グローバル憲法草案やすいゆたか試案

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                 グローバル憲法の必要性

 われらグローバル市民は、グローバルな恒久平和体制の確立を願っている。その理由は、東西冷戦の終焉後、イデオロギーによる体制間対立の危機は克服したが、宗教や文化の相違に起因する文明間対立が表面化し、新たな緊張が拡大する危険は残っているからである。それに核兵器や生物化学兵器などが、科学技術の進歩で小型化・低廉化し、小国やカルトや国際テロ組織ですら入手可能になり、全人類に対してハルマゲドンをしかけてくる危険があるからである。

 また人類の経済活動のせいで、人類および動植物の生態系の破壊が深刻となり、オゾン層の破壊や地球温暖化など環境問題がカタストロフィの目前まできているとされている。一刻も早くグローバルな環境基準を設定し、国民国家や自治体、企業を厳しく規制できるグローバルな規制法を作り、その規制を実行できる環境保護のグローバルな組織が必要である。 

 そして経済のグローバル化が進展しているために、国民国家単位に行われる財政金融政策の有効性が制約され、深刻な長期不況が克服できず、財政破綻に陥る政府・自治体が増加している。今やグローバルな規模で強力な経済調整が行われる必要がある。そして、グローバルな金融政策を行うことができるグローバルな中央銀行が設置され、グローバルな通貨統合が行われる必要がある。

 これらの課題を考慮するならば、グローバル政府の設置が必要であると思われる。しかしそれが一部の大国や巨大資本の世界支配体制と実質的に変わりがないというでは、到底世界各国の同意を得ることはできない。それは全人類の福祉に適合したものであり、グローバル・デモクラシーに基づくものでなければならない。

 グローバル憲法の内容は、グローバル・デモクラシーの理念に則ったグローバル政府の実現を保障するものでなければならない。グローバル憲法の制定を国際連合や各国間の交渉だけに委ねておくと、国民国家の利害調整の妥協の産物としてのグローバル憲法しかできないことが危惧される。だからグローバル憲法は、グローバル政府の主権者たるグローバル市民の自由な討論によって形成された、グローバル市民の総意の表現である。このグローバル憲法の草案は、グローバル市民のさまざまなメディアや集会での討論の積み重ねによって形成されたものである。


                       
集団安全保障の原理

 先ず第一に集団安全保障の原理に基づく恒久平和の体制を構築することが重要である。たとえ小国や国際的テロ集団やカルト集団であってもハルマゲドンを引き起こし得る危ない時代に突入したのである。そのことは、人類の致死量の四倍ものサリンガスを製造した1995年のオウム真理教事件が、そして20019月の国際テロリスト団体アルカイダの、世界経済の中枢とアメリカ国防総省ペンタゴンへの飛行機による自爆テロ攻撃事件が象徴している。そしてこの被害を受けたアメリカ合衆国が、アフガニスタンを空爆するという形で解決が図られてしまったのは、覇権国が覇権を脅かす国を制裁したと受け取られるので、集団安全保障の理念からみて不幸なことであった。
 

 国際テロや地域的民族的宗教的な紛争に対しては、集団安全保障体制によって平和回復や治安回復を図るという原理が確立されていなければならない。そのためのグローバルな安全保障機構や警察機構が整備されていなければならないのである。そうでなければ、国民国家間の対立が深刻化したり、国際テロ組織がより大規模で周到な攻撃を仕掛けてきた場合に、人類のサバイバルは深刻な危機に陥ることになる。

 覇権国の圧倒的な軍事的優位の下で、国際平和を維持しようとする試みは、アメリカ合衆国の中枢部すら最終兵器による攻撃の危険に晒されているという現実によって、すでに破綻している。グローバル憲法が示す原則にしたがって、グローバル政府の軍事警察機構によって平和回復、治安確立が図られなければならない。(グローバル政府ができるまでの過程においては、集団安全保障の理念に基づき国際平和機構を有効に機能させて解決を図るべきである。)

 グローバルな統合の時代にあっては、いかなる国民国家も軍事的優位を保って覇権を握ろうとしてはならない。そしていかなる国民国家も核ミサイル兵器および生物化学兵器を製造・保有・使用してはならない。それらは速やかにグローバルな軍縮管理機構に移管され解体・廃棄されなければならない。その上で各国民国家は、グローバルな軍縮会議により、常備兵力全廃を実現させるべく、協調すべきである。

 集団安全保障の理念とは次のような内容である。国際社会を構成する全ての国民国家が参加して、条約機構を形成し、そこで相互の不可侵と主権尊重を約束する、そしてその内のいずれかの国が条約に違反した場合、他の構成国のすべてが違反国に対して共同制裁の義務を負うというものである。


  そのことによっていかなる大国といえども、国際紛争を武力や恫喝で解決するとができなくなり、世界平和が保障されるというシステムである。戦争ができなくなった結果、軍事力の保持が経済的な負担でしかなくなるので国際的な軍縮交渉がスムーズに進み、常備軍の全廃が実現して恒久平和体制が構築されるというのが集団安全保障の理念である。

 国際連合もこのような集団安全保障体制を理想にしていたが、共同制裁のための国連常備軍の形成がうまくいかず、充分に機能できていなかった。グローバル政府設立に当たっては、その下に各国民政府は、その兵力の一割を提供し、それを混成軍にして各国に配置し、全面軍縮への環境を整備すべきである。したがってどの国民国家も、国内軍の一割をグローバル政府軍に提供するか、国内常備軍を全廃して、グローバル政府軍に自国の安全保障を委託するか、いずれかを選択しなければならない。

 いかに集団安全保障体制を整えようとも、世界に貧窮や隷従があり、偏見や差別、迫害や圧制が存在しすれば、そのような世界を憎悪から暴力や戦争に訴えても破壊しようとする勢力が現れてくるのは避けがたい。したがって真の集団安全保障とは、何よりも同じ宇宙船地球号の仲間として相互に理解しあい、助け合う精神に基づいて行動することである。そのためのグローバルな協調体制を作り上げることが大切である。そのさいに自発的なグローバル市民の非政府組織の活動が大いに尊重されなければならない。


                   
生命の星を守れ

 18世紀に始まった産業革命が、20世紀末にはグローバルな規模での工業化まで進展した。それに伴う地球環境の破壊は、宇宙船地球号のサバイバルに深刻な危機をもたらしている。工業化が進み、乗用車が現在の途上国にも普及すれば、21世紀中にも地球温暖化、大気汚染とオゾン層破壊、酸性雨による被害は近代工業文明全体のカタストロフィを引き起こしかねない事態になっている。

 世界最古の文学である『ギルガメシュ叙事詩』によれば、古代文明の発祥地シュメールの王ギルガメシュは森の神フンババを殺して、文明を興したと語られている。メソポタミアやインダス文明は森の破壊で滅亡したのだ。彼らも森の減少が気象に変化をもたらし、文明の破壊につながることを知らなかったわけではない。あくなき富の追求に駆り立てられ、環境対策を怠った結果滅亡したのである。

 今日は科学技術の目覚しい進歩によって、環境を回復し、改善する技術も進歩しており、グローバルな協力によって、環境規制が行き届き、環境改善への協同の取り組みが積極的に行われれば、環境危機を防止できる。それだけでなく、美しい水と生命の星、奇跡の星である地球の健全な生態系を子孫に引き継ぐことができるのだ。グローバル市民は美しい地球の自然環境と生命の循環と共生の営み、その上に花開く人類文化をこよなく愛し、それらを守り、発展させ、創造することに誇りと生きがいを抱くべきである。

 このように地球環境の保全が人類および生きとし生けるものの存亡に関わることを充分承知していながら、地球温暖化防止の国際的取り決めすら大国によって反故にされてきた。また先進国への途上国の反発から、環境保護のためのグローバルで統一的な規制の基準すら合意されない状況が続いた。事態は古代における文明の崩壊を繰り返しかねないところまで深刻化した。途上諸国の工業化が進展しつつある以上は、先進諸国並の環境規制を途上国にも適用する必要がある。そのためには先進諸国の環境技術を途上諸国に移転するための、グローバルなシステムを早急に作り上げなければならない。

                
グローバル・デモクラシー宣言

 
全地球の全ての人々が主権者として主体的に参与するグローバル政府の政治体制は、グローバル・デモクラシーの理念に基づいたものでなければならない。グローバル・デモクラシーとは何か。それは恒久平和や地球環境危機への対応、基本的人権の擁護など、全人類の存亡に関わる全人類的課題を優先して、そのために全人類が協同する運動である。

 グローバル市民は、そのために自分たちは何をしているか、また自分たちには何ができるか、常に問いかけ、話し合い、創意工夫をこらして協力しあっているクリエイティブな主体であることを要請されている。そしてグローバル市民たちは地域コミュニティでの共同を大切にしながら、同時に直接全世界の人々との協同に参画しようとする。それにはグローバル市民の基本的人権として「全世界に情報を発信し、全世界から情報を受け取る権利」が認められなければならない。グローバル・デモクラシーは全人類の協同を実現するために必要な全情報が全人類に開示されて、はじめて有効に機能しうるのである。

 グローバル・デモクラシーは、グローバル市民の総意を民主的手続きによって形成するグローバルな政治システムを要請する。それは国民国家の連合としての国際連合の限界を克服するものでなければならない。しかし国民国家も地域国家としてグローバル政府に参加する以上、国民国家の代表の集まりとしての上院と、地球を百余りの選挙区に分けた代議員から選出された全人類を代表する議員による下院から構成されたグローバル議会が設置される。グローバル・デモクラシーも近代代議政治の伝統を継承しなければ、とても正統な政府として認知されないからである。

 

 しかしグローバル・デモクラシーの運動の主体的な担い手は自覚的なグローバル市民である。そのクリエイテヴな活動に支えられてはじめて、集団安全保障や地球環境保護、人権擁護の機能をグローバル政府も果たすことができるのである。したがってグローバル市民が個人としてまたはNGOを通して発信するグローバル世論やその運動を尊重する直接民主主義的体制も整えなければならない。

 

 グローバル・デモクラシーをデモクラシーのグローバル化と捉え、非民主主義的国家を政治的軍事的経済的外圧によって民主化することと誤解してはならない。デモクラシーを外圧によって、無理に注入しようとするのは民主的ではない。他国の民主化に貢献するのは、民主的国家が魅力ある国づくりの模範となることによってである。

 グローバル・デモクラシーは、生命の循環と共生の原理にもとづく健全なる地球環境の下で、全人類的福祉を優先し、全人類の福祉に叶うように行動することである。それはグローバル政府の原理であると共に、国民国家や全ての自治体、企業、非政府組織、団体、個人の行動原理でもある。各組織や諸個人はそれぞれ自己の福利のために行動する権利を有するが、それが同時に、地域社会や国民国家やグローバル社会において、全人類的な福祉に叶い、地球環境にとってもプラスに作用することを求められているのである。

(グローバル政府が立ち上げられていない段階においても、すべての政府・自治体・企業・団体・個人は、グローバル政府が存在して、それがグローバル・デモクラシーに基づいて全人類的福祉のために行うであろうと考えられる調整に叶う行動を選択する倫理的義務を負っているのである。)

 グローバル・デモクラシーは、豊かな国家がより豊かになり、巨大企業がより巨大化することを一方的に批難するわけではない。そのことが地球環境や全人類的な福祉にとって、マイナスに作用する限り、厳しく規制するのである。貧しい国や地域への援助や開発は、それが地球環境の破壊に歯止めをかけ、市場を発展させて、全人類の福祉に叶う限りで奨励するのである。決してそれが急速な工業化によって、地球環境破壊や経済秩序の混乱を招き、全人類の福祉にとってマイナスになってもよいというのではない。

 とはいえ政治・経済・交通・通信のグローバル化は、資本と人と物資と情報の自由な交流を促進させずにはおかない。また教育水準の世界的平準化をもたらさずにはおかない。そしてそのことが大局的には全人類的福祉の向上につながるのである。そのことを了解した上で、各国民国家や企業や団体や諸個人が、全人類的福祉に叶う限りで、大いにグローバルな競争を展開すべきである。その中でこそ自己の幸福を追求し、能力や個性を伸長させ、自己実現を行うことができるのである。


               
グローバル市民の権利・義務宣言

 
グローバルな統合の時代おいては、全人類はグローバル社会の市民としての自覚を求められている。そしてグローバル社会をおいては、個人の尊厳が認められ、人格として尊重される。だれもが大いなる生命を宿し、かけがえのない人生を生きている。いかなる個人や権力といえども、自己および他者の人格的尊厳を蔑ろにすることは許されない。
  
 そしてだれもが人種、膚の色、性別、門地、宗教、信条、思想によって不当に差別されずに、自己を実現し、幸福を追求する権利を保障されるべきである。そのためにグローバル市民は、コミュニティ、自治体、企業、団体、国民国家、グローバル社会において、言論、表現、情報蒐集および開示、集会および結社の自由が保障され、マスメディア及びニューメディアへのアクセス権を保障される。そして自治体・国民国家・グローバル政府に対して主権者として平等な選挙権・被選挙権を含む参政権が保障される。

 グローバルな統合の時代においては、グローバル市民の生活はグローバルな競争にさらされるので、雇用不安や生活不安に陥る可能性が大きい。グローバル社会はグローバルな規模での雇用調整や居住調整をおこなうシステムを整え、グローバル市民の生存権、勤労権を保障するように勤めなければならない。また国民国家は生活困窮者に文化的な最低限の生活を保障し、失業者の再雇用のためのシステムを整え、国内労働力の質的向上をために教育水準の向上に努めなければならない。


 
グローバル社会においては、基本的人権が地球上のすべての地域において保障されることが求められる。(グローバル政府の立ち上げの時点で、基本的人権を保障できていない国民国家とその国民は、グローバル政府に参加する権利を制限されざるをえない。)

 グローバル市民は、基本的人権を与えられたものとして、ただ享受しているだけでいてはならない。この権利を最大限に活用して、大いに自己の可能性を追求し、自己実現を図らなければならない。そして自己の帰属するコミュニティや自治体、国民国家、グローバル社会での責任を分担し、主権者としての義務を履行しなければならない。そして恒久平和や地球環境保全などの全人類的課題を優先し、自己の職場や生活の場でその解決に努力すると共に、グローバルな協同に参加すべきである。

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この案は、グローバル政府を立ち上げることを前提に作りましたが、グローバル政府ができる以前の「グローバル憲法」や、グローバルな行政組織なしにグローバル統合を構想するような「グローバル憲法」の可能性も追及する必要があると思われます。

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