グローバル憲法つくる会掲示板保存版6 

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(無題) 投稿者:    投稿日: 212()055739

「結果最善」説(1)選挙結果を、知りうる・採りうる最善であるものとするようにして、制度において、すでに・つねに教養人の判断を「方法」のかたちで反映させている。
そういう政治的「法」環境の枠内で、一般大衆は、総体として個々の己の意見を反映させることができる。
選挙結果には尊厳があり、その尊厳は、あらかじめの、過去の教養人の判断たる、すなわち保証となる占有する外部によって強化もされ、しかし他方で、そのことにより、事実上、目減りもしている。
しかしながら方法への市民参画は、さらなる「その方法」において無限後退に陥るがために、これも、一定の錯視を誘うような「減圧」操作を、演繹上の「ある状況」として誘う。
それ(再帰)は、方法の決定を数次の漸層的な助走に分散することで、喪失の落差を吸収するような「緩衝」としての、そ(判断の積層)の設定を「迫る」のである。
分散された決定の、これらすべてが結果に遠因として合算される、取り巻く判断条件として在る。


   投稿者:    投稿日: 212()055600

(2)
「このように」しょせんは判断であり、法の「諸実現」に至る法決定者・法解釈者・法運用者、実務者の選任という「実践」としてかたちを得た判断は、
その決定後においても等しく、理想との、あるいは更新された理想との、少なくとも理想との差異をもって、結果のよしあしを検討することが可能である。
したがって結果が、結果という事実の絶対性を超えでて正当性を領有する、と判断することは当をえず、
それがいかに状況的必然性、因果律的絶対的必然性の支配をうけていようとも要因としては在る判断とは、
検証という判断を通して、つぎなる判断へと再利用されるような判断なのであり、判断はそのように位置づけられて在るといえる。

よって本稿は、制度を、制度を判断することへの判断と、
その是非への判断をふくめて判断するものとして、無のつぎからを判断するものである。(試論)


憲法という言葉にとらわれないで 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 2 9()101929

『十七条憲法』は役人の心得ですが、その内容は国のありかたの根本を踏まえたものですから、グローバル憲法作成にあたっても大いに参考になります。グロバル市民の人権宣言や倫理綱領が当然含まれるべきだからです。あまり法律論にとらわれ過ぎますと、スピリットの感じられないものになり、市民運動として成立しません.そこはひとつ柔軟に捉えて下さい.


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 215()201416

倫理綱領の件が出ましたので、節目ということであらためて、いわせていただきます。「倫理綱領こそ、すべて(命)です」
ハンドルネームからも、わかるように(?)、
私は、これまで、倫理を主張してきたつもりですが・・・。

しかし、「皆さんの知識の発露」として、どうしても世界情勢の「床屋談義」に陥ってしまいます。
そして、そのことは新スレッドにも初めに触れてあります。
(私という管理者の意向は無視されるのでしょうが)

ただ、これからの革命的な(!)倫理を、理念としてであれ、構築するとなると、相当な覚悟を必要とすると思います。逆らえない論理というものは、作り手、
考え手にも冷酷です。(容赦なく批判するかは思案中・・・)

いくら、現実的・多文化的に、といっても、妥協のある、モザイク状の、誤った普遍倫理では困るのです。ましてや、世界最高法規が少しでも曖昧な点を残すと大変ことになるでしょう。
(被害は量の問題ではありませんが結果への認識上)

そして、絶対普遍を認めない「相対主義者」は、普遍を語れず、風潮の力学としてしか、語れないことでしょう。


★●●●●世界憲法をつくろう!●●●●★ 投稿者:ペンネーム  投稿日: 215()193923

ここの「基本」精神を継承して、本日、『★●●●●世界憲法をつくろう!●●●●★』の、スレッド(細分掲示板)を建てました。
ストーカー行為の危険もあるので、あえて匿名でお願いいたします。(藁

(権利として)リンクを貼らせていただきましたが、独自運営(?)ということで、こことは切り離して考えております。ですから、事後承諾(?)です・・・。

一般名(?)「世界憲法」なので、ご迷惑は、たぶん、かからないでしょう。かかっても加害者責任です。(腹あまり力は入れません。できれば、みなさんで
ボチボチやってもらえれば、と思っています。(あまりにも人気がなければ
ミエミエの桜で介入するかも)
場所は、あの悪名たかき「2chの」「哲板」です。
http://mentai.2ch.net/philo/index.html
「遊び」と、書きましたが、けっこうまじめです。でも、当方の思いとは裏腹に、潰しにかかられます。
ひぼちゅー、ばりぞー、猥褻イラスト、さて、どんなことになりますやら。(藁
  (それでも いちおう 署名)ばればれのりんりん。(腹


グローバル市民の倫理綱領を含む最高法規です。 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 215()184906

『日本国憲法』でも恒久平和と基本的人権の尊重、民主主義といった極めて倫理性の高い国民の心得が含まれています。本来、法というものは精神性、倫理性の高いものです。近代憲法は人権宣言を含まなければ本物とは言えないのです。

 特に『グローバル憲法』は、恒久平和に向けての集団安全保障体制、宇宙船地球号の未来を守るための地球環境保護のためのグローバルな規制、グローバル・デモクラシーに基づくグローバルな人類の総意形成のルールなどが含まれる必要があります。そのためにはその底にある普遍妥当的な倫理綱領がどうしても必要だと思われます。


匿名希望の方はペンネームで 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 215()183326

意見には、その主体の発言責任が伴います、特に「グローバル憲法草案」をつくることに関係しての発言ですから、無責任な意見が次々掲載されて無用な混乱が生じては困るのです。立場上、本名で投稿しにくい場合は、ペンネームでお願いします。これはあくまで管理責任者としての要望です。


やすいゆたかの「十七条憲法」 投稿者:SASAGE KENJI  投稿日: 215()155942

そうするとやすいさんのおっしゃる「グローバル憲法」というのは、
最高法規とか基本法とかいう意味での「憲法」ではなくて、聖徳太子の「十七条憲法」的な「憲法」。つまり、「世界市民の心得」のようなものなんでしょうか。
 しかし、それを「憲法」と呼ぶとまぎらわしいのではないでしょうか。


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 215()015951

どうせ、また叱られると思って、覗かないようにしていましたが、やはり、叱られていましたか!

速攻、バレバレというか、さすがですね。どうもすみません。というか御趣意はわかりましたが、今回も反論があります。匿名性については、色々と議論があるようですが、ぼくは一応、肯定派なんです。


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 215()015742

「論旨のよしあしを問題にする限りにおいては」誰が発言したかは問題がないという普遍主義だからです。
(あるいは、近代の署名主義が、権威と階級を生むと)

むろん、情報提供の責任はどうなるのかとか、色々と条件はでてこようかと思うわけですが。それと、今回は少数決という仮想的なテーマの試論で、まだ参考程度の意味しかないと判断したのですが、いつも変わらず、ぼくのようなハミダシ型の個性には(?)厳しく在られるようで(?)。
(牽制するつもりはありませんから、批判は続けてください)

ぼくが現れないほうが色んないみで「平和」ですから、自粛していたようなものだったんですが、どうやら近々哲学学校に乗り込んでこられるようなので御挨拶をと。


投稿者名は、投稿者名欄に 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 212()072310

「考える名無し」さん、文面からみてrinriさんですか、間違ったら、ごめんなさい。投稿者名を投稿者名欄に書いてもらわないと、困ります。投稿者名は一応無責任な発言がないようにするためのものですから、きちんとペンネームでも結構ですから、投稿者名欄にお願いします。


   投稿者:    投稿日: 212()060014

(転載)
「少数決問題群」  (御参考までに)考える名無しさん :02/02/10 07:06
単純な分析命題(思考実験)
「教養人が、より理想的な判断をするとの前提」
(直感的な)一般多数よりも、理想的な判断をする存在が実在すると仮定し、それを教養人と呼ぶことにする。
「一般大衆から、より理想的な判断を導く方法」
過去の教養人の判断と一般多数の判断との相関関係を数式として抽出する。
現在の一般多数の判断を関数に代入して「擬似的に」教養人の判断を導く。これを最終判断として採用する。
(諸問題点)
○過去の教養人の判断である。
○過去の一般大衆との相関である。
●これらの差異が、最悪のばあい、並列的に重なる。
●これらを克服したばあい、一般大衆の判断を、一般大衆の判断であるかの印象を保ちつつ、教養人の判断に変換する操作ということになる。
一般大衆の名(誉)を守り、逆にその権威をつかって、より理想的な「実」をとるわけだ。
そこに正当性(正統性)があるのか。是非はむろん、政治力学(利権)から独立させてかんがえねばならない。


(無題) 投稿者:    投稿日: 212()055834

「別の選択」肢

取りこぼされやすい少数の利害を優先するとの「倫理的価値」から「実質的に」少数投票内容を採用する。
このとき、結果的に少数となるであろう投票主体は、少数意見が採用されると知ったうえでも
「流されないといういみで純粋に」正確に、喪われ易い少数の利害を反映することで、少数の利害を確保するような投票行動をとることができるか。
また、制度として「少数」の愚行余地を省いてまで未然に(他者の資格で)、つまりは予定調和的に、そうさせること‥‥の、是非をかんがえねばなるまい。

 

 

(無題) 投稿者:    投稿日: 212()055739

「結果最善」説(1)選挙結果を、知りうる・採りうる最善であるものとするようにして、制度において、すでに・つねに教養人の判断を「方法」のかたちで反映させている。
そういう政治的「法」環境の枠内で、一般大衆は、総体として個々の己の意見を反映させることができる。
選挙結果には尊厳があり、その尊厳は、あらかじめの、過去の教養人の判断たる、すなわち保証となる占有する外部によって強化もされ、しかし他方で、そのことにより、事実上、目減りもしている。
しかしながら方法への市民参画は、さらなる「その方法」において無限後退に陥るがために、これも、一定の錯視を誘うような「減圧」操作を、演繹上の「ある状況」として誘う。
それ(再帰)は、方法の決定を数次の漸層的な助走に分散することで、喪失の落差を吸収するような「緩衝」としての、そ(判断の積層)の設定を「迫る」のである。
分散された決定の、これらすべてが結果に遠因として合算される、取り巻く判断条件として在る。


   投稿者:    投稿日: 212()055600

(2)
「このように」しょせんは判断であり、法の「諸実現」に至る法決定者・法解釈者・法運用者、実務者の選任という「実践」としてかたちを得た判断は、
その決定後においても等しく、理想との、あるいは更新された理想との、少なくとも理想との差異をもって、結果のよしあしを検討することが可能である。
したがって結果が、結果という事実の絶対性を超えでて正当性を領有する、と判断することは当をえず、
それがいかに状況的必然性、因果律的絶対的必然性の支配をうけていようとも要因としては在る判断とは、
検証という判断を通して、つぎなる判断へと再利用されるような判断なのであり、判断はそのように位置づけられて在るといえる。

よって本稿は、制度を、制度を判断することへの判断と、
その是非への判断をふくめて判断するものとして、無のつぎからを判断するものである。(試論)


憲法という言葉にとらわれないで 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 2 9()101929

『十七条憲法』は役人の心得ですが、その内容は国のありかたの根本を踏まえたものですから、グローバル憲法作成にあたっても大いに参考になります。グロバル市民の人権宣言や倫理綱領が当然含まれるべきだからです。あまり法律論にとらわれ過ぎますと、スピリットの感じられないものになり、市民運動として成立しません.そこはひとつ柔軟に捉えて下さい.


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 215()201416

倫理綱領の件が出ましたので、節目ということであらためて、いわせていただきます。「倫理綱領こそ、すべて(命)です」
ハンドルネームからも、わかるように(?)、
私は、これまで、倫理を主張してきたつもりですが・・・。

しかし、「皆さんの知識の発露」として、どうしても世界情勢の「床屋談義」に陥ってしまいます。
そして、そのことは新スレッドにも初めに触れてあります。
(私という管理者の意向は無視されるのでしょうが)

ただ、これからの革命的な(!)倫理を、理念としてであれ、構築するとなると、相当な覚悟を必要とすると思います。逆らえない論理というものは、作り手、
考え手にも冷酷です。(容赦なく批判するかは思案中・・・)

いくら、現実的・多文化的に、といっても、妥協のある、モザイク状の、誤った普遍倫理では困るのです。ましてや、世界最高法規が少しでも曖昧な点を残すと大変ことになるでしょう。
(被害は量の問題ではありませんが結果への認識上)

そして、絶対普遍を認めない「相対主義者」は、普遍を語れず、風潮の力学としてしか、語れないことでしょう。


★●●●●世界憲法をつくろう!●●●●★ 投稿者:ペンネーム  投稿日: 215()193923

ここの「基本」精神を継承して、本日、『★●●●●世界憲法をつくろう!●●●●★』の、スレッド(細分掲示板)を建てました。
ストーカー行為の危険もあるので、あえて匿名でお願いいたします。(藁

(権利として)リンクを貼らせていただきましたが、独自運営(?)ということで、こことは切り離して考えております。ですから、事後承諾(?)です・・・。

一般名(?)「世界憲法」なので、ご迷惑は、たぶん、かからないでしょう。かかっても加害者責任です。(腹あまり力は入れません。できれば、みなさんで
ボチボチやってもらえれば、と思っています。(あまりにも人気がなければ
ミエミエの桜で介入するかも)
場所は、あの悪名たかき「2chの」「哲板」です。
http://mentai.2ch.net/philo/index.html
「遊び」と、書きましたが、けっこうまじめです。でも、当方の思いとは裏腹に、潰しにかかられます。
ひぼちゅー、ばりぞー、猥褻イラスト、さて、どんなことになりますやら。(藁
  (それでも いちおう 署名)ばればれのりんりん。(腹


グローバル市民の倫理綱領を含む最高法規です。 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 215()184906

『日本国憲法』でも恒久平和と基本的人権の尊重、民主主義といった極めて倫理性の高い国民の心得が含まれています。本来、法というものは精神性、倫理性の高いものです。近代憲法は人権宣言を含まなければ本物とは言えないのです。

 特に『グローバル憲法』は、恒久平和に向けての集団安全保障体制、宇宙船地球号の未来を守るための地球環境保護のためのグローバルな規制、グローバル・デモクラシーに基づくグローバルな人類の総意形成のルールなどが含まれる必要があります。そのためにはその底にある普遍妥当的な倫理綱領がどうしても必要だと思われます。


匿名希望の方はペンネームで 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 215()183326

意見には、その主体の発言責任が伴います、特に「グローバル憲法草案」をつくることに関係しての発言ですから、無責任な意見が次々掲載されて無用な混乱が生じては困るのです。立場上、本名で投稿しにくい場合は、ペンネームでお願いします。これはあくまで管理責任者としての要望です。


やすいゆたかの「十七条憲法」 投稿者:SASAGE KENJI  投稿日: 215()155942

そうするとやすいさんのおっしゃる「グローバル憲法」というのは、
最高法規とか基本法とかいう意味での「憲法」ではなくて、聖徳太子の「十七条憲法」的な「憲法」。つまり、「世界市民の心得」のようなものなんでしょうか。
 しかし、それを「憲法」と呼ぶとまぎらわしいのではないでしょうか。


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 215()015951

どうせ、また叱られると思って、覗かないようにしていましたが、やはり、叱られていましたか!

速攻、バレバレというか、さすがですね。どうもすみません。というか御趣意はわかりましたが、今回も反論があります。匿名性については、色々と議論があるようですが、ぼくは一応、肯定派なんです。


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 215()015742

「論旨のよしあしを問題にする限りにおいては」誰が発言したかは問題がないという普遍主義だからです。
(あるいは、近代の署名主義が、権威と階級を生むと)

むろん、情報提供の責任はどうなるのかとか、色々と条件はでてこようかと思うわけですが。それと、今回は少数決という仮想的なテーマの試論で、まだ参考程度の意味しかないと判断したのですが、いつも変わらず、ぼくのようなハミダシ型の個性には(?)厳しく在られるようで(?)。
(牽制するつもりはありませんから、批判は続けてください)

ぼくが現れないほうが色んないみで「平和」ですから、自粛していたようなものだったんですが、どうやら近々哲学学校に乗り込んでこられるようなので御挨拶をと。


投稿者名は、投稿者名欄に 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 212()072310

「考える名無し」さん、文面からみてrinriさんですか、間違ったら、ごめんなさい。投稿者名を投稿者名欄に書いてもらわないと、困ります。投稿者名は一応無責任な発言がないようにするためのものですから、きちんとペンネームでも結構ですから、投稿者名欄にお願いします。


   投稿者:    投稿日: 212()060014

(転載)
「少数決問題群」  (御参考までに)考える名無しさん :02/02/10 07:06
単純な分析命題(思考実験)
「教養人が、より理想的な判断をするとの前提」
(直感的な)一般多数よりも、理想的な判断をする存在が実在すると仮定し、それを教養人と呼ぶことにする。
「一般大衆から、より理想的な判断を導く方法」
過去の教養人の判断と一般多数の判断との相関関係を数式として抽出する。
現在の一般多数の判断を関数に代入して「擬似的に」教養人の判断を導く。これを最終判断として採用する。
(諸問題点)
○過去の教養人の判断である。
○過去の一般大衆との相関である。
●これらの差異が、最悪のばあい、並列的に重なる。
●これらを克服したばあい、一般大衆の判断を、一般大衆の判断であるかの印象を保ちつつ、教養人の判断に変換する操作ということになる。
一般大衆の名(誉)を守り、逆にその権威をつかって、より理想的な「実」をとるわけだ。
そこに正当性(正統性)があるのか。是非はむろん、政治力学(利権)から独立させてかんがえねばならない。


(無題) 投稿者:    投稿日: 212()055834

「別の選択」肢

取りこぼされやすい少数の利害を優先するとの「倫理的価値」から「実質的に」少数投票内容を採用する。
このとき、結果的に少数となるであろう投票主体は、少数意見が採用されると知ったうえでも
「流されないといういみで純粋に」正確に、喪われ易い少数の利害を反映することで、少数の利害を確保するような投票行動をとることができるか。
また、制度として「少数」の愚行余地を省いてまで未然に(他者の資格で)、つまりは予定調和的に、そうさせること‥‥の、是非をかんがえねばなるまい。


「前文」の試案作ってみました 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 217()220646

2月23日の哲学学校での講演があるので急遽「前文」の試案を作ってみました。もっと時間をかけて格調の高い、もっと分かりやすいものを作るつもりでいたのですが、まあ何度も書き直してよくしていけばいいと思って鋳ます。別にこれでいこうというものではありません。各自の案をぶつけ合って論争を活発化していきましょう。


なるほどとは思わないけど 投稿者:SASAGE KENJI  投稿日: 217()014615

 なるほどとは思わないけど、実を言えば、わからなくもありません。
やすいさんと私とのあいだには、発想法というか、世界に対する態度において、
違いがあるんでしょうね。
まぁ、「ドン・キホーテ」は言い過ぎですが、やすいさんにはすごいところがある。
2月23日の哲学学校での講演(テーマはズバリ、グローバル憲法です)のご成功を祈っています。
 ここの掲示板をご覧の皆さんも、ぜひご参加ください。
会場の地図は下記をクリックして下さい。
http://www3.justnet.ne.jp/~tetugaku-gakkou/tizu.htm


ドンキホーテでいいんです。 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 216()234554

 捧さんのご忠告はもっとも至極なんですが、ひとつ抜けているところがあるんです。確かに個々の動きはなかなか伸びないし、尻すぼみになるものが多いでしょう。しかし私が知らない動きでも捧さんはご存知であちこちでいろんな試みがなされているわけでしょう。それを大局的にみれば、『グローバル憲法』を制定しようという動きは、次第に大きくなってきているということではないでしょうか。
 時代が国民国家の近代を超えて、グローバルな統合が現実化しつつあるとすれば、すでに通信や経済の分野ではかなり統合過程は進んでいるわけですから、政治過程でも進まざるを得ません。『グローバル憲法』の必要性も大きくなっているわけで、その成立過程に市民が介入するいのは大いに意義のあることではないでしょうか。
 こういうことで慎重にやっても何の面白みもメリットもありません。大胆に勇ましく論じて、大いに楽しむに越したことは無いのです。


くれぐれもご慎重に 投稿者:SASAGE KENJI  投稿日: 216()191736

 平和運動や平和学、それに国際法学の分野でも、
昔から、「世界憲法」だとか、「地球憲法」だということを言う人がいなくはないんですが、それらの声、そうした運動は、少しも大きくならない、伸びないという現実がこれまであったと思うんです。

 それは根本的には、非現実的だからです。とくに、草案だとしても、一挙的に「○○憲法」なんてものを打ち出すことは、世間の人からすれば、「そんなアホな」とか、「アアそうですか」で終わってしまうんです。
 『週刊金曜日』なんかに出ていましたが、「地球市民憲章」の運動もドンキホーテみたいなもんではないでしょうか。江田五月の「地球市民憲法」も思いつき以上のものではないことはご本人が一番よくご存知ではないでしょうか。世界党なるものも世界憲法論をやっていますが、これは国際的な運動とはいえ、一部の好事家の運動でしかなく、発展可能性はありません。
 やすいさんの「グローバル憲法」論が、出てきては消えていく、思いついては、思いついた本人自身が忘れてしまう、そうした「世界憲法」論、「地球憲法」運動のひとつにならないように、願わずにはおれません。
 やすいさんがやろうとしていることは、「ノストラダムスの大予言」の類と同じとは言いませんが、「トンデモ本の世界」とすれすれの所に位置していると思うんです。まぁ、そこがやすいさんのイイトコロなんかも知れませんが、くれぐれもご慎重にお願いします。


なにがわからないのかわかりません。 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 216()100217

グロバル市民の総意を集めて、草案を作るのですから、「世界市民の心構え」も含めて、様々な提案が寄せられて当然です。いよいよまとめる段になってから、憲法の条文に入れられないものは、前文や附属の宣言に盛り込めばいいのです.
 このたびのrinriさんのご指摘は同感です。


ますます分からなくなりました 投稿者:SASAGE KENJI  投稿日: 216()025234

>『グローバル憲法』は各国で批准されて成立します。
ということは、『グローバル憲法』は条約だということですね。成文化された国際法であるわけですね。そうすると国際法上の明確な地位を有するわけですから、きっちりした法律論が必要だと思います。
 しかし、以前にはやすいさんは、こう書いておられた。
>あまり法律論にとらわれ過ぎますと、スピリットの感じられないものになり、市民運動として成立しません.そこはひとつ柔軟に捉えて下さい.

 これを見ると、先に指摘したように、「世界市民の心構え」のような感じがするんです。どうもやすいさんの意図されているところが、分かりにくいんです。
 いきなり「グローバル憲法草案」など言うと、多くの人に誤解を与えると思います。また単純な拒絶反応を引き起こすのではないでしょうか。「ドン・キホーテ」と思う人が出てくるんですね。

 「グローバル市民の人権宣言や倫理綱領」なら、すでに、コスモポリタニズム論とか、グローバル・シティズンシップ論というかたちで論じられています(先日もテレビでやっていたと思います)。グローバル・ガバナンスについては、「グローバル・デモクラシー」論や「コスモポリタン・デモクラシー」論でやればいいのではないでしょうか。この辺りについては、多数の本が出ているので、参考になると思います。


(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 216()020141

『抽象的論理性の重視を』
やはり自然法でしたか。それは第9条などとは、そして建前の理念とは調和的であるでしょうが、多くの国にとって挑戦的な内容となるでしょう。
むろん当方はそれを望みます。ただし自然法が普遍妥当性を手にできる唯一の条件は、繰り返しますが厳格に論理的であることです。
完璧な論理に逆らえるのが政治的扇動だけであるなら「教育が進めば」悪法を駆逐する機会はあるでしょう。「世界市民投票」を待たずとも、勝ち上がってゆく潜在力はあるでしょう。問題はむしろ作り手の側にあります。作られる憲法は優れて人間的なものであっても、過程の論理的(構築)プロセスは非人間的です。つまり私情の余地は無いということです。もちろん甘いものは自然法の土俵においては淘汰されるので誰の不都合にもならないかもしれませんが、いくつも候補作あるわけでない状態が続くなら、自らが担うとの気概(ただし名乗
り、宣誓した形)において自らが完璧な方法を考えてゆかねばなりません。ここでは「議論」の形式を採ってスタートしているので、あえて形式は検証対象にしませんが、既存の法学・倫理学を超える方法論が必要になるでしょう。
また、宗教色を払拭するためにも「命」の問題、物と人の境目、動物主権と人権との境界にまつわる問題も最終的には避けては通れないはずです。なぜなら、飢餓や戦争を問うには「国家の必要」を上回る、強固な人権を要するからです。


日本国憲法は国内の最高法規です。 投稿者:やすいゆたか  投稿日: 216()000854

 『グローバル憲法』は各国で批准されて成立します。『日本国憲法』が『グローバル憲法』に合ってない箇所は、批准までに改正しておく必要があります。その上でなら、国内の最高法規であり続けることができます。
 『日本国憲法』も自然法に基づいて作られています。その意味では自然法が元々最高法規なのです。言い換えれば自然法を内包しているので『日本国憲法』は最高法規だといえるのです。


グローバル憲法ができると、日本国憲法は最高法規でなくなりますね。 投稿者:SASAGE KENJI  投稿日: 215()235734

 日本国憲法ができて、
日本国憲法の内容と相容れない勅令、法律、政令等々は無効になりました。
なぜなら、憲法は最高法規ですから。
 グローバル憲法が最高法規だとすれば、
グローバル憲法の制定によって、この憲法と相容れない内容の
日本の憲法以下のあらゆる法令は無効になるのでしょうか。
 グローバル憲法が最高法規だとすれば、そういうことになるはずです。



(無題) 投稿者:rinri  投稿日: 215()201746

(久しぶりで、またタイトルをわすれていました)
普遍妥当の自然法的「倫理綱領」以外は一般契約法