コミュニタリアニズムへ家族・私的所有・国家の社会哲学
青木 孝平 ()


価格: 4,935 (税込)


 

 

 

 

 

 

 


 



目次

1 ポスト・リベラリズム
(
「自由・平等・友愛」を超えてコミュニズムからコミュニタリアニズムへ)
2 家族・私的所有・国家の社会哲学
(
エンゲルス家族理論の克服夫婦別姓について・マルクス商品所有論の再審・資本主義における土地所有の正当性
マルクス主義国家論の総決算)
3 ポスト・コミュニズム
(
ポスト・マルクス主義という幻想を超えて・会社「共同体」という神話のあとに)


序章「自由・平等・友愛」を超えて

新しい世紀のスタートラインに立って、本書の序章を「いかなる時代が始まろうとしているのか」というテーマで書き始めようと思った。

 だが、いざキーボードに向かってみるといささか当惑してしまった。バラ色の21世紀は展望できそうにない。もとより威勢のよいアジテーションなどは無縁である。それどころか、そもそも何ひとつポジティヴな明るいイメージが浮かんでこないのである。とうてい、いかなる時代も始まりそうには思えない。

 現代は科学的社会主義が崩壊して「科学から空想へ」の時代といわれているらしい。だからまず、なにか空想的な期待や夢想を書きつらねて本書の序章に代えようとも考えた。しかし長年、マルクスと宇野弘蔵の理論の客観主義にどっぷりと浸かってきた者には、どうやらそれも適わないようである。大いなるペシミズムとニヒリズムに陥るかもしれない覚悟を決めて、ここはとりあえずカール・マルクスの定石どおり、やはり過ぎ去った20世紀がどんな時代であり「いかなる時代が終わったのか」を世界史的に回顧するところから、これから始まる時代への想像力を喚起するしか手立てはあるまい。

 そういうわけで、まずは20世紀以前の世界を振り返って、きわめて雑駁なラフ・スケッチから本書のイントロダクションを始めることにしたい。

1 いかなる時代が終わったのか

すでに確実に終わってしまった20世紀とは、いったいどんな時代であったのだろうか。ある者は「戦争と革命の時代」と呼び、またある者は「社会主義の時代」とか「民主主義の時代」あるいは「国際化の時代」、「科学技術の時代」というように、人によってさまざまにイメージすることができよう。だがわれわれは、あえて20世紀を[平等」の時代であったと考えたいと思う。やや図式的な整理にとどまるのをお許しいただきたい。それは、17世紀以前が「友愛」の時代、18世紀から19世紀が「自由」の時代であったという理解に対応する、あくまでも価値理念(イデオロギー)を基準とした分類である。それは、20世紀の現実が社会的平等を制度的に達成したという意味ではないし、もちろんわれわれもけっしてそのように考えているわけではない。

 さらにそれに加えて、17世紀以前の社会を「友愛」の時代などと呼ぶのは、この言葉がもつフランス近代市民革命以来の慣用的用語法を無視したものであり、まして世界史的な中世封建制における身分的従属や差別、人間の土地への緊縛など経済外的強制を無視した後ろ向きのノスタルジアだ、という至極もっともな批判はあるだろう。だがここでは、「友愛」を自立した個人の連帯という近代の常識的な意味では用いない。むしろ封建制度は、一面では中央集権権力を欠いた緩やかで多元的な互酬・贈与の私的扶助システムを内包しており、農村共同体というコミュニティを基盤にしていた。この、/共同体が的人間関係の側面を、とりあえず(友愛」という言葉でシンボライズしておくことにしたい。

 これに対し、18世紀以降の市場経済の発展は、共同体社会を徹底的に崩壊させることをひたすら善であり正義であるとした。伝統的な「友愛」の解体によって個の自由・自立・自存をめざすことが、歴史の進歩であり人類の解放であるとみなされてきたのである。市場経済は、さながらA ・スミスの“神の見えざる手”のように、国家の権力的な強制を最小限の夜警活動に切り詰めて、人間の自由な相互行為連関による意図せざる自己調整と予定調和に社会の編成を委ねようとしたといってよいだろう。こうして19世紀は、文字どおり「自由」を最高の価値理念とする時代となった。

 労働力の商品化をもって資本主義システムの成立を説くマルクスの『資本論』の世界は、このような19世紀世界における「自由」の加速度的な拡大を方法としてモデル化したものであった。したがってそれは、けっして俗にいわれるような賃労働者の抑圧や疎外、不自由・不平等を告発し、階級闘争を扇動するロジックではありえなかった。それはまさに、商品による商品の生産にもとづく物象化された社会関係をつうじて、小さな国家と個々人の自己責任を追求する「自由」の時代の陰画であったといってよい。

 もっともこの時代といえども、もちろん「自由」だけで世界を一元的に編成できたわけではない。市場メカニズムは、たえず景気循環と恐慌を介してしか作動しないのであり、「自由」の背後には必ず失業と過剰労働力の存在が控えている。それらは伝統的な家族や地域の私的扶助に支えられ維持された。すなわち一九世紀は市場経済に共同体が付随する社会システムだったのである。「自由」の時代は、じつは同時に背後にある「友愛」に補完されて初めて成り立っていたと言ってもよいだろう。

 さて、こうした「自由」の時代は、経済史の教科書風にいえば20世紀初頭の世界戦争と世界恐慌をもって幕を閉じることになる。20世紀は、市場に代わって国家が主役に登場する。それはいいかえれば、「自由」に代わって「平等」が社会のメイン・スローガンとなる時代であった。この点では、ドイツのワイマール体制やアメリカのニューディール政策、そしてその後の世界史的なケインズ型福祉国家も、さらにはナチスのファシズムもロシアのマルクス・レーニン主義も変わるところがなかったといえる。

 そこに見られるのは、「自由」のもたらした不平等を大きな国家によって調整あるいは制御し、さらに極端な場合は市場そのものを廃絶し、資本主義の組織化によって「平等」の時代をつくりだそうという政策であった。そのために、柔は金本位制の廃止によるフィスカル・ポリシーから、剛は指令と統制による計画経済にいたるまで、「平等」社会をつくる人工的なプランニングが企画されたのである。そして幸か不幸か、折りからの冷戦による軍需スペンディングが、こうした「平等」の財政的な裏付けとして東西いずれの側においても機能しえた。だから「平等」の時代は同時に大きな国家の時代でもあった。

 今にして思えば、マルクス主義者がこれらの時代を、国家独占資本主義であるとかプロレタリア独裁などという言葉で説明しようとしたのは根本的な間違いであったようだ。一時代の国家の性格を、それを司る権力の担い手の階級的性格から直接的に規定することはできない。いつの時代も国家の正統性は単純な暴力装置によってではなく、構造的なシステム連関、いいかえれば大衆の共同主観性によって支えられている。だから、あえて権力者の主観的な意図を問えば、20世紀の社会はむしろ、市場の弊害に対して国家が反独占的な立場からコントロールをおこなうマス・デモクラシー社会と規定すべきであろう。この点において西の資本主義も東の社会主義も共通するものであった。

 ともかくこうして20世紀は、所得の再配分と労働者の同権化、そして障害者;女性・老人・子供など社会的弱者の保護という「平等」の追求が、少なくとも地球の北側では体制のいかんを問わず累進的にすすんだ。「揺り寵から墓場まで」の公的扶助や社会保障が、何人も反対できない錦の御旗として振りかざされ、国家権力機構の際限ない官僚制的な肥大化をともないつつ進展していった。そしてその最も効果的なテコが、管理通貨によるインフレーションを介した完全雇用制度だったのはいうまでもない。

 それは、期せずして19世紀の「自由」の時代に辛うじて残っていた、家族や地域のなかにおける私的扶助や互酬の共同体を最終的に解体するものであった。女性労働力の商品化が飛躍的に進展し、男女の同権化やフェミニズムの運動が制度化されていく。家族や共同体の内部にある貨幣換算されない多様なシャドウ・ワークは不合理で不平等な「不払い労働」として否定され、国家に管理された市場だけが社会を包み込む。20世紀は「自由」とともに「友愛」も駆逐されて、国家による「平等」だけが社会の最終的な統合原理になるかにみえた。そして現在、その20世紀も終わってしまった。

 世紀末の70年代のオイル・ショック、80年代のME・ハイテクによる省力化、そして90年代における西のバブル経済の崩壊と東のソビエト・マルクス主義の瓦解は、こうした「平等」の時代にも幕を引くかにみえる。それは、ケインズ型の管理できない管理通貨の限界をはしなくも露呈し、社会主義による人工的な計画経済の現代への適応無能力性を鮮明に照らしだしたからである。成長・進歩・発展への幻想が潰えるとともに、国家による「平等」は、息苦しい閉塞感と管理された夢のない日常の消費だけを人々に残す。大衆は「平等」からの脱却と逃避を試みる。ふたたび「自由」への激しい希求が始まった。

 時代はいま旧東西のいずれも、国家による「平等」から市場による「自由」の時代へと大きく反転したかにみえる。グローバリゼーションの喧噪とともに、インターネットによるおびただしい無内容な情報が、これこそが「自由」だとばかりに国境を超えて虚しく地球を空転する。それは、かつての国家の「平等」装置をも規制緩和の名のもとに易々と破壊していった。そこではプライヴァテーションだけが唯一の正義の旗職であった。

 だがこの資本主義の荒療治は、当然にも失業とリストラという社会的混乱の拡大をもたらし、一方で、国家による「平等」を再構築する必要を迫っている。そしてまたそれは、他方で、伝統的な家族や地域的共同体へのノスタルジアをかき立て、民族主義や宗教的情念による「友愛」の突発的な高揚を噴出させている。こうして、市場による「自由」の爆発的な膨張のゆく手に、国家による「平等」と共同体による「友愛」が立ちはだかり、三者が鼎立していずれも普遍性を獲得できず歴史が何処に向かうのかも定かでないまま、20世紀の世紀末的饗宴は終わりを迎えてしまったのである。

2いかなる時代が始まろうとしているのか

では、この三者鼎立の時代から、今まさに始まった二一世紀には、いったいどのイデオロギーが大衆の支持を集めうるのか。あるいはどのような理念が他をリードして社会の主導原理となりうるのであろうか。

 まず確認しておかねばならないのは、かつての近代主義者のようにフランス市民革命を近代史の出発点として位置づけ、独立自営農民や小生産者の社会に「自由・平等・友愛」の三位一体的実現を見いだすのは、まったくの幻想であったということである。フランス革命こそがジャコバン独裁を生みだしナポレオンの帝政を導いたこと、そしてまた、近代の開始のためには必ずしも市民革命など要らず、必要なのはただ資本の本源的蓄積のためのエンクロージャ(土地清掃)であったことは、すでに人類史において確認済みのところであろう。
 したがって、21世紀の初頭に、またぞろ「自由・平等・友愛」の市民社会の再現を期待するのは、よほどの楽天家か時代錯誤の老人の繰り言のなかでしか適わぬことであろう。もっとも、この種の百年一日のごとき市民主義者は、ネオ・リべラルやらネットワーキングやらアソシシエーションやらと、次から次へと旗差物だけをモデル・チェンジしてあいも変わらず「今度こそ本物の自立的個人の実現を」と、否定の否定なり市場社会主義論なりを担ぎまわっているようではあるが。こうしたリべラル左派に対する批判は後に譲ることにして、ここではさしあたり「自由」と「平等」と「友愛」は一種のトリレンマ(三者択一を迫られて窮地に追い込まれること−やすい注)であり、当面、それぞれ相対立する別々の政治勢力に担われざるをえないことだけを確認しておけばこと足りるだろう。

 おそらく21世紀の初頭は、国家権力のへゲモニーの中心では思想の輪郭があいまいでボーダレスなまま、しばらくはこの三者が桔抗して鼎立を続けることになりそうである。やや生臭い話に踏み込めば、現代日本における政治体制の再編、再再編も、たぶんこのあたりに帰着する以外に落としどころはなさそうである。

 だいたい次のような構図が考えられるのではないだろうか。

 第一に「自由」は、都市の比較的裕福な階層を基盤とする勢力によって担われるであろう。彼らは、市場の「自由」にもとづく民営化や規制緩和、個人の自由と私権の重視、資本の世界的編成に対応したグローバルな国際貢献を中心スローガンとするだろう。日本では、おそらく今後、保守政党内の改革派・開明派が分岐し再編される「新自由主義」的政治勢力がこれに向かっていくであろう。そして個人の自立や自己責任、自主的活動を標傍する市民運動の一部もこれに合流していくことになると予想される。いましばらくは、この潮流が時代の追い風に乗って社会的イデオロギーの本流を形成することになろう。

 第二に「平等」は、同じく都市のやや下流の階層と社会的弱者を基盤とする勢力に担われるだろう。彼らは、国家の介入による「平等」や福祉社会の必要をふたたび強調して、あらためてこれをスローガンとするはずである。それは今のところ、ソ連崩壊の余波によって社会主義的政治党派が壊滅的打撃をうけたことと、資本主義市場経済に代わるオルタナティヴな社会の構想が不在であることがあいまって、なおしばらく少数派にとどまらざるをえないかもしれない。しかし、社会民主主義的政党が本格的に再編成され、これにつらなる福祉重視の市民グループとの連携しだいでは、新たな「平等」派として固まっていく可能性がないとはいえない。

 第三に「友愛」は、農村や伝統的生活スタイルを維持しようとする階層をその担い手として確実に生き延びると考えられよう。彼らは、アジア的ないし土着的共同体による「友愛」や、民族文化の固有性、大家族への郷愁、保護貿易主義などをスローガンとするはずである。おそらく日本では、保守政党内の伝統文化重視派が内部の新自由主義的本流グループに反発して対抗し、この方向に純化していくのではないだろうか。

 もちろん、「自由」派にも「平等」派にも「友愛」派にも、それぞれ過激派といって悪ければラディカリズムは存在しつづけるだろう。とかく彼らは世界を一色に塗り尽くしたがるようである。

 たとえば「自由」を絶対視するリべラリストは、国家の保護や権力的規制を全面的に拒否するスタンスを示すかもしれない。新しい言い方をすればこの種の人々は、“リバータリアン”と呼ばれ、個人の自己決定権や各自の私生活と表現活動への不干渉、市民的人権を自然法的権利として声高に主張し、性差による役割分担を全面否定し、そしてまた国家の枠をこえた無国籍のコスモポリタンたろうとするであろう。しかし彼らは、いったいどのようにして市場の自由を超えるのであろうか。市場の規制緩和や資本の多国籍化にどのように抗するのであろうか。ラディカルな「自由」派は、けっきょくそのいっけん反体制的なポーズにかかわらず、じっさいは“見えざる手”を頑固に信奉するアナルコ・キャピタリストと、自らを区別する方策をもたないようである。

 そしてまた徹底した「平等」主義者はどうであろうか。彼らは、あらゆる差別に敏感に反応して糾弾し、社会的弱者の完全な同権化を強調する。たしかに社会的資源の再配分や弱者との共生は非常に重要な緊急のテーマではある。そのことにまったく異存はない。しかし、どのようにすれば行政権力の肥大化と硬直した管理社会を招かない福祉社会が可能であるのか。ラディカルな「平等」派は、すでに破綻してしまったケインズ主義的福祉国家やスターリン主義的なゴス・プランを克服する手立てを示しえていない。

 では根源的な「友愛」主義者はどうか。彼らはローカルで伝統的な民俗文化のなかでのみ個人のアイデンティティは成り立つと主張する。この種の共同体論者のことを、一般には“コミュニタリアン”と呼ぶのかもしれない。なるほど互酬や無償の贈与による友愛は、土着的な風習や慣行、言語と信仰の一致のなかでしか育たないかもしれない。そういう「友愛」は、内部と外部を、したがって味方と敵を厳格に線引きする強固でホーリックな小集団のなかにしか見いだすことは難しいかもしれない。しかし今日の時点で、そのような共同体はどのようにして再興できるのか。今のところ、確かな手応えをもった「友愛」は宗教的ファンダメンタリストやファナティックな民族主義者、あるいは自給自足志向の自閉的小集団のなかにしか見いだしえないであろう。

 このことは、今まで反体制ないし進歩派というかたちで辛うじてひとまとめにできた政治勢力についても当てはまる。それらは、マルクス主義のドグマが解体するとともに、今後、この体制的トリレンマの急進的な補完物として急速に分解していくしかないだろう。もともと日本の社会運動には戦前以来の後発資本主義の特質に規定されて、この三つの傾向に分化する素地があった。だから今はもっとはっきりと、旧講座派や市民社会派に連なる人々は市民的「急進自由」派として、旧労農派や旧構造改革派系の人々はその母胎であった社民的「急進平等」派として、そして民族民主革命派やコミューン志向のロマン派左翼の一部は農村共同体的な「急進友愛」派として、袂を分かたざるをえない。

 すでに社会主義は科学でも必然性でも何でもないのだから、それぞれのグループが「社会主義」という看板に託そうとしたビジョンをつぶさに反省し再検討したとき、そのイメージする内容があまりにも千差万別であり、じつは何れかの急進的志向にすぎなかったことが自ずと明らかになるはずだからである。

 このことは民衆の運動といえども例外でない。その初発にあった変革主体の形成や自治の主張はおそらく正当であったかもしれない。だが、そもそもこの主体が何を基盤に存立しうるのか、いまあらためて、その拠ってたつ存在構造が問われざるをえないだろう。なんの負荷も持たない自由な「主体」なるものは、すでに20世紀的リべラリズムの幻想でしかなかったことがはっきりしている。ア・プリオリに評価できる「人民」や「民衆」ましてや「市民」や[個人」なるものは、もとよりどこにも存在しない。そんなものはしょせん初めから、抑圧的な権力と被抑圧的な民衆という、左翼的ご都合主義にもとづく二項対立図式のなかにしか存在しえなかったのである。

 民衆といえども、具体的な利害関係を担う多様なコミュニケーションの集積でしかない。そして当の民衆の運動には、かつてまことしやかに語られた歴史の発展法則も弁証法的展開もありはしない。全人民の大義を振りかざす誰にも疑いえない正当な主張は、けっきょく誰のためにも何の運動のエネルギーにもなりえない。そこからは、まさに「いかなる時代も始まらなかった」のである。これがわれわれが20世紀のコミュニズムという幻想の廃櫨のなかから得ることができた、ほとんど唯一の教訓だったのではないだろうか。

3コミュニタリアニズムに向けて

以上で悲観的な展望はほば尽きた。必ずしも読者の期待に沿うものではないかもしれないが、展望ならぬ微かな「希望」の胎動を一言だけ述べて本書のイントロダクションを締めくくることにしたい。

 われわれは、21世紀の少なくとも初頭は、市場の爆発的な暴走に対して国家と共同体が抵抗し、それぞれを理念的に唱導する「自由」と「平等」「友愛」の各派が鼎立して、なおかつそのいずれもが、絶対的真理や正義を主張しえない時代が続きそうだと述べた。それゆえ、ここしばらく権力闘争のレヴェルのみならず大衆運動のレヴェルにおいても、人々は政治イデオロギーや高適な神々の理念の争いに厭きて疲れはて、たんに無党派層にとどまらない社会的無関心派や引きこもり症候群がいっそう増えていかざるをえないであろう。とうめん政治はますます身びいきなヒーロー待望の人気投面示か、さもなければ職能的団体の利益誘導活動となり、市民運動も、地域や所属集団を優先するエゴイズム運動としてしか機能しないかもしれない。

 だが、いたずらに落胆する必要はないだろう。あえて、さしあたりはそれでよいのだと言いたい。新しい時代はこの現実の真っ只中から始まるしかないのである。

 そもそも、普遍主義的な理念や思想を勉強し啓発し教育し運動して社会をつくるという発想自体が、20世紀的な前衛党運動に最後の典型をもつ近代啓蒙主義的な政治スタイルそのものであった。どんな運動も思想も、いまや社会の一部の利害しか担いえないことを自覚すべきである。たとえば、宇宙船地球号や全人類の救済などを大上段に唱えるエコロジー運動があれば、眉に唾をつけて聞いたほうがよい。またたとえば、女性の解放を完全にボーダレスなジェンダー・フリー社会の実現として説くフェミニズム運動は、あまり信用しないほうがよい。そしてたとえば、インターネットの普及と簡便化が世界を単一の共同体にするなどと語るIT革命運動は、多国籍的情報産業のコマーシャル戦略に違いないと疑ってかかったほうが賢明である。同様に、高邁な理念としての「自由」も「平等」も、一度それぞれの足元にある生活共同体における人々の現実的な暮らし方のなかに還元されてしかるべきなのだ。

 おそらく、そうした生活世界にしっかりと根づいた協同的思考と、そのなかで育まれる個別的で具体的な理念の協調と対立、妥協と反発、そして異文化への理解と相互の差異の承認をつうじて、ゆるやかに既存のイデオロギーが再編され、当事者の思惑をしのぐ共通善と社会正義の理念、すなわち新しい共同体的倫理と具体的美徳が構成されていくはずである。そこに、市場による「自由」と国家による「平等」を超える、それゆえ「自由・平等・友愛」のトリレンマに代わる二一世紀のコミュニティがゆっくりと、しかし確実に胎動するだろう。少なくともわれわれはそのように信じたい。

 もともと社会共同体は、アトム的個人の総和でも有機体的な実体でもない。それは、歴史必然的な進歩によっても、誰かの人工的で設計主義的な運動や啓蒙によっても、つくられるものではありえない。それはなにより厚い社会慣習の堆積をふまえた人々の倫理的コミットメントの要請に支えられている。「人間とは社会的諸関係の総体である」というカール・マルクス的な人間観、つまりほんものの唯物論とは、きっとそういうものなのではなかったろうか。

 われわれは人類史のこうした可能性を、語の厳密な意味において共同体主義(コミュニタリアニズム)と呼びたいと思う。

 

目次へ