現代と哲学

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         イギリス功利主義(18世紀〜19世紀)

   
労惜しみ時を惜しんで最大の利を求むるが功利主義かな

先生:それでは当時のイギリスに目を転じて見ましょう。

花子:イギリスでは産業革命が18世紀後半から盛んになってきましたね。当時のイギリスの支配的な思想は何ですか。産業革命によって@(    )が確
立したわけですから、@(      )ですか?


太郎:資本主義というのは思想ではなくて、経済体制です。利潤増大を原理にする経済体制ですから、それにふさわしい思想とすればA(    )があげられますね。

先生:イギリス経験論の延長線上にイギリス功利主義が位置付けられます。

太郎:B(        ⇒     ⇒         )の流れですね。

花子:太郎君予習してきたのね。じゃあ功利主義を英語で何というのか分かる?

太郎:利点をメリットというから、メリッティズムなんちゃって。

花子:ブー。メリットは利点だけど利益追求主義というのが功利主義だから有用性を意味するutilityから作られたutilitarianismが功利主義です。
功利主義者はa utilitarianです。

(      )
に当てはまる語句

資本主義 アダム・スミス⇒ベンサム⇒J.S.ミル 功利主義 
 

       アダム・スミス(17231790

    嘆くのは億千万の民の死か身内の不幸そはしかざるや

先生:ではアダム・スミスから入りましょう。

花子:アダム・スミスと言えば1776年『アメリカ独立宣言』の年にでた『@(     )』を書いた経済学の父でしょう。それがどうして功利主義思想にも入っているのですか。

太郎:『A(      )』といえば「B(      )
an invisible hand」ですね。市場では政府が干渉しないで、C(   ・     )(自由
放任主義)いくほうがいいという立場です。自由競争を行えば神の見えざる手が働いて最も効率的に富が増大するという原理ですね。富を増大させるということも功利ですから功利主義に入るのですね。


先生:そうです。その場合、諸個人は市場においては経済的な私的利害を優先させるものだという人間観が前提されています。この人間観は「D(       )」と呼ばれています。

花子:私的利害に囚われない人も多いでしょう。

先生:そういう例外的な行動も国民経済全体を計量すれば「大数の法則」で無視できるわけです。ですから科学としは問題になりません。それにアダム・スミスは、たとえ中国で大災害が起って何億人が死滅してしまっても、それは少しは話題にのぼるかもしれないが、近親者の不幸ほどは歎かれることはないだろうという趣旨のことを言っています。
 そして『E(     )』では、共感が取り上げられていますが、これも助け合いの動機としてでなく、他人が貧乏でみすぼらしいのを見ると嫌な気持がするので、自分もそういう眼で見られたくないので、できるだけ裕福なように見せびらかしたくなって富を追求するのだとしていますね。アダム・スミスの労働価値説などは政経分野に譲りましょう。 

(      )に当てはまる語句
ホモ・エコノミクス 見えざる手 道徳感情論 諸国民の富 レッセ・フェール   

        ベンサム(17481832

     快求め苦を遠ざける本性は人を支配す二人の主権者
   
   人は皆平等なれや求むるは最大多数最大幸福

太郎:ベンサムと言えば主著は『@(                 )』です。
「A(          )」で有名ですね。

花子:その場合に、一人一人は平等の価値を持つということが大前提でしょう。大豪邸に住む貴族も街に溢れる浮浪者も一人一人は平等なのです。

先生:ベンサムは特権的な貴族階級に反発していました。人間を全て平等と置くことで、幸福まで原理的に計量可能だということになり「B(     )」までしているのです。

太郎:ベンサムの思想の中心原理は「C(    )」ですね。そこから説明して下さい。


先生:太郎君、分かっているじゃないか、自分で説明してみてください。

太郎:おやそれは先生のお仕事じゃないですか?

先生:そりゃあ教育に対する誤解です。教師は知識を教え込むのではなくて、引き出すことが大切なんです。educationeduceつまり「引き出す」ことなのですから。

太郎:「自然は人類をD(   と   )という二人の主権者の支配下においた」ということは、つまり、人間は苦痛を避け、快楽を求めるように造られているということですね。そして苦痛を減らし、快楽を増やす対象がE(  )で、苦痛を増やし、快楽を減らす対象がF(  )です。G(   )とはより多くの善を獲得することで、H(   )とはより多くの悪を背負うことです。

花子:カントの善は道徳法則に従うことですから、自己の幸福を求めるのは道徳的には善ではありませんでしたね。

先生:そうなんです。それにベンサムは快楽を求める快楽主義ですが、I(     )の快楽主義とは大違いですね。


花子:I(       )は「水とパンの快楽」ですから、欲望が肥大しすぎるとかえって不幸になるので、必要最小限でも満足できるわけですが、ベンサムはJ(  )功利主義ですから、多ければ多いほど幸福だということになってしまいます。

先生:その計算方法ですが、快楽という主観的なものを客観的基準を設けて計ろうというものです。「K(    ・    )・確実性・遠近度・多産性・純粋性・範囲」の七項目を設定していました。

太郎:でも獲得や到達に苦労や手間がかかればかかるほどその喜びが大きくなりますから、実際には計量はできません。苦痛を避けて快楽を得るという発想自体が貧しいですね。

花子:でも分かりやすいし、庶民的な説得力はありますね。

太郎:「A(            )」という形で民主主義のイメージを分かりやすくした役割は大きかったかもしれませんね。

(      )に当てはまる語句
エピクロス 強烈度・継続度 最大多数の最大幸福 悪 快楽計算 不幸 快楽と苦痛 善 道徳および立法の諸原理序説 幸福 量的 功利の原理

 

                          J.S.ミル(18061873
               
         
幸福は我が身にあるも他人事も厳正中立ナザレのイエスか
                 

先生:J.S.ミルの中頃に活躍しました。父ジェームス・ミルと区別してJ.S.ミルと書かないと試験では駄目ですよ。主著は『論理学体系』
『@(      )』『A(      )』『B(     )』『代議政体論』と多岐にわたっています。


太郎:19世紀になると産業革命の結果として大量の労働者階級が生まれ、厳しい搾取と不安定な雇用で苦しめられていましたから、スミスのようにただ私的利害を追及すればプライス・メカニズムでなんとかなるとか、ベンサムのように快楽量が大きければ幸福だとかいうように単純にはいきませんよね。

先生:19世紀はダーウィンとC(    )の世紀と言われるくらいですからね。労働者階級が階級として成長して、搾取や窮乏に対して団結して立ち上がり、資本主義体制を倒そうとするまでになりました。言い換えればそれだけ社会の矛盾は深刻だったのです。J.S.ミルはD(      )主義の立場に立って経済学や倫理学を展開していたのです。

花子:ベンサムが量的功利主義と言われるのに対してJ.S.ミルはE(         )といわれるのはどうしてですか。

先生:J.S.ミルはベンサムのF(       )を認めた上で、精神的快楽と物質的快楽では質的に精神的快楽の方が上だとしています。
「満足せるG(  )よりは、不満足なH(  )である方がよく、満足せるI(   )よりも、不満足なJ(       )の方がよい。」
 またこういう表現まであります。「畜生の快楽をたっぷり与える約束がされたからといって、何かの下等動物に変わることに同意する人はまずなかろう。馬鹿やのろまや悪者のほうが自分たち以上に自己の運命に満足していることを知ったところで、頭のいい人が馬鹿になろうとは考えないだろうし、教育ある人間が無学者に、親切で良心的な人が下劣な我利我利亡者になろうとは思わないだろう。」

太郎:J.S.ミルは、「K(             )」が功利主義の精神を最もよく表現していると主張していますね。
「L(          、            )」という格言です。これがどうして功利主義なのですか。


先生:ベンサムの功利の原理では快楽を求め、苦痛を避けようと行動するのは、自分自身の欲望の充足のように見え、利己主義のようにみえるでしょう。

太郎:ええ、当然ですね。

先生:ところでベンサムは「最大多数の最大幸福」が目標だとしています。その場合に自分一人の幸福を求めているわけではありません。

花子:お城に住む貴族も浮浪者も皆一人として数えた上での、多数の幸福ですね。だからそれは単なる利己主義ではありません。自分を幸福にするのも、他のだれか一人を幸福にするのも同じ値打ちがあるわけですね。

先生:その考えを利己と利他に関するM(       )と言います。


花子:自分を幸福にする場合相手は一人だけだけれど社会や自然に働きかけて、貢献する場合には相手はたくさんになるから、利他主義の方がかえって功利主義にかなっていることになるのかもしれませんね。

先生:それでJ.S.ミルはこういいます。「N(   )があらゆる行動の格律の基本原理であり人生の目的であるという私の信念は微動もしなかったけれども、N(   )を直接の目的にしないばあいに却ってその目的が達成されるのだと、今や私は考えるようになった。自分自身のN(   )ではない何か他の目的に精神を集中する者のみが幸福なのだ、と私は考えた。たとえば他人の幸福、人類の向上、あるいは何かの芸術でも研究でも、それを手段としてでなくそれ自体を理想の目的としてとり上げるのだ。このように何か他のものを目標としているうちに、副産物的にN(   )が得られるのだ。」

花子:今年のセンター試験にJ.S.ミルの自由論がでていたそうですね。

先生:「O(      )の原則」です。つまり他人に迷惑をかけない限りたとえ愚行とおもわれることであっても、何をしてもかまわない自由です。彼は個性の発現を尊重しているのです。ヘーゲルの「P(      )」が自由だという捉え方とえらい違いですね。

太郎:J.S.ミルの論理学はイギリス経験論の系譜だからQ(     )でいいのですか。

先生:いいところに気付きましたね。Q(    )で見出した命題がきちんとR(    )で展開できなければならないというのが、J.S.ミルの論理学なのです。両者の統合です。
 

(      )に当てはまる語句

功利主義 ナザレのイエスの黄金律 帰納法 論理学体系 必然性の洞察 厳正中立 マルクス 演繹法 汝自身を愛するように,汝の隣人を愛しなさい 
ソクラテス 豚 他者危害 功利の原理 論理学体系 愚か者 社会改良 質的功利主義 幸福 経済学原理 人間 

解答

イギリス功利主義 @資本主義 A功利主義 Bアダム・スミス⇒ベンサム⇒J.S.ミル
C諸国民の富 D見えざる手 Eレッセ・フェール Fホモ・エコノミクス G道徳感情論 

ベンサム
 H道徳および立法の諸原理序説 I最大多数の最大幸福 J快楽計算 K功利の原理L快楽と苦痛 M善 N悪 O幸福 P不幸 Qエピクロス R量的 S強烈度・継続度 


J.S.
ミル @経済学原理 A功利主義 B論理学体系 Cマルクス D社会改良 E質的功利主義 F功利の原理 G豚 H人間 I愚か者 Jソクラテス Kナザレのイエスの黄金律 L汝自身を愛するように,汝の隣人を愛しなさい M厳正中立 N幸福 O他者危害 P必然性の洞察 Q帰納法 R演繹法

 

                    科学的社会主義
 

マルクスの三つの源泉たずぬればヘーゲル・スミスにフレンチレッズ


先生:ロシア革命の指導者@(     )は『マルクス主義の三つの源泉』を書いていますが、さあその三つの源泉とはなんでしょう。

花子:ハイ、先ずA(    )哲学です。資本主義の矛盾が共産主義を生むというのはB(    )弁証法の適用ですよね。それからえーと……。

太郎:フランスの社会主義・共産主義でしょう。それから……。

先生:ドイツ、フランスときたから次はイギリスの経済学です。

花子:イギリスの経済学は資本主義の理論でしょう。

太郎:なるほどね、資本主義の理論であるイギリスの経済学を批判的に研究して、資本主義がどんな矛盾を抱えていて、崩壊するのかを解明したのですね。

先生:その成果がマルクスの主著『C(     )』です。アダム・スミスやリカードのD(     )説を批判的に継承して、E(      )理論を形成し、労働者の労働に対する搾取の構造を解明しました。そして労働者の窮乏化の必然性や利潤率が傾向的に低下することなど論証しました。また資本主義体制が循環的な恐慌によってやがて崩壊する運命にあることを説いたのです。それらは必ずしも全てが当たっているとは言えませんが、資本主義を科学的に解明したものとして大きな影響力を最近までもってきました。

 

(       )に当てはまる語句
資本論 ドイツ観念論哲学 レーニン 投下労働価値説 ヘーゲル 剰余価値

           マルクス

   資本家も己が疎外の姿なり、すべては主体のあり方に帰す
   文明を作りし罰かプロメテウス岩に縛られ内蔵抉らる
   嵐をも巻き起こしたり温暖化わが身に返る疎外ならずや
 

太郎:先生の世代は若い頃はたいていマルクス主義者だったのでしょう。

先生:それは大袈裟ですが、確かに知識人にはマルクスの権威はすごかった。立命館大学に入学したころ、日本史クラスの歓迎会では、先輩たちが「アルプス壱万尺」をもじって「マルクス壱万尺」にして歌っていたので面食らいました。私は上から権力を革命でとって、社会主義を押し付けるより、下から協同組合を積み上げるという方が好きでしたから、マルクス主義者を自称したことはありません。もちろん大きな影響は受けています。特に学生時代は若きマルクスの疎外論に熱中していましたね。

花子:@(   ・      )(18181883)、近代で最大のお騒がせ男(笑い)はユダヤ系ドイツ人でしたね。お父さんはユダヤ教からキリスト教に改宗しています。マルクスは大学では法学を勉強したのに哲学で学位をとっています。ライン新聞の編集に当たっていたのですが、プロイセン国家から睨まれてフランスに亡命しています。

先生:パリで1844年に書いたノートが『A(   ・   )草稿』です。若きマルクスのB(   )論がそこで展開されています。これは二十世紀後半の現代思想全体に大きな影響を与えました。B(   )はエントフレムドゥンクというドイツ語の翻訳です。英語ではalienationです。これは実はヘーゲル哲学の用語なのです。絶対精神が自己を先ず論理学として展開しておいてから、自然や社会の中で自己を展開して最後に絶対精神に還るでしょう。これが自己を自己に疎遠なものとして外化して、外にあるものの中に自己を見出して自己に還るので絶対精神のC(      )だというのです。

太郎:マルクスの疎外論は、D(         )の疎外論からきていると参考書にはありますが。


先生:D(         )はヘーゲルの疎外論をひっくりかえしたのです。つまり絶対精神を神と解釈して、ヘーゲルは神が自然や社会や人間精神を生むというけれど、それは全く逆で、人間が自分たちのE(      )を実感できないので、それを神として自分たちの外にだして他者として崇拝しているのではないか、だから神は人間のC(      )なのだということです。疎外された人間の類的本質である神は、人間から他者化されているので人間に対して隔絶された絶対的な力として人間を支配するのです。それで人間の類的本質こそ神だということになります。だから、彼の哲学はF(          )と言われています。マルクスはフォイエルバッハに感銘しました。そして、それを現実の矛盾に適応したのです。つまり自己疎外論をG(   )の論理で展開したのです。そこで「四つの疎外」が展開されています。

〔1〕H(         )−人間は自分たちが生み出した生産物が,自分たちのものにならないで,自分たちから独立し,自分たちに敵対して自分たちを苦しめる「H(           )」に陥っています。この生産物には広い意味では文明もふくまれます。人間が生み出した文明は人間から自立し、一人歩きして、人間の手におえないものになり、人間に対立して人間を苦しめています。
〔2〕I(       )−生産物からの疎外が起こるのは,労働が自由な活動ではなく,強制された苦役として無理やりやらされる「I(      )」に陥っているからです。
〔3〕J(          )−生産物や労働からの疎外が起こるのは,「類的本質からの疎外」によるのです。つまり人間は労働することを本質的な特長にしています。労働によって自己の能力を発揮し,自己実現できるのです。本来は目的である筈の自己実現活動が自己喪失活動としてなされており,実際の目的である生活手段を獲得する為の手段でしかないのです。これが「J(            )」という意味なのです。
〔4〕K(          )―もし人間同士が身内と見なすことができていたら,「J(         )」も起こらなかったでしょう。自分が作った物が人々の欲求を充足することに自己実現を感じ,生きがいを感じられる筈です。ところが両者は互いにできるだけ少ない労働で,他人のできるだけ多くの労働の成果を支配しようとしていますから,相互支配であり,対立的な関係にあるのです。労働自体が類的な共同として実感できないのです。この相互支配,敵対的な人間関係が「K(         )」です。

太郎:どうして先生はこの若きマルクスの疎外論に惹かれたのですか。

先生:それは20世紀前半までの階級闘争というのは、労働者階級が資本家階級を搾取されているので憎んで倒してやろうというもので、敵視と憎悪の感情が剥き出しだったのです。ところがマルクスの自己疎外論では、労働者は自分で自分の首を締めているのだということになります。そして資本家も労働者自身の疎外を他者の姿で表したものですから、本当は自己の疎外された姿なのです。資本家だって資本主義体制の中で利潤追求に血道を上げないと生きられない疎外された存在なのです。ということは革命は憎しみからではなく、愛によって行われるということですね。なんとL(         )に溢れた思想だと感動したわけです。

花子:それが疎外論がなくなって、憎しみの理論になってしまったということですか。

(       )に当てはまる語句
ヒューマニズム カール・マルクス 生産物からの疎外 フォイエルバッハ 類的本質からの疎外 自己疎外 経済学・哲学 

人間からの疎外 労働からの疎外 労働の疎外 人間学的唯物論 類的本質 疎外
 

         『フォイエルバッハ・テーゼ』

 対象(もの)すらも実践として主体なり、西田ビックリこれぞマルクス
    内在の理念にあらず本質は社会つくれる関わりの和ぞ
    反省は猿もできるぞ「哲学者」、解釈のみで変革忘るな
 

先生:いや、それは誤解かな。@(           )は社会主義に到達する必然性を科学的に解明するもので、決して憎しみの理論ではないつもりでした。ただし親友A(      )とともに唯物史観を確立するとB(     )論は影を潜めてしまいます。でも晩年になって古典経済学への批判に集中していた時期には、B(    )概念がまた使われているので、マルクス解釈をめぐっていろいろ論争があります。

太郎:あのマルクスの哲学・倫理学分野の最重要文献は『B(           )』だと聞いたことがあるのですが、それはどういうことですか。

先生:それは言えていますが、そのことは参考書や教科書にでていないので、授業ではやりませんから、興味ある人だけ付録として聞いてください。

「(1)これまであったあらゆるC(     )(それにはフォイエルバッハのものも含まれるのだが)の主要な欠点は、D(    )や現実や感性が客観あるいは観照という形式のもとでだけとらえられていて、人間的な感性的行動、すなわちE(    )として、主体的にはとらえられていないということである。」
 このテーゼには西田幾多郎もビックリです。D(   )としての事物は、人間の身体の外にあって、他者の姿をとっていますが、カントに言わせれば主観の感覚が構成したものでしたね。フィヒテは自我が自己の障害として作り出したものでした、マルクスは自己の実践の姿だとF(    )に捉え返すべきだというのです。
「(6)フォイエルバッハは宗教的本質をG(         )に解消する。しかし、G(        )は個々の個人に内在する抽象物ではない。現実には、それはH(                )(アンサンブル)なのである。」
 マルクスは労働を人間の本質として捉えていましたが、ここでは人間の本質をH(                    )として捉えるべきだとしているのです。

花子:それではマルクスは人間の本質は何だと言っているのですか。

先生:この解釈をめぐっては大論争が展開されています。私の解釈としては、マルクスは、人間の本質はI(   )だと言いましたが、思惟や社会性が本質でないと言ったわけではありません。マルクスがこの文脈で言いたいのは、「人間の本質は〜だ」と理念にして、それで現実を批判しても仕方がないということです。現実には社会的な諸関係の総和に規定されて人間は生きているわけですから、先ず社会的諸関係から捉え返していくべきだということで、サン・シモンやJ(    )と共通していますね。

太郎:つまり理念としては労働、思惟、社会性などが本質だけれど、現実的には社会的諸関係の総和が本質だということですか。

先生:その解釈は深いですね。本質は一つと勘違いしない方がいいと思います。
「(11)哲学者たちは世界を単にさまざまにK(   )ただけである。問題なのは世界をL(    )ことなのである。」これなどは陽明学の「知行合一」に通じていますね。実践しないのなら世界は個々人の心の持ち方次第でどのようにでも解釈できますが、世界の中で苦悩し、苦闘して世界を変えなければならないとなると、人間たちの実践の諸関係としてきっちり認識しなければなりません。

花子:哲学者というのは日光のサル軍団のサルですね。「反省だけならサルでもできる。」

太郎:おいおい、先生も自称哲学者なんだから、そりゃあ失礼だよ。それにただああでもないこうでもないと解釈したり議論ばかりして何もしないのは、哲学者に限ったことじゃない。他人事じゃないんだ。
 
(       )
に当てはまる語句
解釈 類的本質 対象 変革 社会的諸関係の総和(アンサンブル) 労働 コント 疎外 唯物論 科学的社会主義 エンゲルス
実践 主体的

           唯物史観の成立

     存在に生みだされたる意識なり、意識が存在生むのではなく
     経済の根っこが有りてその上に政治文化の花が咲けるや
           

花子:マルクスやエンゲルスは唯物論者だと言われますが、「@(   )」とはどういう意味なのですか。『広辞苑』にはこう書いてあります。
「精神に対するA(   )の根源性を主張する立場。従って物質から離れた霊魂・精神・意識を認めず、意識は高度に組織された物質(脳髄)の所産と考え、認識は客観的実在の脳髄による反映であるとする。」

先生:マルクス主義の哲学は、ヘーゲル弁証法を批判的に継承していますので、B(           )と後世から呼ばれています。マルクス自身の@(    )の特徴は「人間のC(   )がそのD(   )を規定するのではなくて、人間の社会的D(   )がそのC(    )を規定する」という命題によく示されています。

太郎:金儲けばかり考えるから資本家になるのではなく、資本家だから金儲けのことばかり考えるのだということですか。しかし金儲けのことを一生懸命考えないと資本家になれないし、成っても成功しないのじゃないですか。要するに意識を生み出す土台には、物質的な経済関係があるというとらえかたが@(   )なのでしょう。

先生:これらを踏まえてマルクスとエンゲルスの共著『E(   ・        )』や『F(       )』ではG(      )の立場を確立したのです。政治や法律,思想や文化などはH(       )であって,経済的なI(   )に規定されています。その事に無頓着に変革の旗手になったつもりでも,世間はびくともしません。

@(      )I(        )に当てはまる語句
ドイツ・イデオロギー 唯物論 存在 共産党宣言 弁証法的唯物論 土台 意識 物質 上部構造 唯物史観 

            史的唯物論の定式

       生産の力が伸びて桎梏になりし関係滅び去るのみ

太郎:経済的な土台はどういう矛盾を抱えているのですか。

先生:各時代の生産様式は漸次発達する@(    )と,その時代を通じて変化しないA(      )の矛盾を抱えています。生産関係が生産力の発展に大きな障害になった場合に,生産関係の変革がなされ新しい生産様式の時代が誕生するのです。上部構造はこのような土台の変化に対応して変化するのであり,その時代の課題を正しく認識していないと有効な思想にはなれないのです。

花子:歴史の発展段階をどのように認識していたのですか。

先生:生産関係は生産手段を所有している階級が,生産において生産手段を所有していない直接生産者階級を支配する関係なのです。これは生産力の発展段階によって五段階に区分されます。
(1)無階級社会であるB(        )
(2)C(       )―奴隷所有者が奴隷を品物のように支配
(3)D(       )―封建領主が土地を領有し、土地を占有している農奴を土地に縛り付け年貢をとって支配。
(4)E(       )―資本家が土地・機械・原材料などを資本として所有し、労働者の労働力の使用権を商品として買い取って、生産を支配し、剰余価値を搾取して利潤を蓄積する。
(5)F(       )―生産者であり消費者でもある労働者が共同社会を形成する。

花子:すると新しい共同体である共産主義では矛盾がなくなり、発展しなくなるのじゃないのですか。

先生:歴史の前史が終わり、人類の共同社会の歴史が始まるとしていました。階級対立はなくなっても、新しい社会には未知の矛盾があると考えていたのでしょうね。こうして歴史はギゾーが言ったように「G(         )」であること,その結果として共産主義社会到来の必然性が科学的に主張されたのです。

@(      )G(        )に当てはまる語句
中世封建制 歴史は階級闘争の歴史である 古代奴隷制 生産力 共産主義 生産関係 近代資本制 原始共同体 

                   
剰余価値理論

       働かぬ人の分まで働いて、搾り取られて身も痩せるかな
       一日の生活費だけ働いて、はいさよならではおとといおいで             

郎:@(    )を搾取するというのはどういう意味ですか。

先生:労働者はA(      )としての自己と家族のB(            )を賃金として保障されれば、働きますが、それだけの価値を生み出しても、まだ労働から解放されません。それでは資本家の取り分である@(       )は生み出されないからです。ですから賃金分にあたるC(       )を超えてD(       )を働き、剰余価値を生産しなければなりません。この剰余価値がE(       )の全ての源泉になるというわけです。
@(      )E(        )に当てはまる語句
資本家の利潤 労働力商品 剰余価値 必要労働時間 最低限度の生活費 剰余労働時間
                  
物化・物象化(物件化)・物神崇拝


    商いの品物の同士が人として関わり合うのは神秘ならずや
    労働が生みし価値が自立して資本となりて我を苛む
    人と物その区別にぞこだわりて価値はつかめぬマルクスの穴

太郎:先生のホームページでは@(    )やA(                )についてかなり論じられているようですが。

先生:ええ、でも高校倫理では一部の教科書にしか出ていません。関心のある人だけ次の説明を読んでください。授業ではほとんど触れません。

 
 マルクスは労働力が商品化され,物として売買される人間のB(            )を批判的に捉えています。そして人と人の関係が物と物の関係に置き換えられ,物と物が人間に代わって社会関係を取り結ぶ@(    )を商品の価値形態や貨幣形態あるいは資本の諸形態を論じながら問題にしています。このように資本が人間から自立して自らの論理で発展し,人間を包摂し,支配することも@(    )として批判されます。この現象は経済に限らず,政治,法,社会,文化の諸現象にも制度や機構や価値観が硬直化し,C(        )して人間に対して不当に呪縛的に支配する形で見られます。

 また物が人間の社会関係を背負って,人間的な価値や権威を発揮する場合に,マルクスはこれをA(       )だと批判しました。商品は人間の労働の価値を本質的な属性としているので,人々に物神崇拝されているというわけです。つまりマルクスは服という商品は服という事物としては,使用価値でしかないのだけれども,商品とみなされる限りで,人間労働の価値をD(       )ので社会的価値として認知され,取り引きされるというわけです。そこには人間でないものを人間とみなすE(   )があるというわけで、資本主義社会の文明が発達すればするほど未開人の宗教であるA(           )に陥っていると言う批判なのです。

 マルクス主義は社会主義世界体制の崩壊によって,かなり衰退していますが,現代ヒューマニズムとして「物化・物象化・物神性」論は重要な影響力を保っています。

@(      )E(        )に当てはまる語句
 物化・商品化  フェティシズム(物神崇拝) 倒錯  自立的展開  物象化  身に受け取る

 

解答
科学的社会主義
@レーニン Aドイツ観念論 Bヘーゲル C資本論 D投下労働価値説 E剰余価値

マルクス@カール・マルクス A経済学・哲学 B疎外 C自己疎外 Dフォイエルバッハ E類的本質 F人間学的唯物論 G労働の疎外 H生産物からの疎外 I労働からの疎外 J類的本質からの疎外 K人間からの疎外 Lヒューマニズム

『フォイエルバッハ・テーゼ』@科学的社会主義 Aエンゲルス Bフォイエルバッハ・テーゼ C唯物論 D対象 E実践 F主体的 G類的本質 H社会的諸関係の総和(アンサンブル) I労働 Jコント K解釈 L変革

唯物史観の成立@唯物論 A物質 B弁証法的唯物論 C意識 D存在 Eドイツ・イデオロギー F共産党宣言 G唯物史観 H上部構造 I土台 

史的唯物論の公式@生産力 A生産関係 B原始共同体 C古代奴隷制 D中世封建制 E近代資本制 F共産主義 G歴史は階級闘争の歴史である 

剰余価値理論@剰余価値 A労働力商品 B最低限度の生活費 C必要労働時間 D剰余労働時間 E資本家の利潤 

物化・物象化(物件化)・物神崇拝@物象化 Aフェティシズム(物神崇拝) B物化・商品化 C自立的に展開 D身に受け取る 
E倒錯  

 

 

              実存主義     

1自由の哲学

何々と規定されたるその前に吾自由なり己を選ぶ

先生:いよいよ、実存主義に入ります。実存主義を分類するのは有神論か無神論かでします。 

太郎:有神論的実存主義は、19世紀にはデンマークの@(      )(1813-55年)で、20世紀ではドイツのA(       )(18831969年)です。 

花子:それじゃあ無神論的実存主義はまかせてください。19世紀はドイツのB(   ) (18441900年)です。20世紀になりますとC(      )(18891976年)とフランスのD(     )(19051980年)ですね。 

太郎:実存主義というのはどういう思想なのですか。 

先生:産業革命以後資本主義と官僚制が急速に発達しました。巨大な社会組織の下で諸個人はE(  と    )を喪失し,物化・商品化・部品化・画一化・平均化されるようになったといわれています。人間を主体的な人格的存在として捉えていた人々はこのような状況をF(     )の状況だと告発し,人間性の回復を叫びました。マルクス主義はその原因を資本主義体制に求め社会変革によって人間性の解放を実現しようとしました。一方その原因を主体性の喪失に求めた実存主義はG(    )の回復を追求したのです。 

花子:「H(  )existence」という言葉は「本質」という言葉と対極でI(  )という意味なのでしょう。 

太郎:本質づけられた存在だと、個的存在である以前に同じ本質のものの集合に帰属していますね。それに対して実存は本質付けられる前の個別の立場だということになりますね。

先生:事物存在は本質的な規定において存在していますね。机だとか薔薇だとか太陽だとかのように。ところがJ(    )は自ら何であるかを主体的に選び取る存在です。 

花子:人間も人間としては本質的存在ではないのですか。猫や犬と同様に。 

先生:人間の場合は、自分が何かと考える場合に、自己のアイデンティティは何かを問い掛けます。ですから人間一般であることをいくら確認しても、自分が分かったことにはなりません。その前に規定されていない現存在あるいはH(   )であるというのです。 

太郎:例えば教師だとか生徒だとかに決まっていますよね。そういう意味では本質づけられているのではないのですか。 

先生:それでも「教師」や「生徒」とは何か、事細かく決められていて、すべてマニュアル通りやらなければならないということになりますと、教師はティーティングマシン、生徒はラーニングマシンになってしまいます。あとはいかに効率的に教え込むかということになってしまいますね。 

花子:それでいろいろ教え方を工夫されているわけでしょう。

先生:もちろん人間も職業をもち、与えられた社会的任務を決まり通りに果すという面をもっていますからね。しかし教師は自己の頭脳内に記憶した知識をコピーさせるだけの仕事なのでしょうか。実存主義は、そこで簡単に教師はこうだと決めつけないで、苦悩するわけです。 

太郎:常に新たな教師像を打ち出し、既成の教師概念を壊していくということですね。

先生:ええ、そんなことを言えるだけのことはできていなくて申し訳ありませんが、そういうことですね。常に既成の本質規定に囚われることなく、新たな人間存在の可能性を打ち出していくのが実存的な生き方なのです。また教師や生徒である枠組に囚われすぎるのも実存的ではありませんね。 

花子:人間存在をK(   )だと捉えていることになりますね。 

先生:「実存」という言葉の意味も個々の実存哲学者によって個性がありますから、具体的にキルケゴールから入りましょう。 

@(   )〜K(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。

実存 ヤスパース 自由 ニーチェ サルトル 人間存在 人間疎外 ゼーレン・キルケゴール 主体性 現実存在 個性と主体性 ハイデッガー  

 

ゼーレン・キルケゴール

2キルケゴールの大地震

神呪い不義犯したる父なれば、吾呪われし罪の子なるを
張り裂けし思いも知らで咎むるや乙女心を弄びしと
 

太郎:キルケゴールはファーザー・コンプレックスだったという話ですね。 

先生:ゼーレンの父は毛織物商で商売に成功して大変な資産家でした。同時に大変敬虔なキリスト教徒だったのです。ゼーレンはそんな父を尊敬していました。でも父はゼーレンに打ち明け話をして、それでゼーレンは大変ショックを受けたようです。これを「キルケゴールの@(    )」と言います。キルケゴールという苗字は貧しくて墓場にすんでいたからついた「墓場」を意味する言葉だそうです。

 父は少年時代は貧しかったので牧童をしていましたが、大変寒い上に落雷に襲われ恐ろしくなって、子供の自分をこんな目に合わせる神をA(   )ものだと打ち明けました。それに父は苦労して商売に成功し、資産家になりましたが、奥さんに先立たれて淋しかったので、女中だったゼーレンの母にゼーレンを産ませてしまったというのです。父はゼーレンの母を正式に入籍させましたから。ほほえましいエピソードと捉えてもいいのですが。ゼーレンは神を呪うのは悪魔の血を引いているからだと思い、しかも結婚もせずに子供を造った不義の子と考えたのです。別段そのせいではありませんが。兄たちが次々病死してしまったのです。それで神に呪われていると感じたのです。 

花子:お父さんもそのことで罪の意識がつよかったのですか?

太郎:お父さんにすれば、自分が神を呪わなければならないほど惨めな境遇から這い上がってきたことを息子に知って欲しかっただけでしょう。ゼーレンの母との逸話も懐かしい思い出て、後で籍を入れているので罪の意識なんてないでしょう。 

先生:私もそういう解釈だったのですが、最近読んだ本にはどうも父が神に呪われていると感じていたらしいですね。彼の宗派がキリストを殺し裏切った人間の罪を深く追求する宗派でした。それで自らの罪を強く意識してこの話を語ったとされています。悪魔とか不義の子だとかいうことで罪の深さを実感して、罪人を救うために人となった神イエスにすがるという信仰のありかたなのです。そのためにゼーレンは、どうせ神に呪われているのだからと自暴自棄になってB(   )するようになります。 

太郎:そのゼーレンを救ったのが少女C(     )でしょう。彼はレギーネを幸せにしようと思い直して放蕩をやめ学問に打ち込みますが、突然婚約を彼の方から破棄してしまいます。 

花子:そんな、どうしてですか。 

太郎:だって、彼は悪魔の血を引く罪の子です。そんな自分がレギーネを幸せできるはずがないと考えたのです。相手を幸せにできる結婚でなければナンセンスです。本当に愛しているのならば、相手を不幸にさせる結婚なんてできないはずです。 

先生:恐らく彼は激しく慟哭し、悶え苦しんだと思います。それでも主体的に生きる人間ならば、ここで決断をしなければならないと、一方的に1840年に婚約を破棄したのです。  

太郎:でも世間は彼の「D(   、   )」の主体的決断の苦しみなんか全く意に介さずに、乙女心を弄び、一方的に婚約を破棄したひどい男として中傷したのです。 

先生:それは1846年のことです。「コルサール」という大衆向け新聞が、キルケゴールから低俗だと批判されていたので、興味本位に人身攻撃をかけてきたのです。そこでいかに世間が主体の苦悩を理解できないか、水平化された大衆の虚偽性を思い知ったのです。 

@(   )〜D(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。あれか、これか  放蕩  大地震  レギーネ 呪った  

3主体的真理

そのために死ぬことをすら吾願ふ主体の真理吾は知りたし  

花子:キルケゴールと言えば、客観的真理より。@(       )が大切だといったのでしょう。 

先生:1835年8月1日、彼は日記に、こう記しました。 

 「私に本当に欠けているものは、私は何をなすべきか、ということについて、私自身、はっきりわかっていないということだ。・・・つまり、私自身の使命が何であるかを理解することこそが重要なのだ。すなわち神は、私が何をなすべきことを本当に欲しておられるのか。これを知ることが重要なのだ。私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生きそして死ぬことを心から願うようなA(   )を見い出すことが必要なのだ。・・・

 さあサイコロは投げられた。私はルビコン河を渡るのだ!きっとこの道は私を闘争へと導くだろう。しかし私はそれを拒絶はしないだろう。」 

花子:太郎君には命をかけられるような@(      )はありますか。 

太郎:それが見付かっていれば、そっちの方に突進していたかもしれない。それは恐らくかなり勉強しないと掴めないから、それで勉強しているのかも。でもそれが掴めたら、やはりそれを実現するために勉強しなければならないとは思うけど。

先生:一度きりの人生だから、何かそのために生き、そのために死ねるようなA(    )(理念)を持って生きられるかどうかは、その人の人生が輝いて見えるかどうかということと深く関わっているのかもしれません。 

太郎:そのことと「自己がB(  )である」ということは繋がっていますか。 

先生:それは同じような意味でしょう。イデーを持って生きるということは、自分を精神として捉えているということでしょうから。キルケゴールは「自己とは自己自身に関わる一つの関係である」と捉えています。


@(   )〜B(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。主体的真理 イデー 精神  

4実存の三段階 

若さゆえ美と快楽に酔いしれどやがてむなしき朝迎へむ

身に負いし荷の重さゆえ甲斐ありき己の非力知りてはかなし

人は皆神より離れ罪にありその絶望にあがき苦しめ 

花子:キルケゴールは「実存の三段階」について論じていますね。
「@(       )⇒A(       )⇒B(        )」の三段階です。
 

太郎:まず@(     )ですね。快楽と享楽の中で「C(        )」求め続ける段階です。この段階は絶望を知らない絶望の段階とありますが、どうしてですか。 

先生:キルケゴールの絶望は、「D(                 )」をいうわけです。その意味で絶望は罪ですね。快楽と享楽の中で「C(        )」求め続ける段階では、神のことなど考えていませんから、即自的に絶望なんです。でも絶望は忘れられているわけです。 

花子:絶望は意識だから忘れていれば意識されていないので絶望といえないでしょう。

太郎:もし神とのつながりを感じていれば、快楽や享楽の方にいかないわけだから、のっけから神とのつながりはあきらめているということでしょう。 

先生:おそらくそうでしょうね。そうとしか解釈できません。この快楽や享楽の追及は限りがありませんし、同じ事の繰り返しで感覚的に新鮮味がなくなり、挫折してしまいます。ついに絶望の自覚にいたり、次の実存に飛躍するのです。この絶望による質的飛躍をなんといいますか。 

花子:ヘーゲルの弁証法の向うを張って、E(        )ですね。J,S,ミルの「質的功利主義」を意識しているのでしょうか。 

先生:さてどちらが先だったでしょう。微妙ですね。

花子:第二段階のA(       )は道徳的義務に生きようとします。何か社会的な責任や家庭的責任を背負って、それを生きがいにして生きようとするのです。これも絶望を知らない絶望の段階からはじまるわけです。そして責任が重くなって背負いきれなくなるし、完全に道徳的義務など果たせるものではありません。無力感にうちのめされて挫折せざるをえないというのでしょう。そうしてまた絶望を自覚して、次の段階に飛躍するということです。哀しくなりますね。 

先生:そうですね、そういう意味では悲哀の哲学といえるかもしれません。そしていよいよB(       )の段階になるのです。自分が絶望つまり罪そのものであることを自覚して、神の御前にただ一人立つE(     )の実存です。そこではじめて主体性の回復がなされるということです。

太郎:神に向かってしまうということは、人生に絶望して、主体性をなくしているからではないのですか。 

先生:それは無神論からの批判です。ニーチェはキルケゴールを世界に背を向け天上しか見ていない背世界者として批判しています。有神論ではむしろ神に還ることが主体性なのです。 

花子:天上に昇りたいということですか。 

先生:死ぬことではありませんよ。神と共に生きるということです。『G(       )』では死の問題が正面に据えられます。『新約聖書』ラザロの病気が重いのですが、イエスは「この病は死にいたる病にあらず(This sickness is not unto death,)」と言われたのです。このことを肉体的な病気によってたとえ肉体が滅んでも、精神は滅びないということだと解釈しているのです。本当に恐ろしいのは精神が滅んでしまう病です。それがH(    )です。つまり人間が神とのつながりを失ってしまうということです。 

太郎:でもキルケゴールの論理だとみんなH(   )しているのだから、どうしてそこから脱却できるのですか。 

先生:それはやはりH(    )によってしかありません。人間は神を信じないという罪に落ちているのです。それで救われないでもがき苦しんでいるわけですね。その人間を神は憐れに思って人類の罪を贖うためにイエスという人間に身を落とし、人類の罪をみんな背負って十字架についてくださった。そのイエスの愛にすがるしかないということです。 

花子:でも、それが信じられないのでしょう。

先生:その絶望を自覚して、直視し、もがき苦しむ中で信仰がうまれるということでしょうね。  

@(   )〜H(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
死にいたる病 美的実存 神から離れていること 倫理的実存 絶望 宗教的実存  質的弁証法 単独者 あれも、これも 

 

ニーチェ 

5アポロンとディオニソス
民衆の生のエナジー昇華して現れいずる造形の美 

太郎:@(     )(18441900 は,キリスト教の牧師の子で、古典ギリシアの文献学者だったのですね。

先生:そうです。それでギリシャ悲劇の成立を論じた『A(      )』を著したのです。造形的なB(         )と音楽的なC(             )の総合としての悲劇の誕生を解明しました。感情的・音楽的なものをディオニソス的と形容し,民衆の生のエネルギーを象徴しています。民衆の生のエネルギーは十年に一度程の周期で大きなうねりがあって,群衆化して乱舞狂乱する事があり破壊的行動も起こりました。このエネルギーを昇華し,造形的な建築,彫刻などアポロン的と形容されるものが生まれたのです。このようにギリシア文化の構造をダイナミックに捉えたのです。 

花子:「悲劇」におけるディオニソス的なものアポロン的なものとは何ですか。  

先生:悲劇は合唱隊がディオニソス的要素です。合唱隊の要素を民衆的なエネルギーの象徴と解釈したところが新鮮です。アポロン的要素が舞台的な造形やドラマの構成です。 

@(   )〜C(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。
悲劇の誕生 ディオニソス的なもの ニーチェ アポロン的なもの 

6超人への橋梁()

憧憬の矢を放たなむ彼の岸へ没落ねがひ過渡(かと)を超へなむ 

花子:ニーチェと言えばヒットラーが一番尊敬していた思想家ですね。ナチスの元祖みたいで恐ろしいという人もいるのでしょう。 

先生:ヒットラーがニーチェの大ファンだったことは確かですが、ニーチェは人種主義的な傾向もなかったし、反ユダヤ主義者でもありません。ただヒットラーの指導者原理の思想的基礎にはなったかもしれません。

太郎:二十世紀の実存哲学者のハイデッガーはナチス党員だったそうですね。 

先生:ええ、ハイデッガーはナチスによる第三帝国の栄光に参画しました。しかしだからといってハイデッガーの哲学がナチスの哲学であったわけではありませんし、彼がとなえた「死の先駆的決意性」つまり死を予め決意することによって、本当に生きることができるという立場が間違っているわけでもありません。 

花子:ニーチェを勉強することがナチスに惹かれる原因になりませんか。  

先生:ナチスの恐怖独裁原理や人種主義、反ユダヤ主義などに対しては民主主義と人権を守る立場からしっかり批判をできなければなりません。ニーチェの思想にもナチスとの親近性があれば、きちんと指摘しておく必要があるでしょう。 

太郎:@(   )の登場を期待する思想が、ヒットラーを指導者に押し上げる役目を果したかもしれませんね。  

先生:それはそうでしょうね。しかしニーチェは、みんなが向上を目指すことによって。@(   )が生まれると考えました。彼は現代文明が人間を堕落させ,衰弱させていることを嘆き,あくまでも向上を求め人間の限界に挑戦する生き方を
『A(                 )』で説きました。
 

太郎:人間は動物と@(   )の間の絶壁に架けられた橋であり,一条の綱なのですね。  

先生:つまり「人間の本質は動物から超人へのB(   )である」ということです。彼方の岸に憧憬の矢を放ち,C(  )を敢えて願っても過渡を生きるべきなのです。

花子:「C(   )を願う」というのはどういう意味ですか。  

太郎:ジョギングする人は多いけれど、毎日五キロ以上走っている人は少ないでしょう。走り過ぎると足を傷めるし、根気がいるものですから。その中でもフルマラソンができる人はごく一部です。そのうえトップランナーを目指すとなると大変な努力と危険が伴います。高橋尚子はQちゃんと呼ばれていますが、お化けという意味ですね。人間を超えた体力、気力を持っているからです。その彼女でさえ、体力の限界に苦しんでいます。どうしても故障は避けられないということですね。しかし、没落を恐れてばかりいたら、栄光は手に入らないわけで、敢えて限界に挑戦し、突き抜けようとしているのです。そういう姿勢はあえて「C(   )を願う」という表現にぴったりですね。 

先生:人間にとって猿は嘲笑の対象です。蛆虫も嘲笑の対象です。でもニーチェは人間は猿よりはまだ猿,蛆虫よりはまだ蛆虫だと言います。何故なら蛆虫や猿は進化の途上にあり,ベクトルは上を向いていますが,人間は進化の頂上にあり,ベクトルは下を向いているからです。だから人間の方が猿や蛆虫よりベクトル的には劣っていることになります。人間は自らの限界に挑戦して人間以上の@(  )を目指してこそ,蛆虫や猿よりも尊い人間であり得るというのです。

花子:でも進化の頂上にある者が,なお自らの限界を乗り越えるのは至難の技ですね。

先生:Qちゃんのように、常に危険を伴います。一条の綱の上は,進むに危うく,退くに危うく,佇立する(じっと立っている)に又危ういと言います。しかし敢えて危険に挑戦し,自らの可能性の限界を乗り越えようとする多くの人々の没落に支えられて,始めて人間は文化を向上させ,超人を生むことができるのだと考えたのです。

太郎:しかし本人は既成の人間の限界を超えたと思っていても、なかなか世間は評価しないものでしょう。青色発光ダイオードのようにそれがすぐに応用されて莫大な利益を会社にもたらせば別だけど、その人が生きている間は評価されない場合も多々あるようですね。 

花子:中村さんの場合も会社が出した報償金は二万円だそうで、裁判では会社に与えた利益は6百億円と認定されましたね。結局示談では84千万円に減っちゃったけれど。

先生:思想の領域だと、実に悲惨です。キルケゴールはほとんど親の財産を食い潰しながら言論活動をしていました。世間の大多数の評価はさんざんで冷笑の的だったのです。でもマニアみたいな人がいて、その人が全部ドイツ語に訳したら、死後ドイツで高名になったのです。ニーチェも生きている間は無視されていました。あれほど名文の『A(                            )』でも生前にはそれほど評判は呼んでいないのです。 

@(   )〜C(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。 没落 ツァラトストラはかく語りき 過渡 超人  

7神は死んだ!人間が神を殺したのだ。

しがらみは隣人愛の十字架か釘打たれては挑み得ざりき 

太郎:ニーチェは超人を目指していただけに没個性的な非主体的な平均的な大衆からの反感に嫌悪をもって見下していますね。 

先生:ええ、キリスト教徒達や社会主義者達は@(          )(劣等感による妬みからくる怨恨)から向上しようとする人々を非難し,隣人愛の十字架に磔にしようとしていると感じていました。 

花子:隣人愛を否定しているのですか。孤独な魂だったのですね。 

太郎:というより、小市民が家族や共同体的なつながりで、身を寄せ合い暖めあって生きていますね。そこで互いに慰めあって、隣人間での義務や責任を分かち合い、それさえこなしていればそれで十分みたいな関係にあるわけで、これでは向上や力の充実というものはありません。互いに駄目にし合っているわけです。隣人愛の十字架に磔にし合っているのでは駄目だということでしょう。そういうしがらみを断ち切って、あくまで自己の可能性の限界に挑戦せよということですね。 

花子:「A(          )人間が神を殺したのだ。」という言葉があってニーチェは無神論的実存主義だと言われますが、どういう意味でしよう。 

先生:キリスト教徒や社会主義者は隣人愛と平等に基づく価値観を説きますが、実際は利己主義的に振舞っています。もし神が存在しているとしたら,決してできないような振る舞いをキリスト教徒たちは普段しています。隣人愛などお構いなしにいかに他人を蹴落として自分が成り上がり,富や名誉を手に入れようと私利私欲のために競っています。ところが日曜日になるといかにも敬虔なキリスト者で隣人愛に満ち溢れた人格のように振る舞っているのです。つまりとっくに神は死んでいるよ、自分たちで殺したじゃないかというわけです。  

太郎:あれ?「神を殺す」ということは、人間が神によって本質づけられることを拒否して、自由に主体的に生きるということじゃなかったのですか?  

先生:ええ、その通りです。それを神が存在しないことを要請する「B(              )」というのです。ですから自分たちがきれいごとで掲げていた神に従って生きることを止めて神を殺したのだから、そのことを開き直って、自由に生きる出発点にしなさいということです。  

@(   )〜B(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。 要請的無神論 ルサンチマン 神は死んだ

 

8能動的ニヒリズム

罪に落ち神を無して生きしなら、己の旗を掲げて進めや             

先生:「神は死んだ。」のですから,人間は形而上学的な背後の世界(彼岸や霊界のことか)に価値を求めるべきではありません。生きた全体である大地の意義に忠実であるべきです。「@(        )(より強く生き,より大きな影響力,支配力を発揮しようとする意志)」を持って,常に成長しようとする生命の差し潮となるべきなのです。彼は既成の価値の無効を宣告し、A(        )の時代の到来を告げました。その上であらゆる価値の価値転換をめざす「B(            )」の立場を打ち出したのです。 

太郎:神の死はC(          )の崩壊を意味していると言われますが、どういう意味ですか。 

花子:ストア派以来のC(           )観というのは、D(   )が実体として存在していて、それが自然や社会を貫いていると捉えていたわけです。そのD(   )を神や人間が共有していると考えていたのでしょう。そんなD(   )なんかフィクションだよとニーチェは宣告したのでしょう。 

先生:それぞれの宗教や文化の違い、民族の伝統や社会の仕組みなどで、時代により社会によりさまざまな価値観がありました。どの価値観がすぐれているなんて原理的に言えないという立場が「E(            )」です。フランス革命の挫折以降は次第に普遍妥当的価値に対する信頼が揺らぎ、価値相対主義が強くなってきました。「神は死んだ!」となれば、キリスト教的価値観は崩壊し、一人一人が自分の力で自分が生きていくための新しい価値の表を作り出さなければならないということになります。  

太郎:そんなことになれば、百人百様の価値がぶつかり合うことになり、秩序が成り立ちませんね。 

花子:強者の権利を唱えた社会ダーヴィズムの影響もあったのですか。  

先生:平等や民主主義では、それぞれが自らの力を最大限に伸ばしていくということよりも、それを制限して、最大多数の最大幸福を求めることになります。ニーチェは人間は平等だという理念を受け付けません。強いものは権力を極め、科学者は知を極め、芸術家は美を極める。そして大衆は超人が素晴らしい文化を創造するために奉仕するというような捉え方ですね。それぞれの能力や個性に応じて分相応の貢献をすればよいということです。それぞれが自分の分相応な価値観をもてば、調和が可能になるわけです。ところがキリスト教や社会主義では、強いもの、高貴なもの、才長けたものに対してルサンチマンで潰そうとするのでけしからんということになります。  

太郎:価値相対主義は西欧的な価値観を独善的に押し付けることに対する批判としてはよく分かりますが、平和や人権や環境など人類共同の価値の確認も大切ですね。 

先生:もっともこれらの価値相対主義の傾向は「現代」という時代が,帝国主義戦争と革命の時代であり,分裂と抗争の時代であったことの表現だとも考えられます。西暦二千年代にはグローバルな危機を克服する為に人類的統合が進展し,普遍妥当的価値が再確認されることになるかもしれません。見方次第では1985年以降既にそういう新世界秩序の形成の時代が模索されているとも言えます。 

@(   )〜E(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。ニヒリズム 価値相対主義  普遍妥当的価値 理性 権力への意志 能動的ニヒリズム 


               9永劫回帰

神なきに為・価値・意味を持たざりきコスモスはただ永劫回帰か 

花子:ニーチェには,「@(      )」という言葉がありますが、輪廻転生を認めているのですか。 

先生:ニーチェは天国や地獄,彼岸や輪廻転生などは認めません。『ツァラトストラはかく語りき』で綱渡りの場面があります。高い塔と塔の間を綱渡り人が,一歩一歩慎重に熟練した技で渡っていますと,突然一方の塔から五彩の服を来たピエロのような男が綱の上を走り出て,前を行く綱渡り人に,「足萎え,我が行く道を妨げるな!」と呼び掛けます。驚いている綱渡り人の頭上をひらりと飛び越えて,前方の塔へ駆けていったのです。驚愕した綱渡り人は均衡を失い数十メートル下の地面に落下しました。「助けてくれ,ツァラトストラ,悪魔が地獄へ私を引いていく!」と懇願しますと,「安心しろ,悪魔もいないし地獄もない,汝は危険を職業にし,常に限界に挑戦して立派に生きて,それ故に死ぬのだから本望だろう」と慰めたら,綱渡り人は安心して,ツァラトストラに感謝して息を引き取りました。 

花子:それじゃあ有限な一回限りの人生を、人間の限界に挑戦しながら、没落を願って生きるのがいいわけですね。 

先生:実存主義では一度きりの繰り返しのきかない人生だからこそ,主体的な決断の下に自由に自己を選択して生きるべきだと考えます。ニーチェも有限な一回だけの生命が前提です。しかし,彼はこう考えます。コスモス全体は、神が存在しないのだから、それ自身ではなんの目的も価値も持たない無意味な存在である。だから生命の循環を機械的に無限に繰り返すことになっている。つまり我々は
「@(      )」によって無限に全く同じ人生を繰り返すことになるのです。ニーチェはこの「@(       )」をも自己の運命として積極的に受け入れることを「A(    )」とよび、B(          )にしています。  

太郎:無目的・無価値・無意味な存在だから機械的に無限な繰り返しになってしまうのは何故ですか。それに人間が目的や価値や意味を付与して事物を動かせば、同じ繰り返しではなくなってしまうのではないのですか。

先生:それは鋭い突っ込みですね。まず閉じたコスモスの内の事物が互いに関係しあって運動しているとしますと、それは巨大な関数で表されると仮定できます。その関数に基づく運動が一巡すると最初に戻っていることになります。ところで人間の意志がそれに介入してずれを生じさせるとしましても、その意志自体が関数の中から生じたとすれば,すべての意志的行動も関数の中に織り込まれてしまっていることになります。もちろん実際にはそういう循環は超天文学的な数字になりますから、あまり意味のあることとはいえません。それより神の死により、無目的・無価値・無意味になっている存在を引き受けなければならないのです。「無用の用」を思い出してください。無用だからこそ用があるという発想ですね。我々がいかに自ら新しい価値の表を打ち立て、世界を創造していくかが問われているわけです。二十一世紀に生きる我々がコスモスをキャンパスにしていかなる素晴らしい絵を描けるかということですね。それが問われているわけです。  

@(   )〜B(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。超人の資格 運命愛 永劫回帰 

 

10精神の三態変化

荷を背負い力をつけしその上で、否定叫びて、創造に戯むる 

太郎:彼は精神の三態変化を説きました。「@(   ⇒  ⇒   )」と変態する(metamorphose)のでしたね。 

先生:まず重荷を進んで背負うA(       )の精神を持つべきです。多くの責任や任務を引受け,自分に大きな課題を課して,それと格闘し,自らの能力を高め,力を付けるべきです。しかし既成の体制や価値の束縛の下では,やがて自己の力を伸ばし,発展させる事は出来なくなり,衰退せざるを得なくなります。そこでより強く自由に生きようとする精神は,既成の体制や価値を否定して,自由を獲得し王になろうとするB(    )の精神に変態するのです。全て権力や体制を否定した後で,精神は否定や破壊に飽きて,創造を求めます。最後に創造や破壊の遊戯で,聖なる肯定を行うC(   )の精神に変態するのです。 

@(   )〜C(   )に当てはまる語句を次から選んで記入しなさい。幼児 獅子 ラクダ ラクダ⇒獅子⇒幼児

 

カール・ヤスパース

11機械と大衆の時代                                
戦争と革命の嵐吹き荒れぬ二十世紀よ吾は生きしや 

太郎:20世紀こそ実存主義の時代ですね。だって20世紀は@(        )の時代と呼ばれ、文明そのものが危機に陥ったのですから、人間とは何かが根底的に問い直されたわけでしょう。  

花子:人間とは何かが疑問だったということは、一体どう生きればいいのかみんなが思い悩み、決断を迫られたということですか。 

先生:そうですね。資本主義が高度に発達してA (             )になり、これが資源と市場を求めて植民地の再分割競争を繰り広げていました。対外的にはB(       )として現れて、勢力争いをしていたわけです。国内的には周期的恐慌に見舞われます。そして労働者階級は政治的に成長して巨大な労働組合や社会主義政党が勢力を誇るようになっていました。 

太郎:二十世紀には二度も世界戦争が起こり、社会主義革命が起こって世界体制を形成し、世界資本主義を脅かすまでに発達しましたね。そういう激動の中で人々は難しい政治選択を迫られ、戦争や革命に参加せざるをえなかったのでしょう。ところで二十世紀の代表的な実存主義哲学者だれですか?  

先生:C(           )18831969) とD(              )18891976) それにフランスのE(         )19051980)です。C(           )は現代を『F(            )』で機械・技術の支配する「G(            )」の時代,精神分裂症の時代だと規定しました。二十世紀が始まる頃から独占資本主義の支配が強化されて,重化学工業が発展し,大量生産・大量消費の時代に入り,H(     )な商品が作られ,誘導された流行に乗せられて消費させられました。すべてが平均化・H(     )・唯物化され精神は自己自身に意味を持たず,無力化・I(        )してしまったのです。  

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい
戦争と革命  手段化  ハイデッガー  独占資本主義  サルトル  画一化  帝国主義  機械と大衆  現代の精神的状況  ヤスパース  

 

12限界状況

逃れ得ぬ乗り越えられぬ壁ならばもがき苦しめ生きし証ぞ 

先生:流行に合わせて惰性的に生きると楽なのですが,人間である以上,「@(        )」にやがて直面せざるを得ないのです。それは逃れることも乗り越えることも出来ないA (     )なのです。ヤスパースは「B(               )」の四つを@(        )の例に上げています。 

太郎:@(          )に真剣に立ち向かい、乗り越えていかなければいけないということですか?  

花子:@(          )は乗り越えられないのよ。だから@(        )なの。

先生:そうなのです。@(        )に生きることを受入れ,逃げないで@(        )と格闘してこそ真に生きる事でができるのです。C(                 )によって真の自己の「実存」に目覚めます。そのことで同時に壁の向こうにこの自覚に導いた「D(              )」の存在を知るのです。 

花子:乗り越えられない壁に立ち向かうことを逃避し、E(         )に生きようとしがちですね。  

先生:人によって壁は,F(               )です。だから人間は本質的に孤独です。でも限界状況への挑戦で互いに励まし合い,逃避しないように共同できます。これが「G(                      )」つまり「H(              )」なのです。 

@(        )~H(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
死・苦しみ・罪責・争い   個性的で単独的   超越者(神)       限界状況    娯楽や流行    愛しながらの戦い   絶望・決断・回生   実存的交わり

 

13包括者

見るもののも見られるものも包み込むコスモスにして吾なる存在(もの) 

先生:ヤスパースは見るものと見られるものの対立を包括し,全意識や全存在を包み込む「@(        )」を捉えようとします。存在そのものである@(        )はA(      )・超越者であり,われわれがそれである@(        )はB(                                   )です。

花子:マルクスも「意識はC(                       )である」と言ったそうですが、意識は感覚であると共に意識対象の感覚への対象化でもあります。
その意味でD
(                       )は包括されて,@(        )の両面として把握されるのですね。主観・客観の統一ですね。

太郎:実存的に「E(                           )」のが全ての意識や存在の有り方と捉えるのでしょう。その他の有り方は反省や推論の中にしかないということでしょう。

先生:ええ、その意味で現存在は@(        )です。また意識は常に統合された意識として,その時代や社会に特有の精神としての有り方を示します。あらゆる意識や存在はその時代の精神的な課題を背負った,精神的な存在なのです。その意味でF(      )も@(        )です。しかし意識や存在がF(      )を帯びるのは,G(            )に真摯に立ち向かっているH(     )の意識や存在である限りですから,H(     )こそが@(        )なのです。 

花子:つまり意識は常に何らかの事象として現れ, 「A(      )」の姿をとって現れますのでA(      )は全ての意識や存在を包括しています。そして真に実存する意識にとっては,A(      )はF(      )であると共に,超越者(=神)が示されているI(      )だとヤスパースは捉えているのでしょう。 

先生:ええ、超越者はそういう形でしか存在しません。つまりG(          )に立ち向かうH(     )の苦悩と救済として超越者を感得することが,それ自体最も深いH(     )なのです。 

@  (        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。現に・今・ここに有る   世界   精神    実存   見るものと見られるもの 
限界状況
  暗号  現存在・意識一般・精神・実存   意識された存在 包括者

マルティン・ハイデッガー

14世界・内・存在

部屋ありて人の入りたるにはあらで部屋は人の有り様ならずや 

先生:@(        )18891976)の代表作は『A(           )』です。彼は,フッサールのB(        )の影響を受け,現に今ここにあるC(      )として先ず人間を捉えます。人間以外の存在でも現に今ここにあるわけですが,そのことを意識し,問題にするわけではありません。

太郎:人間だけが現に今ここにあることを対象化し,自らの有り方を常に問い返し,D(              )するということですね。  

先生:現存在はまず「E(                      ) 」という在り方をしています。ここに先ず教室という世界があって,そこにドアを開けて,外から中に入って来て,それから世界の内に存在するというのではありません。われわれが存在する仕方が「E(                      )」だというのです。例えば教室内,道路上,家庭内,職場内,公園内というような世界内という有り方,つまり常に世界と共に世界内でのつながりの中で存在するという有り方をしているのです。 

花子:世界内に存在する限り,あらゆる物も人も互いに「F(       )」としてG(    )をこなす存在であり、そしてその連関で互いに配慮しあいながら生きているということですね。 

先生:ええ、G(    )を何とか粉していればよく,流行に合わせ,他人と協調していればよいわけです。しかしそれでは主体性を喪失したH(          )としての生き方にI(      )してしまいます。 

@(        )〜I(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
世界・内・存在(In-der-Welt-sein)   用在     現存在    現象学    ハイデガー   世人(das Mann)   頽落 存在と時間    役割   主体的に決断 

 

15死の先駆的決意性

予め死を運命(さだめ)よと思いなし人は始めて生きるにあらずや


先生:そこで「@(      )」意識が重要な役目を担います。人間はA(       )であり,死すべき運命にあります。死から逃避しようとしても, 死は必ずやって来ます。むしろ「B(           )」によって自己の真の存在に目覚めることが大切なのです。「C(         )」というアポロン神殿の標語は、不死なる神からD(            )の人間に投げ掛けられた言葉ですから,人間よ!自らの人生のE(    )を自覚し,F(    )のかけがえのない人生を,自ら
G(                   )して選び取りなさいと諭しているのです。 

太郎:なるほど、死というものがなければ,また人生がF(    )でなければ,人間はなにも無理に仕事をしたり,勉強したりはしませんね。どうせ不死なのなら,食べたりすることも面倒くさいに違い有りませんね。

花子:それに価値を求め,美を追求し,家族を大切に思うのも,fall in loveして命を燃やすのも, 人生がF(    )で,有限であればこそ,そこに意義を見出し,納得したくなるからでしょうね。つまり真に生きるとは,死を予めG(                   )して始めて可能になるのでしょうね。 

@(        )〜G(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
主体的に決断    有限性   時間    一回限り   死の先駆的決意性 有限者 死すべきモイラ(運命)   汝自身を知れ 

 

16存在者と存在の区別

自らの存在の意味問はむとて存在者の吾煌き散れるや 

先生:ハイデッガーは「@(      )とA(       )の区別」にこだわります。B(   )である人間は単なる@(      )ではなく,A(       )の開示なのです。 

花子:「死の先駆的決意性」を契機に、自分のC(    )を自覚するのですね。 

先生:ええ、それがD(          )という原義の実存をもたらすのです。 

太郎:全てのものは@(      )であり,今まで哲学は@(      )について語ったきただけだった, とハイデガーは指摘していますね。しかし生成したものは必ず滅び去るわけで。「何処より来たりて, 何処に去るのか」「何故, はかなく滅び去るしかないのに,生じなければならないのか」これらの根源的な問いにB(    )である人間は苦悩せざるを得ない、このA(       )の意味を問おうというわけですね。  

先生:ええ、このE(       )の中で自らの存在の意味を求めて, 人間は
C(      )へと自己を投げ出していきます。二十世紀は戦争と革命の時代です。「第三帝国の栄光」を掲げたナチスに共鳴して
, その為に自らの生命を捧げることこそが存在の意味を明らかにする行為だとハイデガーは決断して, ナチスに入党しました。実存とは語源的に「D(          )」という意味であり, それは@(      )とA(       )を区別して, B(    )の存在を開明することだとしています。 

@(        )〜E(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
現存在   歴史的運命   存在者   実存の苦悩 存在   存在の明るみに立つ

         ジャン・ポール・サルトル

           17 実存が本質に先立つ

   吾思ふ故に吾のありしなら吾は自由の意識ならずや 

先生:@(     ) 19051980年)の著作『A(           )』(1943) での
「B
(      )」は,ハイデガーの場合とは全く違います。@(        )もデカルトのようにC(       )から出発します。人間はなによりもまずC(       )でありD(      )だというのです。しかし私のD(   )は常になにものかについてのD(   )ですから,
D
(   )の対象であるB(    )を指しています。このB(    )は事物ですから,その対極であるD(   )は「E(   )」だとされます。F(          )としての人間は「E(   )」なのです。
 

太郎:彼は『G(                     )?』で,実存主義をF(          )としての人間の立場に立ちきること,つまりH(                )だと規定していますね。 

先生:そうなのです。事物存在は予めI(     )が決まっているのに対して、人間存在は事物である前に,D(   )だというのですから,「J(                           )」のです。それで人間は自分がいかなる存在であるか自分自身で決定し,選択しなければなりません。ピコのいうように「一定の住所も顔かたちも特性も与え」られていません。
K
(          )に任されています。 

花子:とはいえ状況の方から人間は「L(                )」に限定され,I(     )を規定されそうになります。でも人間は事物のように限定されることに耐えられない自由な
F
(          )なのですね。 

先生:自分の置かれている現状や自分の知的技能的タレントを越えて,自分のイマジネーションが飛翔して作り上げた〔ありたい,あるべき,本当の〕自分を求めてしまいます。いわば人間は「M(                         )」のです。そこで人間は自分を規定する状況にNon!という否定の叫びをあげて,N(      )しつつある自己に『O(      )』し,
P
(          )に取り組まざるを得ません。  

@(        )〜P(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
存在被拘束的   存在と無   状況変革   自由意志   事物化   意識存在  嘔吐 
実存主義とは何か  実存が本質に先立つ    自由の刑に処せられている      存在  意識    本質   ヒューマニズム   サルトル  コギト(我思う=自我) 

 

18アンガージュマン

人間はペーパーナイフーにあらざらめ己を択ぶ主体ならずや 

先生:@(        )と言いますと,A(    )が客体である自分の外部の状況に、
B
(                 )立ち向かって変革しようとするように理解されがちですが,サルトルもC(          )に状況を捉えますから,状況は主体自身の置かれている状態です。つまり自分自身の置かれている状況の変革であり,自己変革に他ならないのです。 

花子:しかしそれは同時に世界の変革でもありますから,この@(        )への自己投企は社会的な参与つまりD(               ) (拘束され巻き込まれて社会に主体的に関与すること)として行われるのでしょう。 

太郎:だから他者をひいては全人類を巻き込む形で展開されますね。それで自由を求める行為は、常にE(                  )  を負っているとまで言いますね。それから
F
(                  )の比喩というのはどういうことですか? 

先生:F(                  )はF(                )として作られます。だから、作った人間によってF(              )として本質付けられているのです。それと同様に、もしも人間が神の被造物であるのなら,「F(              )の比喩」のように人間もG(                   )ことになります。それでは人間はH(           )として,自分を主体的に選び取ることが出来ないのです。  

花子:だから神が存在すれば、ルターの場合ように人間はI(         )でしかないのでしょう。それでサルトルにとってはJ(             )は人間が人間である為の,つまり自由である為の存在の条件なのですね。 

先生:ええ、そのようにJ(              )を求める無神論をK(             )と言います。 

@(        )〜K(         )に当てはまる語句を次の中から選択しなさい。
要請的無神論    人類に対する責任  状況変革   アンガージュマン   ぺ一パ一・ナイフ  
自由な意識   主体    神の非存在  主観・客観的に   神の奴隷  本質が実存に先立つ  現象学的

 

19『沈黙の共和国』

フランスが最も自由で在りし日は、ナチスの軍靴響きし日々か 

では、サルトルは『沈黙の共和国』で実存思想の精髄を衝撃的に語っているので紹介しておきましょう。 

「われわれはドイツ人に占領されていた間ほど、自由であったことはかつてなかった。毎日毎日われわれはものを言う権利を始めとして,一切の権利を失っていた。毎日毎日われわれは面と向かって侮辱され,それを沈黙して受け入れなければならなかった。  

 われわれは労働者として,ユダヤ人として,または政治的囚人としてひとまとめにして移送されていった。いたるところで、壁の上でも、新聞の中でも、映画の画面でも、われわれはわれわれの抑圧者たちがわれわれに受け入れさせようとした.胸の悪くなるようなくだらないわれわれ自身の画像に出合った。そしてすべてこうゆうことのために.われわれは自由だったのである。  

 ナチの毒液が、われわれの思想の中までも染み込んでいたからこそ、正確な思想はどれも、それぞれひとつの征服であった。全能な警察がむりやりわれわれの口を閉じさせようとしたからこそ、どの言葉もすべて原理の宣言としての価値を帯びた。われわれが追い詰められていたからこそ、われわれの挙動はみな厳粛な拘束の重みを持っていた。

−−−−そして.われわれの誰でもが自分の生命と自分の存在とについて行った選択は、真正の選択であった。それは死に直面してなされたからである。それはいつも『−−−よりはむしろ死を』という言葉で言い表すことのできるものだったからである。 

 そして私はここでわれわれの間のエリートたち、つまり本当の抵抗者たらのことを言っているのではない。四年間を通じて、夜と昼とのあらゆる時刻に、『否』と答えた、全てのフランス人のことを言っているのだ。  

 こうして自由そのものの基本的な問いが提起されたのだ。そしてわれわれは、人間が自分自身について持ち得る最も深い認識の境目まで連れていかれたのである。というのは人間の秘密は彼のエディブス・コンプレックスでも、その劣等コンプレックスでもなく、彼自身の目由の極限,拷問と死とに抵抗する能力なのだからである」 

(パッペンハイム著,粟田賢三訳『近代人の疎外』岩疲新書より)

空欄解答

実存主義
@キルケゴール Aヤスパース Bニーチェ Cハイデッガー Dサルトル E個性と主体性 F人間疎外 G主体性 H実存 I現実存在 J人間存在 K自由
キルケゴールの大地震
@大地震 A呪った B放蕩 Cレギーネ Dあれかこれか
主体的真理
@主体的真理 Aイデー B精神
実存の三段階
@美的実存 A倫理的実存 B宗教的実存 Cあれもこれも D神から離れていること 
E質的弁証法 E単独者(番号誤植) G死に至る病 H絶望 
ニーチェ 
アポロンとディオニソス

@ニーチェ A悲劇の誕生 Bアポロン的なもの Cディオニソス的なもの
超人への橋梁
@超人 Aツァラトゥストラはかく語りき B過渡 C没落
神は死んだ!人間が神を殺したのだ。
@ルサンチマン A神は死んだ! B要請的無神論 
能動的ニヒリズム
@力への意志 Aニヒリズム B能動的ニヒリズム C普遍妥当的価値 D理性 
E価値相対主義
永劫回帰
@永劫回帰 A運命愛amor fati B超人の資格 
精神の三態変化
@ラクダ⇒獅子⇒幼児 Aラクダ B獅子 C幼児 
ヤスパース
機械と大衆の時代

@戦争と革命 A独占資本主義 B帝国主義 Cヤスパース Dハイデッガー Eサルトル F現代の精神的状況 G機械と大衆 H画一的 H画一化 I手段化
限界状況
@限界状況 A壁 B死・苦しみ・罪責・争い C絶望・決断・回生 D超越者(神) E娯楽や流行  F個性的で単独的 G愛しながらの戦い H実存的交わり
包括者
@包括者 A世界 B現存在・意識一般・精神・実存 C意識された存在 D見るものと見られるもの E現に・今・ここに有る F精神 G限界状況 H実存
マルティン・ハイデッガー
世界・内・存在

@ハイデッガー A存在と時間 B現象学 C現存在 D主体的に決断する 
E世界・内・存在 F用在 G役割 H 世人(das Mann)  I頽落
死の先駆的決意性 
@時間 A有限者 B死の先駆的決意性 C汝自身を知れ D死すべき運命 E有限性 F一回限り G主体的に決断 
存在者と存在の区別
@存在者 A存在 B現存在 C歴史的運命 D存在の明るみに立つ E実存の苦悩 
ジャン・ポール・サルトル
実存が本質に先立つ
@サルトル A存在と無 B存在 Cコギト(我思う=自我)D意識 E無 F意識存在 G実存主義とは何か Hヒューマニズム I本質 J実存が本質に先立つ K自由意志 
L存在被拘束的 M自由の刑に処せられている  N事物化 O嘔吐 P状況変革
アンガージュマン
@状況変革 A主体 B主観・客観的に C現象学的 Dアンガージュマン E人類に対する責任 Fぺ一パ一・ナイフ G本質が実存に先立つ H自由な意識 I神の奴隷 J神の非存在 K要請的無神論
 

 プラグマティズム

パース

 1確信に至る「四つの方法」
 
思い込み権威や理屈の巧みさは頼るべからず科学にしかずや
 

太郎:マルクス主義、実存主義ときたら次は@(       )ですね。これはアメリカ合衆国で起こったので、フロンティア精神と関係があるのですか。 

花子:それはおおありでしょう。フロンティア精神の旺盛なアメリカ合衆国では,近代社会の諸矛盾に取り組む姿勢は実用的で合理的でしたからね。個々の社会矛盾を解決可能問題として立てて、その課題を最も効果的に解決する手段を求めたのです。 

先生:カントは,道徳的な動機に基づくA(         )な態度を、効果を重視するB(           )な態度より尊重しました。これに対してC(     )(18391914)は、道徳的な動機など確かめようがないので、科学的に論じても仕方がないと考えました。それにひきかえ、どのようなD(  )をとればどのようなE(  )があるかは、実証的に論じることができるので、科学的に有意味だとしたのです。それで自らの立場を「@(           )」としました。 

太郎:それじゃあ、イギリス功利主義の延長上にとらえていいのですね。 

花子:C(     )自身は利己主義的な利益追求主義に見える功利主義には反発していたのでしょう。あくまでも科学的な意味でD(  )とE(  )の関係を探求していたらしいですよ。

先生:ええ、それは言えますね。でも思想的な流れとしては、やはり功利主義のアメリカ版でしょう。彼は疑いや迷いから確信に至るには次の「四つの方法」があるとしました。 

(1)「F(      )」−個人の願望や恣意が信念確定の決め手になります。人間はだれしも死にたくないと思っています。でもかつて何百億の人類も全て死にました。それでも永遠の生命を信じようとすれば、たとえいったん死んでも、また甦ったり、輪廻転生を繰り返すと考えたり、死後の世界が存在すると信じ込もうとします。

(2)「G(       )」−権威に対する忠誠が信念確定の決め手になります。ベーコンの「劇場のイドラ」はこれにあたります。権威がカリスマ性を帯びたり、それを信じないと権力的に抑圧されるような体制になっていますと、自分の安全の為に信じておくことになります。

(3)「H(       )」一形而上学的な方法です。頭の中だけで論理一貫した理論を組み立てて,それを基準に現実を評価し,断罪する方法です。確かに論理的には欠陥がなく、正しく思われますが、実は実験・観察等できちんと検証されていない「机上の空論.」です。これは筋が通っていることが信念確定の決め手となっています。

(4)「I(       )」一同一条件の下では同一の結果に到達せざるを得ない科学的実験に基づく方法です。主観の認識が客観的な事物の諸性質と一致していることが信念確定の決め手なのです。パースが主張したのもこの方法です。


太郎:へえー、このパ一スの「確信に至る四つの方法」は,べ一コンの「四つのイドラ」,即ち@種族のイドラ.A洞窟のイドラ.B市場のイドラ一C劇場のイドラと対比させて覚えておくと便利ですね。
 

@(    )〜I(     )に当てはまる語句を次から選択しなさい。
プラグマーティッシュ(実用的) 権威の方法  効果 プラグマティズム  行動   先天的方法  プラクティッシュ(実践的) 科学的方法  パース   固執の方法   

                     2
プラグマティズムの格率

   パン食ひて肉の味がせぬのならパンを肉とは言わまじものを

花子:パースはプラグマティズムをどう定義していたのですか。 

先生:「観念を明晰にする方法」という論文ではつぎのような
「@(        )」を示しています。太郎君読んでください。
 

太郎:「あるA(  )の概念を明晰に捉えようとするならば、そのA(  )がどんなB(  )を、しかも行動と関係があるかもしれないと考えられるようなB(  )を及ぼすと考えられるか、ということを考察してみよ。そうすればこうしたB(  )についての概念は、そのA(  )についての概念と一致する。」 

先生:この説明でキリスト教の聖餐式をたとえに使っているのです。聖餐式(せいさんしき)はキリスト教会で,キリストの肉であるC(  )とキリストの血である葡萄酒をいただく儀式です。キリストの肉体であるとされる教会の中での,キリストと信徒の合一の儀式なのです。しかしC(  )は味、形、色、舌触り、諸成分、その他どれをとってもキリストの肉とは思えません。葡萄酒も同様です。C(  )の味,,,舌触り,諸成分をなしていれば、だれもがこれはC(  )であり、キリストの肉ではないと分かる筈です。C(  )だと分かっていながら、無理にキリストの肉だと言い張るのは間違いです。ですからパースの場合は、D(       )との一致が真理なのです。C(  )をキリストの肉と見なして扱っておけば,宗教的儀式には都合がよいからという実用的B(  )だけから、「C(  )=キリストの肉」を真理と見なすような乱暴な事は決してしません。 

花子:それじゃあキリスト教にとっては実用主義的ではありませんね。プラグマティズムといえば、何かD(       )や真理は棚上げにして、実用的であれば良いみたいな考え方のように思っていたのですが。 

先生:その意味ではパースの場合は、科学的実験に基づきますから、ベーコンに近いですね。 ある概念例えば「猫」という概念の対象について様々な特徴が報告されますが、それらを観察や実験を通して確かめます。このようにテストによって真偽が確かめうる概念だけが有意味な概念なのです。この共同の確かめによって人々の「猫」についてのE(          )が、描という概念の意昧なのです。 この方法で人間という概念を確定しますと、人間はF(  )活動の連続であり、F(  )は
G(  )に他ならないから、「人間はG(  )である」ことになりました。人間とは事物が他の事物を指し示す、H(         )のことだというわけです。
 

太郎:それは独特の人間論ですね。 

先生:人間を身体的な枠内にとどめないで、事物の性質として捉え返しているわけですから、人間観におけるI(         )ですね。 

@(    )〜I(     )に当てはまる語句を次から選択しなさい。
事物の知的性質  客観的実在  効果  思考 コペルニクス的転換  
一致した観念の総和  記号  パン  プラグマティズムの格率  対象

               ジェームズ

                            3.根本的経験論

対象が事物と観念(ものとおもひ)に分かれたるそれ以前なる生そのまんまかな

太郎:「プラグマティズムの旗手」と呼ばれたのが@(    )(18421910)ですね。彼は著書
『A(         )』で「主観・客観の認識図式」を克服し、絶えず流動する意識の流れを「B(    )」と呼んだということですが、B(    )てどんな経験でしょう。
 

先生: C(       )に分かれる前の生の経験ですね。C(        )はB(    )を主観・客観の認識図式からD(        )したものに過ぎないとしたのです。 

花子:そういう経験では認識内容と客観的事実が一致するのが真理だというパースの
E(            )が通用しませんね。
 

先生:そうですね、既成の真理観を覆したので、@(    )の経験論は
F(           )と呼ばれます。パースはジェームズがプラグマティズムなら,自分はもはやプラグマティズムではなくて、G(          )だ主張しました。それがややこしければ自分の立場をパース主義と呼ぶようにと言ったのです。

太郎:なるほどそれで真理は主観の判断と客観的事実の一致ではなくて、
「H(         )。」とされたのですね。
 

先生:ええ、要するに概念や理論がそれを使って行う人間の行動に、有効に役立っておれぱ、それだけ真理性があるという立場なのです。『I(         )』では、神を信じる事による安心立命から神への信仰は有用であり、その限りで真理であるとされているのです。撤底的に経験に即するF(            )に立つなら、客観的実存としての神は倒錯的な存在で,あくまで神も宗教的な経験としてしか存在できない筈です。

@(    )〜I(     )に当てはまる語句を次から選択しなさい。
真理は有用性にあり  純粋経験  ジェームズ プラグマティシズム
根本的(ラディカル)経験論   宗教経験の諸様相   反省的に解釈
プラグマティズム   事物と観念   科学の方法

                                          4道具主義的理性

セオリーも所詮は道具にあらざるや真理の不変に囚わるるはたれ 

太郎:プラグマティズムの大成者は@(    )(18591952)ですね。彼は1919年に来日して講演したそうですね。そのときの講演をまとめたのが『A(     )』(1920)でしょう。どういう主旨だったのですが。 

先生:彼は、 B(             )は問題解決のための仮説であり,「C(   )」であると捉えたのです。B(                )が妥当で価値があるかどうかは、C(    )としての有用性にあるのだと説いたのです。そこで彼のこの立場をD(      )と言います。  

花子:なるほど、私たちが今日ぶつかっている問題の解決に何の役にも立たないようなC(    )として古くなったB(                )はもう必要ないというわけですね。ところが真理は不変だと思い込んでいるので、なかなか現実に即して,
B(                )を組み換え発展させることができません。それではいけないということですね。
 

太郎:確かにマルクス主義者や実存主義にすれば、真理は自己のアイデンティティにかけて守り抜き、実現すべき目的なので、それを C(    )として捉えるのは冒涜と写ったでしょうね。 

先生:ええ、マルクス主義者は革命的な生き方こそが目的で、実存主義者は主体性こそが問題ですからね。理論の有効性は二の次になりがちだったのです。ただ理論が
C(    )になってしまうと、効率性や便宜性が自己目的になって、目的のためには何をしても良いことにならないかという批判も生じます。
 

花子:でもそれは水掛け論でしょう。だってマルクス主義者こそ革命という目的のためなら暴力や戦争を選択するわけですし、実存主義者の主体的決断というのも、恐ろしいことを主体的に決断しかねないですからね。 

太郎:全くその通りですね。結局理論の有効性や合理性は、マルクス主義や実存主義も追求せざるを得ないわけですから、だれもが多少なりともプラグマティストたらざるを得ないといえますね。 

先生:それは同感です。彼は知性の役割について『E(            )』で興味深い分析を示しています、既成の習慣が円滑に機能して、人々がそれに対して上手く適応できている時には、F(          )を用いる必要はないのです。しかし障害にぶつかった際には、環境との安定した関係を回復しようとする衝動が現れます。これに刺激されて、知性は過去を振り返り、未来を展望して新しい条件のもとでの新しい習慣を作り出そうとします。この主体が「F(           )」なのです。
「G(                                     )」という活動によって「H(      )」が創造されるのです。そしてこのH(      )の絶えざる成長こそが「I(   )」なのです。
 

@(    )〜I(     )に当てはまる語句を次から選択しなさい。
習慣⇒衝動⇒知性⇒新しい習慣  道具主義(instrumentalism)  哲学の改造 
人間性と行為   善 知識・概念・理論   創造的知性   道具   人間性  
ジョン・デューイ

                        5民主主義と学校

           学校は知識詰め込む場にあらで共に学べや地域の問題 

太郎:デューイは@(    )をプラグマティズムの立場から基礎付けたのでしょう。 

先生:彼は「A(                    )」のどれもが個々の行為を導く生活の道具であり,何が善であるかは人により時により異なるのだという
「B(        )」の立場を表明しました。
 

花子:それからC(        )は社会改造の為のD(      )と協カを通して行われるものだとしましたね。  

先生:ええ、彼のE(            )の立場は、ソ連のマカレンコの教育学とお互いに影響しあったようです。彼はF(    )を、社会の構成員全員が成長するために協力し合って、科学的に問題を解決する事だと捉えました。自由と平等だけでなく、
G(            )の原理が重視されます。
 

太郎:デューイは、民主主義社会ではH(                      )自身が教育過程だと捉えています。ですから教育は問題を整理・系統付け,その解決方法を探究させ,その過程で知識と道徳を体得させるものですね。 

先生:ええ、学校は,I(            )の場であり,決して暗記と試験によって受動的に学習する場ではないのです。このようにデューイは民主主義社会の形成の為の進歩的な教育思想を打ち出し,第2次大戦後の日本のJ        )に多大な影響を与えたのです。  

@(    )〜J(     )に当てはまる語句を次から選択しなさい。
人間性を創造する過程   徳・快楽・幸福・人格の完成  教育の民主化  
価値多元論   寛容と同情   集団的な問題学習   民主主義の倫理  
民主主義の原理    集団主義教育    人間性の成長   集団的な実践

 

穴埋め解答

プラグマティズム
1確信に至る「四つの方法」

@プラグマティズム  Aプラクティッシュ(実践的) Bプラグマーティッシュ(実用的)  Cパース D行動 E効果 F固執の方法  G権威の方法 H先天的方法 I科学的方法

2
プラグマティズムの格率
@プラグマティズムの格率 A対象 B効果 Cパン D客観的実在 
E一致した観念の総和  F思考  G記号  H事物の知的性質 
Iコペルニクス的転換

3.
根本的経験論
@ジェームス  Aプラグマティズム B純粋経験  C事物と観念 D反省的に解釈  E科学の方法  F根本的(ラディカル)経験論  Gプラグマティシズム  
H真理は有用性にあり  I宗教経験の諸様相

4道具主義的理性
@ジョン・デューイ   A哲学の改造  B知識・概念・理論  C道具  
D道具主義(instrumentalism)  E人間性と行為  F創造的知性  
G習慣⇒衝動⇒知性⇒新しい習慣   H人間性  I善

5民主主義と学校
@民主主義の倫理  A徳・快楽・幸福・人格の完成  B価値多元論  
C人間性の成長   D集団的な実践  E集団主義教育  F民主主義の原理  
G寛容と同情  H人間性を創造する過程  I集団的な問題学習  J教育の民主化

 

 第十九章  現象学と精神分析学

                                 1ユクスキュル環境世界論

       猫に小判豚に真珠はなきものを己が欲情そそりてこそあれ

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/img279Uexkuell.jpg         
太郎:ハイデガーが『存在と時間』を書いた際に,その前提となったのが@(           )の『生物から見た世界』とA(            )18591938)の現象学だと言われていますね。

先生:そうなんです。@(           )は、各動物にはそれぞれ固有のB(          )があって,そこに現れる事物はあくまでその動物種の世界の構成要素として存在しているとしました。これが
B(          )論です。「猫に小判」と言いますが猫には小判は存在しません。


花子:各動物は自分の行動様式に対応して,諸対象を何種類かの生理的状況に分類して、それに反応して生きているのですか。

先生:それぞれ完全にC(             )で,蚤にはD(         ) が存在するだけなのです。D(         )の集合がE(          )なのです。生態学(エコロジー)的に言えば,蚤はE(          ),ビーバーはビーバー的世界の全体に他なりません。

太郎:ちょっとストップ。例えば僕には、家庭があって僕の部屋とか、箸とかパジャマとかあります。通っている電車とか学校とかの世界があります。それが僕だということですか。じゃあこのシャーペンも僕ですか?僕と僕の所有物は違うでしょう。

花子:事物として捉えると太郎君の言うことも分かりますね。でもそうしたら太郎君は太郎君の身体ということになってしまうでしょう。身体に太郎君を限れば、身体以外のものは太郎君じゃない。人間だとそういう捉え方は分かりやすいけれど、動物だと生理的にいろんな状況が自分の生き様なので、むしろ対象としての事物を自分のF(           )として生きているのじゃないかな。その意味で猫は猫的事物の総体だというのは分かる気がします。

太郎:じゃあ、ライオンにとっては獲物のシマウマもライオンだということですか?ライオンとシマウマは別の動物でしょう。

花子:事物的には別だけれど、シマウマはライオンの空腹時のF(           )なのです。満腹時にはシマウマはぼんやりとしか見えていません。

太郎:シマウマとライオンの生理に現れたシマウマについての意識とは別ではないのですか。

花子:動物には意識と区別されたG(           )としての事物の意識は存在しません。

先生:ビーバーの前歯は大きくて鋭いでしょう。でもだからビーバーダムや水中家屋を作れると言えますか。そう言えるのは結果論です。ビーバーダムや水中家屋,ビーバーの歯等々のビーバー的諸事物の体系からビーバー的世界を説明するのが正しいのです。『存在と時間』のH(                 )やその中での用在の捉え方にB(          )論の影響は顕著です。
上の文章の@(    )〜H(     )にあてはまる適語を下の語群から選んで記述しなさい。
蚤的事物   生理状態   世界・内・存在  ユクスキュル  フッサール  蚤的世界  
客観的実在   環境世界    閉じられた世界

@

 

A

 

B

 

C

 

D

 

E

 

F

 

G

 

H

 

 

 

 

フッサールの現象学

                現象学的還元
何事も意識の姿に他ならぬ実在云々解釈如何や

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: エドムント・フッサールエトムント・フッサール

太郎:フッサール(18591938)の@(      )は、20世紀の実存主義やフランス現代思想などの源流になっているらしいですね。フッサールの著作をちょっと覗いてみますと超難解なようですね。

先生:たしかにそうですね。それで私のフッサール解釈も、フッサールを最も分かりやすく解説してくれているA(         )の受け売りです。今構造構成主義で売り出し中の西條剛央さんのフッサール解釈も
A(         )に依拠しているようです。フッサール研究の専門の教授にA(         )のフッサール解釈で問題ないのか伺いますと、概ねオッケーだということですから、これでいきましょう。A(         )の解説は実に明快ですから。だからみなさんもフッサールについて勉強する場合は、まずA(         )の『現象学入門』(NHKブックス)を読むことです。

花子:フッサールの@(      )は、イギリス経験論の「経験」の代わりに「現象」を置くのでしょう。「現象」とは「B(      )」のことですね。

先生:ええ、その通りです。彼は、「C(         )」をモットーにまずあくまで現象に即して事態を捉えます。つまり起こっている事象というのは、あくまでB(      )として生じています。B(      )の変化として世界は展開しているわけです。

太郎:薔薇の花が現れているとしますと、見えているのは色や形や匂いや感触としての薔薇ですから、
B(      )に過ぎないわけですね。でもその背後にD(       )としての薔薇がなければ薔薇というB(      )も生じないでしょう。

先生:しかしそれはあくまでもE(  )ですね。薔薇というB(      )は、背後に薔薇という事物がなくても生じるかもしれないわけです。

花子:そりゃあ、バーチャル・リアリティのような装置があればね。あるいは見間違いもあるかもしれないけれど。それでも見間違えられたものはあるわけでしょう。たとえば薔薇だったら薔薇の花が咲き、薔薇の種が出来ます。その種を蒔けばまた薔薇の芽が出て、薔薇の花が咲くわけです。

先生:いかにもそういう体験のストーリーにそった夢を見ている可能性だってあるわけです。それでも薔薇が咲いているというB(      )を体験していることは確かですね。それがD(       )の薔薇かどうかはさておいて。

太郎:ではB(      )を理念で解釈する場合はどうでしょう。たとえば、ここに白地に赤い丸が中央にある長方形の布がありますと、日本の「国旗」の日の丸じゃないかと思いますね。

先生:白地に赤丸があるというB(      )は確かにあるわけですが、それを日の丸という国旗とみるのは解釈ですね。それは日本に関する歴史的な文化的な知識体系や理念でそう見ているわけです。頭からそう決めつけて見ていますと、かつてのテレビ番組『マジカル頭脳パワー』のように、それはとんでもない誤解だって場合もあるわけです。

花子:空にある太陽の絵かもしれないし、国旗かもしれない、あるいは弓矢の的かもしれないわけですね。

先生:そうなんです。我々はつい現象を形而上学的な理念や実在の概念で無理に説明しようとしてしまいます。こうしたつい陥りがちな「F(      )」を制止しなければならないというのです。フッサールはこれを古代ギリシアの懐疑論者G(   )の用語を援用してH(   )(判断停止)と呼びました。そうしますと世界は自分の意識の流れに還元されてしまいますね。つまりI(     )として現象を捉える場合は、そこで踏み止まれということですね。

太郎:世界はまずは自分の意識でしかないと捉えようというのですか?なんだか世界は自分だけみたいですね、

先生:世界に真に存在するのは自分だけだという捉え方を「J(   )」といいます。

花子:デカルトだって絶対確実な真理として哲学の第一原理に置いたのは「コギト・エルゴ・スム」つまり「考える我」でしたね。しかしデカルトの場合は、決して世界を否定するためではなくて、世界を肯定し、実在として捉えるために、すべてを疑ったのでしょう。

先生:考える我を第一原理に、そこから演繹したのだったら、神もD(       )としての事物も実際は意識の自己展開に過ぎなかったのじゃないかということです。

太郎:そういえば、カントはデカルトが延長的実体として認めた事物の世界を、反映説から構成説に認識論をひっくり返してB(      )にすぎないとしましたね。

先生:こういうようにすべてをいったんB(      )として捉え返すことを、フッサールは「K(       )」と言います。

上の文章の@(    )からK(     )にあてはまる適語を下の語群から選んで記述しなさい。
意識現象  現象学的還元  客観的実在 独我論  現象学  厳密な学 
ピュロン  事象そのものへ! 自然的態度  エポケー 竹田青嗣  推論

              ノエシス―ノエマ

 食べてみてリンゴの味はしたれどもそれがリンゴとかぎらぬものを

太郎:つまり意識現象として世界を展開するわけですね。そうするとこの携帯電話は事物ではなくなるわけですか?

花子:そうではなくて、事物を意識と別と思っていたけれど、意識と別の事物があるかないかは、擱いといて、意識現象として事物を捉えていきましょうということですね。

先生:まあ、そういうことでしょうね。そうしておいて、意識現象を@(     )―A(    )関係で捉えるのです。

太郎:えらく難しそうな言葉ですね。

先生:意識現象というのはバークリーによればB(     )でしたね。何色でどんな形で、質量はどれだけで、どんな場合にどんな動きをするかとか、それを伝えるのにいちいち説明していると面倒ですね。

花子:猫だったら猫という言葉で猫にまつわる諸感覚をまとめて「猫」という言葉に記号化するわけですね。

先生:そういうある感覚の束にC(     )を与えて、対象存在を構成する意識の働きを@(     )と言います。@(     )を日本語に訳すとすれば「意識の意味付与作用面」かあるいは単純に
「D(    )」ですね。これは西田も普通日本語にせずに<@(     )>と表現しています。

太郎:認識論では反映論ではなく、構成説に立脚していますね。意識によって構成された事物が
A(    )ですか。

先生:ただしその事物はあくまで意識によって構成されたB(     )にすぎないわけで、それが客観的実在を正確に反映しているかどうかはエポケーされている。A(    )もあくまで意識であって、意識のE(   )として捉えられます。同じ意識のD(     )が@(     )でE(   )がA(    )だということです。

花子:A(    )つまり意識のE(   )としての薔薇が、客観的事物の薔薇を言い当てているかどうか厳密には断言できないわけですね。

先生:しかし我々は日常生活においても科学的実験・観察においても、対象として構成されたA(    )を、客観的な事物の本質を言い当てたものとしてF(   )して行為するしかないのです。これを
G(    )といいます。
 例えば果物屋でおいしそうなリンゴを見つけて買うとします。形や色、感触からノエシス的にリンゴという意味を与えて、A(    )としてのリンゴを手に入れます。手にしているのはA(    )としてのリンゴです。ひょっとしたらこれはリンゴと同じ感覚諸要素の統合としてリンゴもどきかもしれないし、バーチャル・リアルティとしてのリンゴかもしれないのです。

太郎:そんなに疑うなら食べてみればいいじゃないですか。リンゴと同じ味がすればそれはリンゴとしての事物だとわかる筈ですよ。

花子:しかしリンゴの味というのも感覚ですね。やはり意識に過ぎないわけですから、これが本当にリンゴという客観的事物なのかは、結局証明できませんね。

太郎:でも別に及第点のリンゴの味がすれば、それが客観的事物としてのリンゴであることを疑う必要は、全くないでしょう。どうしてそんな下らない議論をするのですか。A(    )と事物と区別しても仕方ないのじゃないですか。

先生:でもある感覚的諸要素の統合をリンゴと思い込んでいたのが、そのF(   )を裏切られて、リンゴもどきで健康に害が出る場合もあります。牛肉もどきにうさぎ肉がはいっていたり、ダンボールが混ざっている豚マンだって有り得るわけですね。その人はこういうのがリンゴだという@(     )を修正しなければならなくなります。だからA(    )と事物の区別は厳密な学としては必要なのです。

花子:このA(    )としてリンゴが客観的事物としてのリンゴかどうかという問題と並んで、「リンゴは健康によい」という思想がH(      )であるかどうかも、同様のことが言えますか。

先生:ええ、いえますね。「リンゴは健康に良い」という思想はビタミンCの効用などが知られ、F(   )を得られています。ですから「リンゴは健康に良い」と考えて食べていればよく、この考えは「リンゴは健康に良いという考え」として一種のA(    )として妥当するわけです。でも本当にH(      )として「リンゴは健康に良いのか」は、また別ですね。食べすぎれば駄目だし、最近のリンゴは農薬等の影響で健康に悪いのもあるかもしれないわけです。ですからこの「リンゴは健康に良いという考え」も
A(    )にすぎないとして、H(      )とは区別しておくべきなのです。

上の文章の@(    )〜H(     )にあてはまる適語を下の語群から選んで記述しなさい。
意味統一  信憑  客観的真理  ノエマ  感覚の束  本質直観  対象面  
ノエシス  作用面

@

 

A

 

B

 

C

 

D

 

E

 

F

 

G

 

H

 

 

            現象学とイデオロギー

思想にも盛りの秋のありしかな我が青春の若きマルクス

太郎これは考え方や生き方についても成り立つ議論でしょうか。時代が変わりますと、支配的な考え方も変化しますね。戦前では@(     )な考え方でないと非国民とにらまれていたのが、敗戦後は反動として排斥され公職追放されたりしたわけですね。

先生:そうですね。それは極端な例ですが、特定の考え方や生き方を選択して,それで人生に充実を感じて生きていける間は,それで納得できるのですが,社会状況が変わって,その考え方や生き方では,常に見込み違いが生じて対応に苦慮したり,生活が極端に行き詰まったり,欲望を極端に抑圧しなければならなくなったりして不満が嵩じてくると,生き辛い考え方や生き方として次第に転向を迫られることになります。

花子例えばA(    )は金に圧迫されていた宋の時代には亡国の危機に当たって欲望を慎み兵を強くして国難に当たるに相応しいイデオロギーでしたが,それを輸入した江戸時代の日本は天下泰平で,武士のB(     )に使われる窮屈な体制イデオロギーとして反発を招きましたね。

先生:それもいい例ですね。でも少なくとも武士には常に国難に当たる気構えを持たせないと武士が支配する名分がたたないので、幕藩体制のイデオロギーにはやはりA(   )が最適だった。

太郎:C(     )の時代といわれた20世紀には, 中頃まではD(               )と実存主義が人々の魂を奮い立たせましたね。しかしE(          )に象徴されるスチューデント・パワーが荒れ狂った後、70年代からは衰退し始め, F(         )はほとんど力を失っています。いわゆる政治革命による体制変革の可能性や積極性がなくなったと思われるからですね。

先生こうしてフッサールは,人間がG(        )の内部に止まりながら,客観的な実在的世界についての真・善・美やその他のH(        )やイデオロギー体系が構成される構造を説明し尽くそうとしたのです。 

上の文章の@(    )からH(     )にあてはまる適語を下の語群から選んで記述しなさい。
マルクス主義   価値判断  朱子学   戦争と革命  五月革命  軍国主義的   意識現象  精神修養   冷戦終焉後

@

 

A

 

B

 

C

 

D

 

E

 

F

 

G

 

H

 

                         

 

 

1ユクスキュル環境世界論
 

@

ユクスキュル

A

フッサール

B

環境世界

C

閉じられた世界

D

蚤的事物

E

蚤的世界

F

生理状態

G

客観的実在

H

世界・内・存在


  

フッサールの現象学
 現象学的還元
 

@

現象学

A

竹田青嗣

B

意識現象

C

事象そのものへ!

D

客観的実在

E

推論

F

自然的態度

G

ピュロン

H

エポケー

I

 厳密な学

J

独我論

K

現象学的還元


 

ノエシス―ノエマ
 

@

ノエシス

A

ノエマ

B

感覚の束

C

意味統一

D

作用面

E

対象面

F

信憑 

G

本質直観

H

客観的真理


 

現象学とイデオロギー
 

@

軍国主義的

A

朱子学

B

精神修養

C

戦争と革命

D

マルクス主義

E

五月革命

F

冷戦終焉後

G

意識現象

H

価値判断



 

 

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\yutaka\Documents\homepage\homepage\yasuiyutaka\index.gifIndex