グローバル憲法草案を作る会掲示板7

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2002年2月18日 夕刊読売新聞 文化欄より 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 221()142025

「グローバル憲法」草の根レベルで模索の動き重要

「グローバル」と聞いて思い出す言葉。グローバルエコノミー、グローバルスタンダード、最近だとグローバルテロリズムー。あらゆる事象が世界中を巻き込んで進むグローバル化はもはや止まらない。それにまつわる矛盾や衝突が次々に現れる。ならば、世界の人々をつなぐ理念「グローバル憲法」をみんなで考えよう。そんな呼び掛けがネツト上で行われている。
哲学やキリスト教関連の本を出している著述業やすいゆたかさんのページだ。だれでも書き込みできる「グローバル憲法草案をつくる会掲示板」が設けてある。なぜグローバル憲法が必要なのか、中身をどうするか、自由な討論が進行中だ。
「グローバルデモクラシー理念の確立」や「軍事力のグローバルな管理」は、いま世界的に論議の的になっている。二十一世紀の人権としての“全世界に情報を発信し、全世界から情報を受信する権利”“だれもがどこででも労働する権利”もあがっている。聖徳太子の十七条憲法を現代風に解釈し、検討材料として投稿する人もいる。
外国人にも参加してもらうため、英語や中国語の翻訳ボランティアを探している。「遊びではないのか」という声に、やすいさんは「遊び心と冗談半分は意味が違う」とこたえる。
米国で開かれた世界経済フォーラム総会でも強者の論理で進むグローバル化を反省し、弱者への配慮や倫理の大切さを見直す声があがった。「憲法」を実際に制定できるかはともかく、草の根レベルから普遍的理念を模索する動きは重要だし、今後各地で盛んになっていくのではないか。六十億の人類にとって、「平和共存」よりもいい選択肢は無いのだから。
(達)

やすいさんは、大阪哲学学校(078・981・2210)の招きで、23日午後1時半から、兵庫県尼崎市立労働福祉会館で講演会を開く。

大阪哲学学校で「グローバル憲法草案」作成運動で講演 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 224()050524

2002年2月23日(土)「グローバル憲法」で講演しました。大変議論は白熱しました。

 「グローバル」という表現は「グローバリズム」を想起させ、これがアメリカの覇権のもとでの世界統合を意味しているので、「グローバル憲法」もその動きの一環とみられるのではないか、誤解を避けるためには「地球憲法」「世界憲法」の方がいいという意見も出ました。

 しかし私は、グローバル・デモクラシーに基づく憲法なので「グローバル憲法」なんだということを強調したのです。この「グローバル・デモクラシー」という言葉もアメリカ型デモクラシーをグローバルに押し付けることだという誤解がありますが、元々はグローバルな全世界の人民の総意のもとでグローバル統合が行われ、グローバルな政治経済の運営がなされるべきだという立場です。

 グローバル憲法を専らグローバル市民の倫理綱領と捉えて、グローバル市民にその倫理綱領をつくり共に実践する団体として、グローバル政府をバーチャルにたちあげて、グローバル市民章を発行してはどうかという意見も飛び出しました。その運動が大きくなっていけば、それがグローバル・デモクラシーに則ったグローバル政府を実現する推進力になるのではないかという意見です。

 田畑稔さんにはNGOとして『グローバル憲法』をつくる運動を組織するように勧められました。その場合には、倫理綱領だけでなく、グローバル政府の制度や基本法(最高法規)としての規定も盛り込むべきだというご意見でした。

 山元晴義先生は、現実の運動主体のことを考慮に入れないと宙に浮くことを心配されていました。アメリカ主導のグローバリズムに対する抵抗は、NGOなどの連携としてかなりの盛り上がりをみせているので、そういう動きを踏まえて主体形成を考えるべきではないかというご忠告のようでした。

 その他、グローバルな規定を作ろうとすること自体への拒否反応もありましたが、おおむね積極的に評価していただけたようです。それで是非とも、根本的な疑問や反対論でも結構だから、この掲示板への投稿をと呼びかけましたが、果たして参加者の何人に投稿していただけるのか、楽しみでもあり不安でもあります。 

(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 224()060149

(うちわっぽくて済みませんが、終わって)グロ憲の、定例報告会は、どうなりますか。ほかでも憲法そのものを否定される、伏兵がおられるようです。報告会は「威信」をかけて、ハルマゲドンだ。
宇宙憲法とは、哲学学校を1/1000に測りなおす試み。
地球憲法では、環境問題で1/100人、集める日に喪う
地球連邦こそ、つくる会を1/10指に数えさせる実践。
グローブ憲法なら、1/1の非限定の対象限定、限界。
披露。まずは呼称から試練の「入瀧」ですね。思い入れ強度。
漠然とした具体的行動、哲学者の想像力、箱庭から抽象展開。
(仮想で強制する運動を止める原理はない。無理というなら尚更)
(意味が解って反論しつつ日本語になってないとか。文法を言え)
T氏が、2度も、グロ憲をもちあげた謎、何故。
もう、やめちまえ、の御茶づけでもなかろうに。
あくせす、は、ふえましたか。ふえても、ぜんぶ、えすさん。
さびしー。匿名性の、りんり、より。(暇か、と言われると書けないや。パージ)


アソシエ界の外の光 投稿者:rinri  投稿日: 224()100633

(あれ、このネットカフェのブラウザのせいでしょうか、消えたはずの記事が現れてきました。当方の勘違いの可能性もあります。これから、というときに、たいへん申しわけありませんが、
そちら様のご判断で、よろしければ本日の失態分と思われる記事を消去してください。ネットは、そういう問題があって厄介ですね。というか、そういう陥穽に填まり込むのは当方だけ?)
なお、当方は田畑氏のアソシエーション世界を外部から補完する存在として、世界政府をイメージ
しています。それは3次回でも出た話題です。
(やすい氏は珍しく2次会出席、年長組は、ついに心身ダウンか)
倫理的に絶対的に包摂できるなら、アソシエーション非加入者も、アソシエーションのせめぎあいのはざま、中立地帯のアライバルゾーンで保護できるわけです。警察機構の警戒下で。
ノンポリの、見かけ上の難民たち、世界意識の成熟者にとって未成熟なかたがたも伸び伸びと生きられるような。独立国家をもてないひとの直轄(租税支配、強制互酬、封建後期)は、シカゴ草案でも、触れてあったと思います。(路上生活「積極・結果的」選択者の「国際」版)国家をあえてもたない、ネットワークでもない分散集団の問題は、少なくとも議論の余地はあるでしょう。(いわゆるユダヤ人・クルド人の、問題の先に)
これは、対アソシエーション論の腹案だったのですが、今回の熱い議論にも関わってきました。
ともかく、具体的イメージという抵抗感、触覚のある場をえた精神たちは、いい雰囲気を醸してゆくように主観(予感)します。つまり、哲学学校にとっても、近年まれにみるカンフル剤として、失礼ながら、よかったのではないでしょうか。あの時間に、なんだか光りが、やすいさんの背後から差していたというのか。(コワ)
ぼくの暗示的な、つたない表現どもにフォローありがとうございました。
ポイントを押さえている面もあったはずですが(なぜか、多くの人の「見る」ところはおなじかも)いずれにせよ、余分な手間だったかもしれませんね。
さ、戦勝ムードから〆て参りましょう!(巻き返しを窺う地下抵抗勢力もあるかも、です)


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 224()103542

(ぼくばかり、というか、投稿・アクセス増の期待ふくらむなか、たびたび済みません。)ラジカル憲法の参項掲載はどういたしましょうか。
例によって「著しく」誤解を招く当方のキャラ全開の内容ですが、前回の討論に使われただけの、よいいみの挑発的意義はあって、全壊ではないとおもいますが。
こちらに移すとすれば、ほんらいの憲法は簡単につくれるという趣旨のわかる全体を投稿いたします。
(何度も見にくるのが、面倒なので、紅茶を飲んだ段階で御返事がなければ、注入します。こうかくと、ゴリ押ししたいように映るかもしれませんが、少しだけ、ゴリ押ししたいくらいなものなので)


構えない。この程度なら作れそう。批判もできる。 投稿者:rinri  投稿日: 224()104905

世界憲法をつくって遊ぼう!
@ まず、条数を決めます。
A 次に(それらしく)埋めてゆきます。
B 最後まで埋まれば、できあがりです! ヤッタァ
   欠番をいれておくと、あとで編集に便利でしょう
 下記の憲法はネタですから、真似しないようにしましょう。
タイトル  ラジカル憲法  (草案)
前文    人間は生まれながらに不平等である。しかし、人権において対等である。
第1条  (殺人権)  人間には殺人権がある。
第2条  (殺人権の制限1)  殺されることが「物理的に」確実な場合。
第3条  (殺人権の制限2)  殺す側に全責任が有る場合。
第4条  (殺人権の主体)  第3者の介入(代行)は認められる。
第5条  (殺生の自由)  人間には殺生の自由がある。
第6条  (殺生の自由の制限)  殺生の対象に人格を認めるとき。
第7条  (人格主体の自由)  人格のある者を不当に拘束してならない。
第8条 (同上拡張1項)人格を認める対象をペットとして飼ってはならない。
第9条 (組織としての人格の不在)  組織は関係を規定した集団に過ぎない。  
10条(普遍民族の否定)何人からも認知されるべき民族を主張してはならない。
11条  (性の自由)  男女のいずれか一方を任意に名乗ることができる。
12条  (家族の自由)  子供は親を、大人は子を選ぶことができる。
13条  (国家の自由)  何人も自由に、属する国家を選ぶことができる。
14条  (市場としての国家)  国家は売買の規制を契約することができる。
15条  (国家人権規定)  国家は人権について決裁してはならない。
16条(命名の自由)国家・家族・個人ほか組織は、自ら命名することができる。
17条(命名の方法)命名は、全員の合意、もしくは間接的合意(委任)によっておこなう。
18条(養育資格)  養育は資格のある者がおこなう。扶養はこの限りでない。  
19条(欠番)予算節減・欠缺の恐れのある民間交通の改善、定期査察。(調査審査の禁止)

20条  (世界政府)  世界政府を置く。
21条  (世界政府の目的)  世界政府は人権を監視し、物理的に介入する。
22条  (監視の自由)  私的(安息・活動)領域の外は自由に監視できる。
23条  (世界政府のメンバー)  有志の者で、世界憲法の適格者。(貶黜)
24条  (準備期間)  法をもつNGOとして開始する。
25条(統廃合)おなじ法のNGOは一つとみなす。(最も合理的な法をもつNGOが政府候補)
26条(宣言)法の不備が改善されない限り、政府を称することができない。(政府交代)
27条(警察機構)第1〜3条に基づき、武力を保有し、行使する機構をもつことができる。
28条(政府の財政)政府は警察機構を運営し、費用はすべて犯罪「者」から徴収する。
29条  (権限)  警察機構の捜査権は、プライバシーに優先される。
30条(警察権の分立)  政府は2部以上の警察機構の財務・事務を統括する。
31条  (政府の構成)  警察機構  裁判機構  ……
32条  (裁判権の分立)  30条に準ずる。
33条  (国家・個人の武装)  一切、禁ずる。
34条(兵器の製造・貯蔵) 世界政府への納入・管理を超える兵器は廃棄する。
35条(ライフラインの承継)ライフラインの存在を前提とする者に供給を続ける。
36条(管理)ライフラインの所有者として組織一括で承継できるが、世界政府に直轄される。
37条  (インフラの存続)  現有のインフラは状態を維持するか、元の環境に戻すか、補償する。
38条  (設置)  環境への量・質の不可逆的変更は、使用契約を提示し、同意を条件とする。
39条  (インフラの独立)  新規インフラは独立し、国家はインフラを、契約で所有する。
40条  (改憲)  論理的に誤った憲法は証明され次第、即時変更される。契約は再協議される。


オリンピックが終わりホットしました 投稿者:SASAGE  投稿日: 226()235158

 やっと冬季オリンピックが終わりホットしました。
オリンピック期間中、マスメディアのわざとらしい、日本人選手の応援にうんざりした人はわたしだけではないでしょう。
 念のために言えば、国際競技大会で、自国選手を応援する人は「世界市民」の資格はありませんヨ。そして「世界市民」こそが「グローバル憲法」の担い手であるべきです。
 オリンピックが済んだら、こんどはサッカー、ワールド・カップがあるんですね。いい加減にしてほしい。
 毎朝、NHK衛星のBBCニュースを見ているんですが、これがオリンピック期間中は放送されなかった。オリンピック放送のためです。わたしにとっては、いい迷惑です。
 平成天皇が、桓武天皇の母親が百済人の血を引くという発言したことに刺激されて、日本テレビには、日系コリアン・タレントに韓国のルーツの地(親や祖父母の出生地)を訪問させる番組の企画があるそうです。藤原紀香や木村拓哉の出演が検討されているらしい。
 この企画は、日本人の国際感覚、歴史感覚を刺激するのでいいかもという人かがいるかも知れないけど、とにかく平常通りのニュース番組をけずらないでほしいな。
―――以下、『行政調査新聞』引用です―――――――――――――――――――――  http://www.gyouseinews.com/storehouse/feb2002/001.html

 こうした状況のなかでワールドカップ日韓共催が開始される(5月31日開会式)。
 この日韓共催ワールドカップに先駆けて、天皇陛下のご発言をより明確に一般 レベルにまで達しようと、NTV(日本テレビ)が興味深い企画を立案中だ。韓国側の了解も得られたというから、形が多少は変化するかもしれないがこの企画がオン・エアされることは間違いない。
 この興味深い企画とは、日韓を結ぶ人脈・文化の深淵を探るというものである。――いや、こう書くとじつに哲学的内容に思われるかもしれないが、じっさいには日本で活躍する在日芸能人大特集のようなものだ。
 この企画の発端は、故・松田優作(平成2年没)の故郷を訪ね彼の生い立ちや韓国名も明らかにして、日本と韓国の縁をうたい上げようというものだった。だが、松田優作だけでは興味を魅かないだろうと、日本で活躍する在日系のタレントを大集合させ、それぞれが故郷(本籍地)に帰るという企画となった。ところがご存じの通 り、およそ日本で活躍するタレント芸能人の類はほとんどが在日系である。
 噂では、当初は和田アキ子や都はるみ、西城秀樹らを取り上げる予定だったらしい。しかしそれではあまりにも当たり前で、興味をひきそうにない。そこで、より大物タレントとして名があげられているのが、藤原紀香と木村拓哉。ただしこの二人が自分の出生の秘密を明らかにすることに同意するかどうかは、目下のところ不明である。 
――――――――――引用終わり、――――――――――――――――――――――――


無題) 投稿者:rinri  投稿日: 227()014555

「国民加入国家」構想
国家結社の自由
脱退独立の自由
万人は、絶対的には「世界連邦」にのみ、倫理上、帰属する。
  (辻野さんが口火を切られた、国家の本質的問題に関して)
哲学学校では、シャドーキャビネット、バーチャルピープル関係の話もありました。或る面ママゴトのようなそういう次元に留まらずに、事が国民加入国家制度という社会契約の問題にまで及ぶと、世界国家「傘下の」構成国家の在りかたが問われてきます。
それは、ただ単なる個々の地域国家の問題ではありません。在りかたを指定し、その維持を管理してゆくことになる世界政府、ひいては文言として確定せざるをえない憲法(作成)を直撃するのです。つまり、現状において当たり前でない存在としての、国民加入国家の存在を容認するのであれば、少なくとも容認を一条、憲法に謳うことになるでしょうし、そうなれば、その取り扱いを既存の「国民国家」に対して、どう位置づけるかが問われはじめるわけです。もし、国民加入国家に、独立かつ対等の資格があるのなら、一国一票の国連的な図式は、早々に崩れるかもしれません。
そういう世界では、多数決で協議する以外の選択肢として、意見が異なる者は別の法治国家を目指すという分裂方式を採るのです。
これは、散在する民族とか、各国の習俗上みとめられざる性嗜好など、マイノリティー性を「問題として抱えた」少数派にとって朗報でしょう。その延長上には「少数者」たる「泡沫」ネットワーク国家の乱立が・・・そういう仮想が在るわけです。
見えない「マイクロステーツ」の姿で登場する新国家が、独自性の象徴として、固有の仕組みを設定する枠組みには「価値の蓄積と交換」も当然でてきます。ネット上で遣り取りされるネットマネーは、やがて「子供銀行券」のごとき玩具を超えてゆくかもしれません。
それに対して、従来の地域通貨の場合は、人的接触の範囲での共有がメインです。グローバリゼーションに対抗する経済の新しい在りかたなどと構えがちですが、先んじてボランティア精神の「延長先」に位置してもいるわけです。
ですから、こちらは「人肌の通貨」と呼ぶのが相当かもしれません。
地域通貨にも見られるような「人との関係を密にする」という「幸福」の主たる (多数派) ニーズのシフトは、短絡的にはむしろ、自己の価値観・価値とは無関係な人間との、没交渉を必要としています。
見たくない存在を排除する方向での摩擦回避の是非はともかくとして、そういう個人レベルの総需要が、新しい国家制度、制度国家を希求しはじめても不思議はないでしょう。
立場や趣味を同じくする者が国家を共にできる、という発想は、国家の境界を律儀に守るリージョナルな限界がないだけに、ひとたび衆知ともなれば、大変な席巻になるかもしれないわけです。しかもこれは、単に空間的に嫌いな人と住みたがらない離婚・家庭ばなれ、個室化・個食、また閉鎖型パーソナル通信網どころではない、謂わば純然たる「観念空間」における棲み分けですから。
  (それはまた、許されるべき、集団的独我論の自己純化過程です)
それに、エコマネーのように地域社会に開かれないネット上のアソシエーションは、高度に閉鎖的であるところから、無自覚であると、かく在らざるとにかかわらず、「呪物的意味」と「しきたり」が付与されるがために、その感覚・知識を共有しない者にとってネットマネーが、壁として立ち現れるような祭具となるわけです。
そうした、ネットの中空に浮かぶ「土地なし国家」への十分条件が文化の共有であるとすれば、建国は文化をこそ、筆頭の・・・純粋に・・・動機とすることでしょう。
他方で、幾多の横断的国家を胚胎する宿主となった土地国家では、文化の多様化は亡国を意味するのでしょう。
(価値を共有できない集団なのだから、しかたがありません)

動き、散らばる、フィヨルドのような国境をもった、しかも重なりあう非階層型の文化諸国を統合できるのは、居住拠点である地表を完全にカバーする、まさに「地球政府」だけなのです。(地球政府が「実利害の調整」を担います)
この場合、地域ごとに(構成単位をとりまとめて)階層化してゆくという具体化構想は無意味になります。
またEUに見られるような、(断層的・離散的にでも)漸進させるという、時間軸上での弁証的、漸層的プロセスも通用しません。
地域統合として、ほんとうに合併・統廃合・集散離脱を繰り返しながら、少しずつ融合しているのか・・・何ら確たる保証のない、そういうリニアな思考と働きかけが、すでに「古いもの」となります。一進一退、「前後不覚」の、時系列から開放された均等価値の場では、目的の、約束の地という中心化(=従属部分の配置)からも逃れ出るのです。
(このことは「倫理的実現の遅延」の問題、そして「哲学史とは無縁の本来の一般生活者」に、自生的・栽培的・サイバーフィールド的に植わった「近代自覚的歴史観」にも関わってきます)
そうなるとさらに「多段階の代表選抜」とか、人や組織の固定的なヒエラルキーが、滑稽味を帯びてきます。
もちろん、これからの社会においても、契約の必要上、意思決定は便宜的に階層化しましょうが、それらは少なくとも、常に組み替え可能なわけです。
たとえるなら世界政府は変わらないキャップであってもアソシエーション諸国は柔軟な下半身です。おなじ顔ぶれで、常連として国際会議 (議会) を占めるわけではないのです。
したがって、我こそが国家である、と独占的にスクラムを組んできた国家群は、「格下の」アソシエーションに、ではなく、資格をえた「アソシエーション国家」の参入によってこそ、「完全な構造で」相対化されるというわけです。
国家の相互承認といった循環論法ではなく、自然法に接地した世界政府が、合理的に 国家存(在-成)立 の適否を判断します。それが権威主義的でない、理性的な「神授」です。
国家存在承認の特権という表現が相応しないなら、国家の資格審査機関たる資格とでもいえばいいのでしょうか、論理的帰結なのです。
(国「連」レベルで審査しても、それは「他国を」仲間に入れるかどうかの 「職業組合 (協会) 内外」 の話で、けっして「メタの判断」による「垂直の昇格」の認知・認定ではありえませんから)

  (参考T)
> 弱小国家を「差別」しないという点でいえば、それはエストラーダ主義にちかいかもしれません。世界政府は、とりあえずはハイポリティクスの包括交渉の場として機能しますが、行政担当分野における世界政府の小ささも含め、「ネットに住まう軽国家」と親和的であるところから吸着するのみならず、来るべき「造山運動」においては、必要かつ極小の分野での統合からの(心理的)スピルオーバー効果も期待できるのです。それは具体的には結束力として、(充分な)飛躍への初速をもたらすでしょう。
<通貨支配に>
さて、個々に仕組まれたシステムの多様性からくる市場領域の複雑性からいって、ネット上の「私設通貨制度」群は (当面は) オペレーションの効果の届かない裏経済となりえます。むろん構造不況にもたらす吉凶は未知数です。
<超「法治」的に>少数派が、内在国家を結成して「入れ子」構造の二重の法を守ることで、自負を満たし、希望を授かるとしても、過酷な、苦行僧のような生活にさえなりえます。現在の法じたいが既にあるいみ「窮屈」ですので。人間の生態上、自制の節減傾向は基本です。すると、ほどなく法を食み出てしまいます。
  (参考U)
> エートスのようにして絶対多数に遵守されてない「国民国家」の憲法理念は、有名無実であり、憲法=国家であれば、取り締まったところで、国家はすでに終わっているわけです。 ・・それゆえ、既存の国家に自主的に抵触しないのは、戦略的な合意と、遵守の保証があってこそで、自然発生では難しいでしょう。
国民加入を概念として導入するとき、その国民加入国家からすると、世界政府の樹立は「共通の国家制度」下にある諸国の再編という捉えかたでは不充分です。それ自体再編された国家の統合を要求し、革命的国家変革のあとにようやく世界政府が実現されうるような、プロセス上の厄介な「ジレンマ」を生じてくるかもしれません。
以上のように、国民加入国家のアイディアを加味することは、憲法制定には高負担ですが、制定運動としては「面白さ」があります。
(……すでに幾多の失敗をみた「独自国家」構想に飛びつくような憲法運動ならではの陥穽たる悲惨な末路、との外観とは裏腹に‥‥)
もとより世界政府自体が諸国のネットワーク国家なのです。(地所不所有)世界政府は、意思決定合議体ではないので「直接制定」を狙えるような政府として在ります。
「成熟した」 (覚醒した) ポリティカルなボランティア市民が「その」必要性に気づいたら (その時点で、即) 「急浮上」するのです。
議論の場としての運動は、めまぐるしい運動体であり、実相も予断も許さない不透明性からそれ自体が覆面国家として捉えられるし、同時に、「文化地域的」拘束を超え、出自と「契約の倫理的根拠」が開示された透明政府でもあるわけです。 ただ、国民加入国家が、いくら倫理的理想を体現していようとも、現時点での国民加入国家の現実感の無さは、仮想好きの「新世代」の目にも、娯楽性をむしろ殺ぐ要素かもしれません。
〜 では、話を転回してしまう「国民加入国家」は、仮に正統性があるとしても、混乱を避けるために、留保しておけばよいのでしょうか。 〜
「グロ憲」が最終的理想でない、暫定的道徳としての倫理綱領しか持たないとすると、国民加入国家というユートピア思想 (空想社会) を切り離すことは可能なのですが。
国民加入国家の倫理的意義を論破しない限り、・・倫理的意義が残る限り、・・完全な理想を求める限りは、切り離すことは「遅延」でしかありません。

 (ここで「留保」ではなくて「遅延」であるとは、どういうことでしょう)「危険」と「犠牲」を量産する眼前の制度上の問題に対して、実現優先主義、または倫理戦略的な捨象がありうるのですが、国民加入国家「が」ない、国民加入国家「で」ないことからくる犠牲量との比を勘案することで、この問題は、どちらが急がれるのか、(はたして作り手の任意でよいのか、)という問題に置き換わるわけです。
遅延すること自体に相応の倫理的根拠が無ければ、遅延そのものが罪の生産に・・・つまりは倫理問題と・・・なってこざるをえないでしょう。

 (おわりに・・小まとめ)
構成国憲法を護憲 (温存) し、とりわけ日本国平和憲法を守るとともに、諸国の同意をとりつけることで運動の命脈を保ちつつ、諸国憲法の人権セキュリティーホールに対し、最高法と「定めた」概念である世界憲法によって「全体」として補「完」させること、それが・・つまりは「旧態国家」寄りに進路をとるというのが・・ここ (グロ憲運動) に在っては、これまでのところは、「憲法が定着するイメージを定着させるべくして定着させていたかの物語」だったのかもしれません。
(だとしても、いまだ擬設でしょうが)
しかし、アソシエーション国家の乱立をむしろ支援し、それら多重(所属さえもあるいは可能な)国家群の余波を借り、(若い勢いに乗って)その「連合の象徴かつ実権として」世界政府を冠させる・・という方向での同時革命めいたストーリーとしても容易にシミュレートできるわけです。(・・まだ仮構です)(ですから、田畑氏は、そこに反応されたのかもしれません)


中学生に説明するような気持ちで書いてください。 投稿者:鎌田幸作  投稿日: 227()060513

rinriさんは何やらおもしろい国家構想をお持ちだと思われますが、主旨がよく分かりません。中学生(せめて高校生)に説明するぐらいの気持ちで書いていただかないと、市民運動になりません。
 国家という場合にグローバル政府に参加する個々の国家のことなのか、グローバル国家のことなのか、分かるように書いてください。グローバルな統合が必要ということが前提で、グローバルな統合原理としての憲法を模索しているのでしょう。そのことには既に全人類を包括するということが、前提されているのではないでしょうか。
 グローバル政府への参加資格で非民主的な国民国家をどう制約するかはしたがって、複雑な難問を抱えています。グローバル政府は人為的に作るのですから、そこに参加・脱退の可能性が残ります。しかしグローバル統合は後戻りできない選択という性格ももっていること、これも踏まえて議論すべきだと思います。そうでないと普遍性のない好き勝手な、思いつき国家やネット国家になってしまい、全人類的なグローバル国家の議論になりません。
 rinriさんはどうして掲示板を変な使い方をされるのですか。
長くなる場合は、途中で節ごとに見出しをつけて書かれたらよいでしょう。「平和憲法」「グローバル憲法」に否定的で批判的な意見も大いに掲載してください。それでないと自由な議論になりません。


2つの条件 投稿者:rinri  投稿日: 228()101536

 冷静かつ的確な御指摘ありがとうございます。
 わかり易く書けないということには、やはり2つあると思います。
発想が突飛。
 または、枠組みとしての世界観が共有されていない。
 または、先に進みすぎて前の段階が読み取れない。
 (概念を設定し、さらなる概念に進む複雑さ。哲学一般)
けっきょくのところ文章力が無い。
 当方は、この2つの条件を満たしているようです。残念におもいます。
 (しかし、市民がすべて一定の文章力を備えているわけではありません)
 そこで、当面の対策としては、つぎの点をかんがえております。
用語の統一。
おっしゃられるような小見出しの付加。


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 228()101323

 前回分は一続きの文章として書いたものです。掲示板によって文章の長さの上限と、超えた場合の掲載のされかたが異なりますので、このたび掲示板が変わったこともあり、内容の区切りをみながら、細かめに分割してみたわけです。
 論述の単位として、どのていどまで小分けすべきかという点は、ほかの色々な場への発表の絡みもあって、当方も気になっていたのですが、まだ決めかねております。ご容赦ください。

 用語につきましては、予想しなかったのですが「グロ憲」の名称じたいに何通りもの変更の提案があり、今ことばを決めてしまうのがいいのかという躊躇いはあります。むろん、曖昧に使っていては議論になりませんので、ここで使われる用語を、当方としては以下のように分けています。
「統一国家・世界国家・連邦国家・グローバル国家」の系列、階層
「個々の国家。国民国家・地域国家・地方国家・旧態国家・構成国家・単位国家、国家群・諸国、ネット国家・アソシエーション国家」の系列、階層

 この混乱を避ける方策としましては・・・。

この掲示板での議論の約束事として「この用語は、こういう意味で使ってください。こういう意味だとみなします」との用語集をつくる。
 (ご自身も「参加する個々の国家」というふうに特定を避けていらっしゃるようです)
各人で、そのつど注釈をつけるか、各人の用語集の頁へのリンクを貼る。
 当方には、独自の概念が多いですし、既成の用語への概念の配当にも独特のものがあるようなので、当方の明確な用語集ができれば、と検討中です。
 一々読む必要がないようにしたいのですが、実現すれば用語が問題にされたときに、役立つと思います。
 いまは、当方の問題が大きいでしょうが、これから参加者が増えるとしたら、少なからず混乱のもととなる懸念があるわけです。
 それと、この掲示板の現状では、各論というよりも総論というのか、基礎理論の段階の投稿が主かもしれません。
 とくに当方の投稿にその傾向は強いようで、たとえば(喩えれば)進んだ高校生にしかわからないような抽象論が「少々」混入することには、ご理解をたまわりたく思います。
 (どうも「哲学」系の人間の表現方法は嫌われるようです)
 ちなみに、断っておきますが、わかりやすい箇条書きで、具体的な条文で書くのがレベルが低いなどとは当方は思っていないのです。

 

批判的な意見 投稿者:rinri  投稿日: 228()100645

 さらに、もう一件。
『「平和憲法」「グローバル憲法」に否定的で批判的な意見も大いに掲載してください』とのことですが・・・。
SASAGE氏に向けておっしゃられるニュアンスが強いのであれば・・・。
 当方が牽制したからというのではなく、反対意見をもっておられるSASAGE氏が、かねてより管理者に遠慮し、存分に論戦を挑んでおられないように御見受けすることを前提として、同感です。
当方への直接の御忠告であれば・・・。 当方にとって、世界の問題の解決を「憲法」と「倫理」じたいからのアプローチに分けていることは、保存版1の2でも述べました。
 したがいまして「憲法制定運動」には、アプローチの1つを試す作業として「大筋」賛成しております。
 それとは別の、当方からの突っこんだ批判のほうは、(対案をもって建設的に、ではありますが、)現在おこなっているつもりです。
 これは当方に具体案があるためで、必ずしも「対案をもって」「建設的に」というのが批判の必要条件だとはおもっておりません。
 なお、おっしゃられたことから浮かびあがる問題に、以下のようなものがあると確認させられました。
個々の国家の、国家たる(承認の)条件の明確化。
「世界国家」の直接の構成単位を、既存の国家、そしてネット国家やアソシエーションとはしないこと。
 つまり、「世界国家」の構成を「インフラ」単位とする「世界再編」を(前提として)謳うことの是非の検討。
 以上です。ありがとうございました。

 2つの条件 投稿者:rinri  投稿日: 228()101536

 冷静かつ的確な御指摘ありがとうございます。
 わかり易く書けないということには、やはり2つあると思います。

発想が突飛。
 または、枠組みとしての世界観が共有されていない。または、先に進みすぎて前の段階が読み取れない。
 (概念を設定し、さらなる概念に進む複雑さ。哲学一般)
けっきょくのところ文章力が無い。
 当方は、この2つの条件を満たしているようです。残念におもいます。
 (しかし、市民がすべて一定の文章力を備えているわけではありません)
 そこで、当面の対策としては、つぎの点をかんがえております。
用語の統一。
おっしゃられるような小見出しの付加。


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 228()101323

 前回分は一続きの文章として書いたものです。掲示板によって文章の長さの上限と、超えた場合の掲載のされかたが異なりますので、このたび掲示板が変わったこともあり、内容の区切りをみながら、細かめに分割してみたわけです。
 論述の単位として、どのていどまで小分けすべきかという点は、ほかの色々な場への発表の絡みもあって、当方も気になっていたのですが、まだ決めかねております。ご容赦ください。


用語 投稿者:rinri  投稿日: 228()101158

 用語につきましては、予想しなかったのですが「グロ憲」の名称じたいに何通りもの変更の提案があり、今ことばを決めてしまうのがいいのかという躊躇いはあります。むろん、曖昧に使っていては議論になりませんので、ここで使われる用語を、当方としては以下のように分けています。

「統一国家・世界国家・連邦国家・グローバル国家」の系列、階層

「個々の国家。国民国家・地域国家・地方国家・旧態国家・構成国家・単位国家、国家群・諸国、ネット国家・アソシエーション国家」の系列、階層


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 228()100759

 この混乱を避ける方策としましては・・・。
この掲示板での議論の約束事として「この用語は、こういう意味で使ってください。こういう意味だとみなします」との用語集をつくる。
 (ご自身も「参加する個々の国家」というふうに特定を避けていらっしゃるようです)

各人で、そのつど注釈をつけるか、各人の用語集の頁へのリンクを貼る。

 当方には、独自の概念が多いですし、既成の用語への概念の配当にも独特のものがあるようなので、当方の明確な用語集ができれば、と検討中です。
 一々読む必要がないようにしたいのですが、実現すれば用語が問題にされたときに、役立つと思います。
 いまは、当方の問題が大きいでしょうが、これから参加者が増えるとしたら、少なからず混乱のもととなる懸念があるわけです。
 それと、この掲示板の現状では、各論というよりも総論というのか、基礎理論の段階の投稿が主かもしれません。
 とくに当方の投稿にその傾向は強いようで、たとえば(喩えれば)進んだ高校生にしかわからないような抽象論が「少々」混入することには、ご理解をたまわりたく思います。
 (どうも「哲学」系の人間の表現方法は嫌われるようです)
 ちなみに、断っておきますが、わかりやすい箇条書きで、具体的な条文で書くのがレベルが低いなどとは当方は思っていないのです。

再びrinriさんへ 投稿者:鎌田幸作  投稿日: 228()133215

 前回や今回程度の長さなら、一度の投稿で充分いけます。大変読みづらいので、分割投稿はしないほうがよいと思います。rinriさんばかり投稿しているという印象を与えるのはrinriさんにとってもマイナスでしょう。
 たとえグローバル国家の構成単位を国民国家としないとしても、やはり全人類が参加する国家を形成するのでしょうから、そのための議論は万人に分かるようにを心がけてください。rinriさんのような議論では、何が書かれているか意味が分からないのにコメントしようがありません。


美しい空気と水に囲まれ暮らす権利 投稿者:鎌田幸作  投稿日: 228()135256

 文句ばかりつけていては、建設的ではありませんので、私もひとつ条文を提案しましょう。
「全ての人類および地上の生き物たちは、美しい空気と水の環境の中で暮らす権利を有する。全ての国民国家とその自治体は大気汚染や水質汚濁に関して、地上および水中の生命がこの権利を充分に満喫できるような環境基準を設定し、それに基づく規制を実施しなければならない。この規制に従わない個人・団体・企業・自治体などに対しては有効な罰則をもうけなければならない。またグローバル政府は最低限の統一的なグローバルな環境基準を設定して、これに反する国家や団体・企業および個人に対して有効な取り締まりをおこなう必要がある。そして環境対策が不十分な国家・団体・企業・個人にたいして勧告・指導・取締りを実施し、それらを指導すべきである。」


地球環境研究所の設置を 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 228()201401

グローバル政府の機関として是非地球環境研究所が必要です。温暖化ガスや汚染物質を排出したりしている企業や乗物の利用者、熱帯林から伐採した木材で作られた建物や紙を利用している人々から地球環境税を集めて、それを資金にして運営します。そこで環境技術を開発するのです。そこで開発された環境技術を途上国にできるだけ安く提供して、途上国の工業化に伴う環境悪化を抑制するべきです。
 ただしあまりそれに頼られるのも困りますね、企業が当然負担すべき環境技術開発の経費を代わりに人類社会全体が負担することになります。それにそういう研究所ができれば、分業意識がはたらいて、企業は利潤追求さえしていればよいということにならないとも限りません。
 ともかく地球環境は人類のサバイバルに関わる危機的状況にあることを踏まえれば、「地球環境研究所」やその付属大学は必要です。グローバル憲法の中に具体的な形で書き込んでもいいでしょう。


『地球環境宣言』を 投稿者:鎌田幸作  投稿日: 3 1()183503

環境問題では膨大な量になりそうですね。例えば、自動車の排気ガスによる汚染や温暖化を考えますと、ソーラーカー以外は認めないことにして、ソーラーカーの技術革新に全力を挙げさせるとか、熱帯林の伐採をストップするために、紙の使用量を大幅に制限する必要があるので、ノートパソコンで授業を受けさせるとか、いろんなアイデアがあります。
 かえって環境の悪化を招くかもしれませんが、たくさんアイデアをだしてそれを徹底討議した結果を『地球環境宣言』にまとめ、『グローバル憲法』に『地球環境宣言』の実行を謳っておくのです。


至難の環境犯罪の摘発 投稿者:rinri  投稿日: 3 2()130904

 「環境基準による規制」には、そして「罰則の強化」があるとすれば、それには賛成です。
 ただ、その根拠を示すときに自然法だからあたりまえに「環境権」があるとするのでは弱いように思います。ほかの権利、たとえば「人間らしく科学技術によって快適に暮らす権利」というのが提唱されたとき、もし環境権が優先されるとすれば、それはなぜかというあたりが気になるわけです。
 それと、地球環境研究所が「局」ではなく「研究所」であるところは、いい感じだと思います。京大の「地球益」研究のような仕事もするのでしょうか。
 尤も、環境を相手にするには、それなりに大きな世界政府が要り、税負担が大きくなってきます。
 民営化して、監督だけにできないかな、と思ったりもしてしまいます。
 他方、企業の環境への違反行為だけを取り締まるのでしたら、やはり警察のようなものなので、警察の概念を「環境犯罪」の側に拡張して、総合警察として統合する道もあるように思えます。
 地球環境を「使用」するに当たり、税を払うだけでなく、環境被害を追跡し、補償を回収するところまでゆくとすれば、それは当方のいう「大きな警察」にちかいように思えますね。
 いずれにせよ、環境への「犯罪」は、そして、その影響には、思いもかけないものがでてきましょうから、どこまで許すのか、どこで研究し、誰が決めて取り締まるのか。場合によっては、何を「何時」まで許すのか。・・・(対人)直接犯罪に比べて時代的な動きがあるようですので、大変むずかしく感じられますが・・・。
 何度もありがとうございます、鎌田さん。なかなか自分ではわからないこともあるので、大変参考になります。皆さんのようにいい文章が書けませんので、参加していていいのか、と気が引けなくもありませんが・・・。
 コメントについては、しないなら、しないでいいんです。皆さんへの自分の立場の釈明のときもありますからね。それに自由な討論に、別にコメントの義務もないですから。
 じっさい当方も、何度となく無視されてきたと思います。そのうちに感じられるもの、分かるものも書けるだろうという感じといえばいいのでしょうか・・・。
 しかし、ひとつ言っておきたいのですが、議論のしかたに、そこまで執拗に(当方の主観ですが)批判されるほど、悪いことをした覚えはないのです。これだけは判ってください。
 なお、当方ばかり投稿していたときもあるでしょうし、S氏ばかりが投稿されていた時期もあったと思います。熱が入ればそんなものじゃないでしょうか?
 (目に余れば管理者が介入されると思いますし。
 参加者の立場では、また当事者自身では判断しにくい面もあるでしょう)
 ごていねいにコメントをくださいまして、ありがとうございました。


自然権どうしの矛盾 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 3 2()185840

 自然権どうしが対立したり矛盾したりする場合、どちらが優先されるべきかは、公共の福祉を考慮して予め制定法で定めておくとよいのです。制定法が無い場合には裁判所が権利の重さを天秤にかけて判断するしかありません。
 「人間らしく科学技術によって快適に暮らす権利」は環境を守るために行使されるべきす。環境を破壊すれば、快適さも損なわれますので、自ら首を締めることになります。もちろん当人は環境破壊による損失よりも、その時に得られる利益の方が大きいので、少々の環境破壊は許容されるべきだというでしょう。それでは環境破壊による損失を補償する額を弁償する義務が当人に生じるはずです。これを環境税や罰則の形で支払わせる権利が社会にはあるのです。


「グローバル」はいけなのか 投稿者:SASAGE  投稿日: 3 5()162352

 大阪哲学学校でのやすいゆたかさんの講演は、わたし、聴きに行くことが出来なかったのですが、なにやら「グローバル憲法」というネイミングがいけない、という意見が会場で出たそうですね。
「グローバル」という言葉が、気に入らないというのだそうです。
それはいったいどういう趣旨の意見なんでしょうか。
 「グローバル」でいけないのならどうせよと言うんでしょうか。不可思議な話です。


「反グローバリズム」の動きをきにしているのでしょう。 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 3 5()171250

 我々はグローバリズムと言えば、グローバルな視野に立って物事を捉えようとする立場という意味で理解していますが、最近はアメリカの覇権による世界支配体制を維持しようとする動きをグローバリズムと捉え、サがミットなどに反対する動きが世界各地で起こっています。
 彼らは「反グローバリズム」を掲げているものですから、その動きに影響されて「グローバリズム」一般が親米主義という誤解があるようです。しかし我々の立場こそ「真のグローバリズム」であり、親米主義や対米追随主義は真のグローバリズムではありません。
 私は、アメリカの正義を押し付ける「グローバリズム」は、偽のグローバリズムであり、批判しますが、同時にアメリカへの敵愾心から安易に「反グローバリズム」を掲げる人々にも反省を促したいと思います。

グローバリゼーションに反対する奴は、攘夷派だ! 投稿者:SASAGE KENJI  投稿日: 3 6()015958

  歴史的に「左翼」や「リベラル」や「進歩派」は、国家の外部に眼を向ける、国家から外に出る、国際的な連帯、トランスナショナルなつながりを思考する、のがふつうでした。「国際主義」とか、「コスモポリタニズム」とかね。
 「グローバリゼーション」は、最終的には人類を一つに結合する、歴史の実在的な過程です。「グローバリゼーション」を通じて、人類の平等を実現すること、世界から抑圧と貧困を除去すること、これがグローバリゼーションの内部に、理念として、組み込まれる必要があります。そこで、「グローバル憲法」を考えようという、やや先走った人も出てくるわけで、この軽く先走っているところには、わたしは批判的なんですが、方向性としては、誤りはありません。
 「反グローバリゼーション」の動きの中心に位置するのは、日本でも外国でも、右翼、保守派です。ファシスト、そして、言わせてもらえば、「攘夷」派です。
 ただ、進歩勢力のなかには、「資本主義的なグローバリゼーション」に反対の人々もいます。労働組合と結びついた反グローバリゼーション運動もあります。アメリカのシアトルの闘争では、戦闘的なのはアナキストでしたが、人数的には、グローバリゼーションでアメリカの労働者の雇用や賃金が心配だという考えの労組が中心でした。つまり、途上国の経済発展がグローバリゼーションと結合すると、自分達の生活が脅かせると言うわけです。
 資本主義的なグローバリゼーションが、ただちに悪いわけではないでしょう。韓国や中国は、この資本主義的なグローバリゼーションの利益をこうむっている国です。世界の最貧国は、例外なく、外国の企業が来てくれない国です。
 市場経済、資本主義経済の冨を生み出す力は、無視できません。しかし、無規制な市場経済、資本主義経済ではいけない。国際的な規制機関を設ける必要があります。グローバルな経済統治のシステムが必要です。
 欧米では、進歩勢力は「グローバリゼーション」支持ですよ。これは常識なんですけどね。「反グローバリゼーション」の闘争に参加している人でも、「オルタナティヴなグローバリゼーション」とか、「人間の顔をしたグローバリゼーション」なんかを唱えているんですよ。
 真性反グローバリゼーション派は、右翼です。攘夷派ですね。開国に反対する攘夷派。
現代の「鎖国」を選択しない限り、好むと好まざるとにかかわらず、「グローバリゼーション」はどんどん進行するんです。

 まぁ、日本のメディア、とくに『朝日新聞』や『産経新聞』、それに「サンデープロジェクト」なんかは、「グローバリゼーション」に批判的ですよね。そんなんに影響されているようでは、イカンですよ。
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