けていると思われがちです。

 佐々木:いわゆる「模写説」ですね。この模写説でおかしいのは、フィルム像は事物の摸像です。ですから似ているわけです。何が似ているかというと、事物の姿かたちです。しかしよく考えてみますと姿かたちというのは意識なんです。ですからやはり事物自体も意識の契機が含まれているということです。

 やすい:全く、仰るとおりです。その意味で事物も本来的に意識抜きには成立し得ないことになります。ただしその意識を人間の意識に限定しますと、人間の誕生以前にも自然史はあるわけですから、困った事に成りますが。ともかく逆にいえば事物が世界を構成しているという物的世界観でも、物の定義次第では意識の契機の捨象にはなりません。

 佐々木:だから廣松は、物をデカルト的に意識と対極の延長実体として受け止めていて、主観・客観的認識といえば、意識抜きの形而上学的実体としての物の集まりとして世界を捉えることだと見なして、事的世界観を提唱しているのでしょう。それに対してやすいさんは物を意識された存在として捉えた上で、物的世界観を擁護されたのですね。

 やすい:世界を事・事態の集まりとして捉えることは素晴らしいと思うのです。我々はこれまで事態や事件を要素主義的に分解して、物と物の関係として捉えがちでした。それを刻一刻変容し、生成、消滅する事態の断続として世界を新鮮に捉え返すのですから。しかし事や事態の推移や発展を理性的に捉え、それに的確に対応することが可能でしょうか。事態を函数的に叙述して法則を見出すことができるでしょうか。やはり事態を理性的に把握するには、物と物の関係に置き換えて記述する必要があると思われます。

 佐々木:『資本論』の場合、マルクスは一応商品という事物の運動として展開しています。でもマルクスは,廣松によると叙述としては物と物の関係として捉えても、それはあくまで叙述の便法だというわけですね。

 やすい:廣松は事物と捉えること自体、事態の倒錯視だというわけです。服や机と見ること自体、人間の関係行為を物の属性に置き換えているというのですから。しかし物の側からの働きかけというものも考慮に入れれば、物の属性とするのは倒錯とは言えません。

 佐々木:例えば服は着る人を格好良く見せるとか、机は人に前に座って勉強させるというようにね。機能を物の働きかけと捉えるのですか。

 やすい:意志や意欲などが人間身体の脳の特定部位にしか生じないと考えるのは、一面的な気がします。人間論を身体論と取り違えて、思考や感情をすべて脳の組織で説明しようとする科学者がいますが、人間は身体に限定できないのです。自然的社会的な諸機構が巨大なシステムとして自己再生産しているわけで、その中で言語のコードだけでなく、様々な思惟や感情も生まれています。脳中枢は中心的な役割を果すとはいえ、思想や意志は生産物の中に保存され、消費過程で再生され、発動されます。そうした文脈で考えれば、服は着る人を格好良く見せるように働きかけていると考えて差し支えないのです。

 佐々木:マルクスに言わせれば、それは「机が踊りだす」とんでもない擬人化であり、フェティシズム(物神崇拝)の極致ですね。

 やすい:所詮マルクスも現実的諸個人の立場で人間を身体に限定する「身体主義的人間観」の枠内で思考していたのです。廣松も社会的諸関係を意識形成のシステムとして捉えていたけれど、その場合の諸関係は結局、現実的諸個人が取り結ぶ協働関係でしかなかったということでしょう。折角、共同主観性まで行き着きながら、その中に社会的諸事物を入れて考えることができなかったのです。だから物は身体と違って人間ではないから、物の社会的諸規定を物を差し引いた身体的な諸個人の協働関係に取り戻してしまったのです。

 佐々木:それは主・客図式の超克にこだわって、物を事に還元しようとしたことにもよりますね。

 やすい:物を事態の説明のための機能的概念として捉え返すのはいいと思うのです。そういう事的世界観も大いに結構です。でもやはり理性的に世界を捉え返し、その中で生活し、変革するには事態を物と物との関係としても捉え返しておく必要があります。また物として捉えても決して倒錯ではないのです。その辺の倒錯だと決め付ける議論は詰が甘いと思います。

 佐々木:さて廣松派の論客たちが、このやすいゆたかの挑戦を受けて立つか興味深いところですね。

 やすい:それは佐々木さん、世間はそんなに甘くないですよ。宮本武蔵は示現流とは絶対に立ち合わなかった、それは勝てなかったからです。廣松渉は、やすいには反論しなかった。それはこちらに権威や地位がなかったからです。反論すれば、私の議論に市民権を与えてしまう。それは何のプラスにもならないわけです。同じ事を廣松派の論客たちも考えているでしょう。しかしそれではお互いに相互批判を通して学びあい、高めあうことができないのですがね、残念なことです。

 佐々木:廣松には相当複雑な思いがあるのですね。

 やすい:いや、相手は横綱で、こちらは幕下以下ですからね。論争を挑む方が身のほど知らずと思われているかもしれません。むしろ大変勉強させてもらって感謝しています。なんといっても、根底からマルクス主義哲学や哲学一般を捉えなおしたわけでしょう。物凄い力ですよ。それと真正面から格闘したのですから、相当鍛えられたのは確かです。それにフクヤマの歴史終焉論やヤスパースの再評価について論じた拙著『歴史の危機―歴史終焉論を超えてー』(三一書房刊)については、かなり共鳴するところがあったとみえて、出版の心配もしてもらったのですが、何しろ肺ガンが末期に成っていて、それどこではなかったのです。そういう経緯もありまして、人間的には一番好きな哲学者の一人です。彼の死を知って、人知れず泣きましたよ。号泣しましたね。

           

          第三回講演用テキスト

  「近代の超克」という課題について

                        廣松渉の「東亜新体制」発言

佐々木:廣松が最晩年に「東亜新体制」発言をして物議を醸しましたね。やすいさんもあれは問題発言だと見られていますか。

やすい:いや我々は京都学派の東亜協同体論を批判的に継承しようと考えている立場ですから、別に問題発言だとは捉えていません。1994316日夕刊の朝日新聞の寄稿文です。それほど長くないですから、引用しておきましよう。
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東北アジアが歴史の主役に

日中を軸に「東亜」の新体制を

                                               廣松 渉

世紀末について語るにはまだ少し早過ぎるような気もする。ましてや、東北アジアが歴史の主役になるとの予想は、大胆すぎるかもしれない。しかし、二十世紀がもうすぐ終わろうとしていることを考え、また、筆者が哲学屋であることに免じて、書生談義をお許し願いたい。

つい数年前までは、欧米の落日は言われていたが、ソ連や東欧が大崩壊するなどとは誰も予測していなかった。ソ連や東欧の「社会主義体制」は内部に矛盾をはらみながらも、もう暫くは存続するものと思われていた。

日本では好景気と55年体制が続くと思われており、細川連立内閣の登場など考えもおよばなかった。アメリカに対して「ノー」と言える日がやがて訪れるとは思われていても、大統領の口から公然と「日米経済戦争」という言葉がこんなに早く聞かれるとは予期されていなかった。

米ソ日が構造的に変動したばかりではない。ECヨーロッパも様子が変わってきている。

このさなかにあって、東南アジアはたしかに様相が別になっている。が、これとて、今のところは、アメリカやヨーロッパあっての経済成長であり、東亜の隆昇ではある。

将来にあっては、だがしかし、どうであろうか?コロンブスから五百年間つづいたヨーロッパ中心の産業主義の時代がもはや終焉しつつあるのではないか?もちろん一体化した世界の分断はありえない。しかし、欧米中心の時代は永久に去りつつある。

新しい世界観、新しい価値観が求められている。この動きも、欧米とりわけヨーロッパの知識人たちによって先駆的に準備されてきた。だが、所詮彼らはヨーロッパ的な限界を免れていない。混乱はもう暫く続くことであろうが、新しい世界観や価値観は結局のところアジアから生まれ、それが世界を席巻することになろう。日本の哲学屋としてこのことは断言してもよいと思う。

では、どのような世界観が基調になるか?これはまだ予測の段階だが、次のことまでは確実に言えるであろう。

それはヨーロッパの、否、大乗仏教の一部など極く少数の例外を除いて、これまで主流であった「実体主義」に代わって「関係主義」が基調になることである。

――実体主義と言っても、質料実体主義もあれば形相実体主義もあり、アトム(原子)実体主義もあるし、社会とは名目のみで実体は諸個人だけとする社会唯名論もあれば、社会こそが実体で諸個人は肢節にすぎないという社会有機体論もある。が、実体こそが真に存在するもので、関係はたかだか第二次的な存在にすぎないと見なす点で共通している。

――これに対して、現代数学や現代物理学によって準備され、構造論的発想で主流になってきた関係主義では、関係こそを第一次的存在と見なすようになってきている。しかしながら、主観的なものと客観的なものとを分断したうえで、客観の側における関係の第一次性を主張する域をいくばくも出ていない。更に一歩を進めて、主観と客観との分断を止揚しなければなるまい。

私としては、そのことを「意識対象-意識内容-意識作用」の三項図式の克服と「事的世界観」と呼んでいるのだが、私の言い方の当否は別として、物的世界像から事的世界観への推転が世紀末の大きな流れであることは確かだと思われる。(これがマルクスの物象化論を私なりに拡充したものとどう関係するかは措くことにしよう)。

価値観についても同じようなことが言える。もっとも、こちらは屈折しており、一口には言いにくいのだが、物質的福祉中心主義からエコロジカルな価値を中心に据える価値観への転換と言えば、当座のコミュニケーションはつくであろうか。

もちろん、世界観や価値観が、社会体制の変革をぬきにして、独り歩きをするわけではない。世界観や価値観が一新されるためにはそれに応ずる社会体制の一新を必要条件とする。

この点に思いを致すとき、ここ五百年つづいたヨーロッパ中心の産業主義が根本から問い直されていることに考えがおよぶ。単純にアジアの時代を言うのではない。全世界が一体化している。しかし、歴史には主役もいれば脇役もいる。将来はいざ知らず、近い未来には、東北アジアが主役をつとめざるをえないのではないか。

アメリカが、ドルのタレ流しと裏腹に世界のアブソーバー(需要吸収者)としての役を演じる時代は去りつつある。日本経済は軸足をアジアにかけざるをえない。

東亜共栄圏の思想はかつては右翼の専売特許であった。日本の帝国主義はそのままにして、欧米との対立のみが強調された。だが、今では歴史の舞台が大きく回転している。

日中を軸とした東亜の新体制を!それを前提にした世界の新秩序を!これが今では、日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう。

商品経済の自由奔放な発達には歯止めをかけねばならず、そのためには、社会主義的な、少なくとも修正資本主義的な統御が必要である。がしかし、官僚主義的な圧政と腐敗と硬直化をも防がねばならない。だが、ポスト資本主義の二十一世紀の世界は、人民主権のもとにこの呪縛の輪から脱出せねばならない。

それは決して容易な途ではあるまい。が、南北格差をはらんだまま、エコロジカルな危機がこれだけ深刻化している今日、これは喫緊な課題であると言わねばなるまい。

 

佐々木;この発言は、1980年代末のバブル景気全盛期の発想ですね。掲載された1994年は既にバブル崩壊後の不況が深刻化しており、アメリカ経済は復調していますから、タイミングがずれています。まあもちろんもっと長い目で捉えればいいのかもしれませんが。

やすい:哲学者としての発言でもあるわけですから、もっと大きな目で読んであげてください。欧米中心の近代を超えて、東亜中心の21世紀を展望しているのです。

佐々木:グローバル化は欧米中心から東亜中心へとは進展せずに、むしろアメリカ一国中心への傾向が、バブル崩壊後はさらに強くなった気がしませんか。たしかに中国の経済成長は続いているので、将来的には東亜の比重が高まる可能性はありますね。でも日本はなかなか回復傾向を示せないでいますから、今のところ期待はかけにくいのではないでしょうか。

やすい:廣松の場合、東亜新体制を反体制左翼のスローガンとして打ち出そうとしていたわけですから、東亜中心の21世紀像というのも実践的な目標になっていたわけです。ですから不良債権の処理にてこずり、アジア諸国の追い上げに悲鳴をあげている日本経済の現状をどうすべきかということについての議論は、まったく棚上げになっています。

佐々木:それにしても何故「東亜共栄圏」などという戦前・戦中を思わせるような、いかがわしい用語を持ち出すのでしょう。

やすい:たしかにグローバル化の時代にあっては、東アジアや東北アジアという地域にこだわる必要はないかもしれません。また個人とすれば、自ら日本人であることにもこだわる必要はありません。グローバル市民として自分が最も活躍できるところで住み、グローバルな視野で活動すべきでしょう。資本などは本来が無国籍な性格が強いですから、最も成長力の強い地域に流れていきます。グローバル・デモクラシーからみれば、結果としてそれが人類全体や地球環境にとってプラスに作用すればいいわけです。

佐々木:といってもそのために弱者の切り捨てになっては困ります。人権や人間の安全保障の視点も忘れてはなりません。

やすい:全くその通りです。ともかくグローバル化は地球全体の統合ですが、当然その過程で、地域的な結びつきも強くなります。東亜の協力体制を強く、深くしていく必要があるわけです。

佐々木:それだけでなく、欧米の時代である近代から東亜の時代である脱近代、21世紀という発想があるのはどうしてでしょう。

やすい:それはグローバル化に伴って、社会体制や経済体制も抜本的に変革されなければならないし、そうした時代に相応しい新しい世界観や価値観が創造され、受容されなければならないと考えられるからです。

佐々木:欧米の近代を支えた産業資本主義や機械文明に取って代わる、新しい思想は東洋から生まれるのだということですか。

やすい:もちろんです。その思想こそ自分の主観・客観認識図式を超克した事的世界観なのだということも、おおいに匂わせています。日本と中国が世界の軸になるというのも、経済力における結合の意味だけでなく、近代の世界観を超えうる芽を東洋思想から見出すべきだという発想があるからです。

佐々木:そうしますと、廣松哲学もマルクスやマッハや現象学の批判的発展という性格だけではなく、やすいさんの指摘の通り、西田哲学や禅からの発展という性格も持っていたことを廣松自ら自覚していたことになりますね。その意味で禅宗での葬儀は象徴的ですね。

やすい:東亜共栄圏や東亜協同体という発想も、実は京都学派の発想であり、それを廣松自身が検証しなおし、批判的に継承しようとしているわけです。ということは西田幾多郎や三木清とも親近感を感じていたことになります。ですから戦中における「近代の超克」の議論も、決して突き放して馬鹿にするのではなく、また体制翼賛的で戦争協力的だからといって糾弾するだけでなく、内在的に理解し、批判的に継承しようという姿勢をもっているのです。

佐々木:そういえば戦時中の「近代の超克」の議論についても論及しているようですね。

やすい:西田幾多郎を中心にする京都学派には右派と左派があって、戦争に積極的に協力して、戦争で死ぬことを美化したのは『世界史の哲学』で知られた高山岩男らの右派で、三木清、船山信一らの左派は野蛮な侵略や帝国主義的性格に抵抗していたと知識人からは見られがちです。

佐々木:そういえば、梅原猛も高山岩男のことは自分たちに戦争で死ぬことの意義を示してくれたと、責任を厳しく追求していますが、西田や三木の責任は追及していませんね。

やすい:梅原は西田の苦悩の哲学に惹かれていたので、西田の責任にしたくないという心理が働いていると思われます。高山たちの世界史の哲学は、欧米帝国主義の支配から、東洋が脱出することによって欧米中心の世界史が終焉し、真の人類的な世界史が始まるというものです。その際に日本民族が中心的な役割を果せるかどうか、民族のモラーリッシュ・エナジーが問われているという構えで、第二次大戦に参戦する日本の世界史的使命を説いたのです。

佐々木:やすいさんの『西田哲学入門講座』によりますと、西田も「死して生きる」という論理を展開していたわけですね。

やすい:それに昭和研究会を中心に三木や舩山らが説いた東亜協同体やその協同主義哲学は、「世界史の哲学」と何ら矛盾するものではありません。欧米からの東亜の解放を勝ち取るための協力体制の構築を目指したものですから。両方とも西田幾多郎自身が持っていた方向性にそったものです。

佐々木:しかしそれらは野蛮で凶暴な帝国主義的侵略を美化し、隠蔽するものでしかなかったのでしょう。

やすい:ええ、歴史的にはそういう否定的な役割しか果せなかったのですが、東亜の協力体制を築き上げて、欧米帝国主義の世界支配を克服するという「近代の超克」の課題自体は批判的に継承していくべきだということです。

佐々木:しかしそれは侵略の合理化だったという意味では抵抗を感じますね。

やすい:最近廣松渉著作集の中国語訳が出ているのですが、何が中国の人々にとって魅力かといいますと、東亜協力体制の構築をとなえ、欧米の近代思想を超克する東洋的な思想の伝統を踏まえた脱近代の思想の構築を試みているところだと言われています。昭和研究会で三木と共に「協同主義の哲学」をとなえた舩山信一、私の恩師ですが、中国では大変高い評価を受けています。日本を代表する哲学者と思われているわけです。舩山によれば戦前は日本が近代化で先行したので東亜の協同で主導しようとしたが、戦後は中国が主導的になるのは当然だという見解でした。

佐々木:ということは中国は、東亜協同体の形成を日本を巻き込む形で行おうとしており、そのための参考にするために、「協同主義の哲学」や廣松哲学から学ぼうとしているということですね。

やすい:それは大いに考えられますね。中国主導で東亜協同体が形成されても共存共栄できるのなら、大いに結構ですが、今のままですと日本が落ち込んでいって、中国の経済圏に吸収されることにもなりかねません。日本側にもしっかりとした主体が形成されていないと困ります。

 

        近代の超克の思想的な中身は何か?

佐々木:東亜協同体を中心に新しい超近代の文明を作り、その原理でグローバル化された世界を引っ張っていこうということですね。しかしそれが相変わらずの産業資本主義であるとすると、中国・インドなどの十億人を超える地域での工業化は、地球環境に壊滅的な影響を与えるのではないかと心配です。

やすい:廣松もそれを一番憂慮しているのです。豊かさの象徴である乗用車の普及だけでも相当深刻な影響があるでしょうね。このまま中国が生産力至上主義で資本主義的な自由競争でやっていくと、地域格差や所得格差が大きくなり、その面での不満も飽和に達するでしょうし、環境破壊の深刻化で経済発展にブレーキがかかるようになり、やがて大恐慌で破綻するような事態も招きかねません。その意味で社会主義的な規制や計画性の導入なども不可欠になり、修正資本主義的な社会保障政策も重要になります。その意味で廣松自身はまだ社会主義の息の根は止められていないとみていたようですね。

佐々木:社会主義も生産力至上主義には変わりがなく、おまけに官僚主義や統制経済で破綻したのではないのですか。環境問題でも中国では市民運動ができないだけに、かえって公害問題は資本主義国以上にひどいようです。

やすい:確かにそのとおりですが、環境問題の解決のためにはかなりの強制力が必要なのも事実です。事態次第ではエコ独裁権力の必要性すら論議されています。

佐々木:そういうことと廣松哲学はどのように関連しているのですか。

やすい:物的世界観から事的世界観へというスローガンは、工業製品の大量生産大量消費から情報やサービスという事に近いものへ生産の中心が移行せざるをえない時代に相応しいかもしれません。

佐々木:情報自体をとってみても、書籍からインターネット情報に移行すれば、物から事への移行と言えますね。住宅や衣服の比重がこのところのデフレで落ちてきて、旅行やショー見物やイベントに、あるいは教養や文化に触れることの比重が大きくなるのも、事を中心に世界を観る見方とつながるかもしれませんね。

やすい:廣松自身は「物から事へ」を経済の情報化・サービス化と関連させてあまり論じてないようですが、その面に応用すれば分かりやすくなりますね。

佐々木:情報やサービスでも商品化されれば、物のごとく売買されるわけで、逆に事の物化であるとも言えますからね。「物から事へ」というのは思想的にどういう意味があるのでしょう。

やすい:世界を物と物の関係としてでなく、常に事態として生起している事として捉えるわけですから、常に自己自身の生々しい体験として捉えられるわけです。物と物の関係なら、物となってしまっているのですから、その物というものの知識や今までの慣習的なやりかたで関わっておけば,たいていは済んだし、また自分の力の限界からみてこれだけしかできないというのか、固定的に分かっていたわけです。ところが事の場合は対象は自己自身の体験であり、遭遇している事態であって、常に自分自身の状態として引き受けてしまっているわけです。

佐々木:「物と物の関係」として捉えるといいましても、廣松も事的世界観の説明で「関係主義的」という用語を使っているようですが。

やすい:ええ、物的世界観では、先ず物と物が在って、それらが関係しあうわけで、物が在るのが前提なんです。ところが事的世界観では、先ずあるのは事、事態であって、物はその倒錯的な物象化的錯視に基づいているのです。やすいと佐々木の関係も、物的世界観ではやすいと佐々木が先ず在って、両者が対談をするという構図です。対談の内容やその成果は、それぞれの人物の内容によって決まってくるのです。ところが事的世界観では、対談という事態が進行しているわけで、内容も成果も常に事態として生起し続けているのでです。この事態を函数的に記述する際に、対談というやすいと佐々木の関係が先ず捉えられ、関係の項としてやすいと佐々木が機能的に語られることになります。それで「関係主義的」というのです。その場合、事的世界観によりますと、やすいや佐々木を物として固定してしまってはだめです。両者とも事の契機なのですから、事の成り行き次第では、思いもよらない事態が起るかもしれません。

佐々木:弁証法では「対立物の統一」といいますが、物的世界観に即して言えば、「対立している物どうしの統一」であるのに対して、事的世界観で言えば、「統一の両契機としての対立物」ということですね。そういえば、精神病は多分に関係病で家族関係の危機が家族の誰かに精神疾患として現れたりすると言われます。個人の精神だけ見ていたのでは、とても精神疾患発生のメカニズムは分からないけれど、家族や会社や学校あるいは社会などの関係から生じるらしいですね。

やすい:先ほどちょっと触れられた「死して生きる」というのも事的世界観でいえば、息を吸い続けているから生きているわけです。断食し続ければ死んでしまいます。また古い老廃物を排出し、今までの自己と決別し、更新し続けているわけです。つまり日々刻々と我々は、環境と共に自らを再生しているということで、生きるということも、単なる連続ではなく、生と死の微分的な断続なのです。宮沢賢治のいう交流の電灯です。一秒間に何百回もついたり消えたり、生死を繰り返しているようなものです。そのように事として生を捉え返しますと、それぞれの刹那において自分が自然や社会の環境や関係によって造られ、生まれさせられているということですから、その大いなる力や意志を感じ、それと一つになって生きることが大切になってきます。

佐々木:そういえば、廣松哲学については革命家のわりには,実践的な主体についての展開が弱いという評判だったようですが、事的世界観ではその刹那刹那に世界と自己が更新されるので、それぞれの刹那に新しい創造のチャンスがあるということに実践的意義があるのですか。

やすい:その意味の事的世界観は廣松だけでなく、西田哲学での行為的直観では先ほどの「死して生きる」という論理でいわれていることです。また渡辺慧なども廣松より以前から事と物の違いに注目して、事的世界観を打ち出していました。廣松の場合は、それに加えて巨大な物質文明として立ちはだかっている国家や資本主義的な社会機構も結局は、人間間の関係である。だから関係を変えれば、資本主義でも倒せるのだという点にあるんだと解説する廣松派の人がいましたね。誰だったか忘れましたが、さすがに本人はそんな単純な説明の仕方はしていないと思いますが。

佐々木:物や機構だったらでっかくてとても倒せないけれど、人間関係なら組織的に団結したり、相手の弱点を衝いたりすれば倒せるのじゃないかということですね。

やすい:私はどうせ革命をするなら、民主的な多数派を形成して、国民的な合意の上で行うべきだと思います。それが急にできないのなら、職場や地域で民主的な改良を積み上げていけばいいのです。社会を人間関係それも階級関係に還元して、そこから変革の可能性を探ろうとしたのはマルクス的な発想です。ヘーゲル左派の論客たちは、ヘーゲルが絶対精神を歴史の主体と置くのに反撥して、現実的諸個人を主体とする方向性をもっていたのです。フォイエルバッハは、ヘーゲルの論理の自己疎外を見抜いて人類の類的本質こそが現実的な主体だとしたのです。ブルーノ・バウワ―は自己意識を、ヘスは諸個人の協働を絶対精神に取って代わらせたのです。マルクスは社会的諸関係のアンサンブルとしての現実的諸個人が社会を構成していると捉えたのです。

佐々木:廣松にすれば、現実的諸個人が諸個人という個体の集合が社会を構成しているというのなら、物的世界観による社会観である。マルクスはあくまでも社会関係の網の目として、関係を第一義において人間を捉えているということですね。

やすい;しかしその社会関係を構成しているのはやはり現実的諸個人でしかなかった。

佐々木:でもそれは関係の第一義性から捉えられた諸個人ですから、単なる個人の集まりではありません。

やすい:廣松の限界はそこではないかと思うのです。関係から捉えたり、事として捉えたりすることが肝心なことなんです。その際に物というのがしっかり捉えられていない。

佐々木:だってそれは、物は事の倒錯視によるのですから、廣松の原理では。

やすい:私が言いたいのは、社会を構成しているのは身体的な諸個人だけではなく、社会的な諸事物も含まれているということです。

佐々木:廣松の場合は主客図式の超克がありますから、社会的諸事物も当然含まれることになりませんか。

やすい:商品論でも人間の労働関係が商品間の関係に置き換えられて捉えられることを、人間関係が物どうしの関係に置き換えられる物象化であり、だから生産物は人間の社会関係の規定を受け取って、人間を支配するので、物を神にする最も野蛮なフェティシズム信仰に陥っていると、マルクスは『資本論』を展開しているのです。つまりマルクスは生産物は物だから人間の社会的規定を受け取るのは倒錯だと批判しているわけです。この議論を前提にしているのですから、廣松も、社会的事物の商品化を人間の物化あるいは人間関係の物象化と捉えており、そこに倒錯性を指摘しているのですから、人間社会を身体的な諸個人によって構成されていると捉えているのです。ですからいかに商品が人間の社会関係を示しても、それは労働の社会関係が物に投影して、元々物とは無縁な社会的諸規定を受け取らせ、人間が物にすりかわっているとしたのです。ということはやはり、社会関係はいかに巨大な物を包み込んでいるようにみえても、その実は人間関係なのだという見地にとどまっているのです。

佐々木:それではやすいさんは物が人間の社会関係を形成していると言われるのですか。

やすい:現代思想研究会は会員相互の関係から成り立っていますが、経済的な社会関係は、商品生産社会では商品間の関係として成立しています。その場合に商品には労働力商品だけでなく、ありとあらゆる商品が含まれているわけでして、物と物の関係なのです。

佐々木:一見、物と物の関係として見えるけれども、その本質は資本と賃金労働の搾取関係であるということを解明したのが『資本論』でしょう。

やすい:マルクスはそう考えたのです。そのことによって、あたかも身体的な諸個人の関係に還元できるかに思ってしまった。そこが根本的な誤りなのです。社会的な諸事物を含めて成立する人間を捉えなければならない、本当の「近代の超克」は事的世界観への転換だけではだめなんです。物的世界観においても発展がみられなければならない、というのが私の立場です。

佐々木:廣松哲学では、「実体から関係へ」「物から事へ」という移行が、「倒錯」というタームを使っているので、「実体」や「物」から説明することが倒錯だということになりますね。極言すれば「実体」や「物」なんて本当はないんだという立場なんでしょう。まあ仏教でいう「空」みたいなものですね。結局ナーガールジュナの立場では「一切皆空」なんですから。

やすい:宗教的な悟りとしてはなかなか凄いですよね。しかしその場合でも『般若心経』で「色即是空」と言って、すぐ「空即是色」と言いますね。それと同様ですが、「物は関係である」のですが、同時に「関係は物の関係」なんです。「事態が第一次的存在である」としても「事態は物の運動や関係としてしか現れない」のです。ですから「物の第一次性」も同時に承認されなければならないのです。

佐々木:やすいさんの議論はもどかしいですね。「事の第一次性」に反論するのだったら、「物の第一次性」を主張すればすっきりするのに、「それは凄い発想だとか」「大切な視点だ」とかいいながら、やはり「物の第一次性」も忘れてはならないというのですから。

やすい:そこが議論の弁証法的発展というものです。最初はやはり「事・事態」に還元する廣松の議論では非合理主義に陥る感じがして、世界は物と物の関係として捉えるべきだという「物的世界観」で批判しようとしていたのです。でも物も事態の統合でしかないということは否定しきれません。ところが廣松の議論では「物」は事の物象化的倒錯視という批判的な捉え方しかできないことになります。物の主体性や実体性、物の大切さとかいうものが捉えきれなくなっています。

佐々木:廣松は要素主義、実体主義の近代思想を超克しようというのですから、やすいさんは廣松からみれば近代を乗り越えられていないということになりますね。

やすい:哲学的な立場というのは、決して単純に乗り越えるべきものではないのです。プラトン学者に言わせれば、プラトン後の哲学史もすべてプラトンの注釈に過ぎないので、決して乗り越えてはいないことになります。主観・客観認識図式はデカルト以降の近代的な認識図式だと廣松はみなして、主客図式の乗り越えを「近代の超克」のようにいいますが、私に言わせれば、言語の主語・述語構造に既に認識の主客図式が含まれています。仏教や老荘思想には主客図式の超克の問題意識は強烈です。私の立場は、「哲学の大樹」なので、当然主客認識図式も、その超克も、物的世界観も事的世界観も、その占めるべき位置を確定できれば両立できるのだという立場です。

佐々木:それはとてつもない大風呂敷ですが、果たして論証できるのでしょうか。

やすい:私が一人でするのは荷が重過ぎますが、そのうち「哲学の大樹」という学派ができるので、きっとできるでしょう。

佐々木:おやおやまた大風呂敷ですね。一体どこに共鳴者がいるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

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