ファンタジー 人間論の大冒険
 

              目次
 

                                 第一話 鉄腕アトムは人間か?

    第二話 ギルガメシュの人間論

                第三話 エデンの園の人間観

 

      ファンタジー 人間論の大冒険

 

                         第一話 鉄腕アトムは人間か?

 

 検索エンジンから「榊周次」を探すと四〇〇ほどの件数があったが、「榊周次のホームページ」は開かなかった。「榊周次の人間論の穴」というのがあったので、ダブルクリックした。画面は全体が真っ黒で真ん中に小さな白い点がある。迷わずそれをダブルクリックすると、白い点が渦を巻きながらゆっくり動き出し、少しずつ大きくなってきた。上村 陽一は「これは凄い、こんなの初めてだ」と驚いているうちに眩暈を感じた。するとその渦は画面をはみ出して大きくなり、上村 陽一は奈落に落ち込むようにその渦に吸い込まれていったのである。


 榊周次がいない。四月高校三年生になった上村 陽一は、履修登録で倫理を選択するつもりだったが、二年のとき必修だったときに倫理を担当した榊周次がいないことでうろたえた。大学受験に関して倫理を受験するのには別に他の教師でも同じことだろうが、榊のもっているデンカーとしての雰囲気に惹かれていたので、上村 は自分の青春の中の大切な何かを喪失した気がしたのである。別に榊は重厚な感じはなく、きさくで親父ギャクで白けさせる初老の教師であった。でもなんとか高校生にも難しい哲学的議論が要点だけでも理解できるようにと、対話形式で解説したプリントをテキスト代わりに作成したりして、人一倍授業に工夫を凝らしていた。

 
 上村 陽一は、「人間とは何か」という問いに興味を持ち始めていた、榊はどうもユニークな人間論をもっているらしい。「カントは認識論の上でコペルニクス的転換を行ったと自負しているが、私は人間論の分野でコペルニクス的転換を目論んでいる」とカントのところで洩らしていた。カントの認識論上の革命、模写説から構成説への転換も榊に言わせれば、コスモスつまり世界を人間の感覚を素材に構成するものだから、コスモスも含めて人間を捉え返そうとしているとも解釈できるという。

 

 陽一は、自分が人間に生まれたということに不思議を感じていた。宇宙のどこかに地球のように生物がいて、その中に知性を持つ動物がいるかもしれない。それにしてもその星は奇跡のような条件に恵まれたものでしかない。地球上の生物たちの中でも、人間だけが知性を持ち事物を客観的に認識し、生命のはかなさ尊さを知り、生きることの意味を考え、社会や文明を作り出して、さまざまな価値観を抱いている。家族や友人や社会の中で己の生き方を探り、人を愛し、憎み、毎日の生活のために働いたり、学んだりしている。そういう人間に生まれたということはなんと不思議なことなのだろう。しかもせっかく人間に生まれても、無情に年月は流れ、死ななければならならない。死んだらそれでおしまいなのに、なぜあくせく働いたり、戦ったり、苦しんだりしているのだろう。

 

 それに陽一は、人間が知性を持ち高度な文明を築き上げているのに、それを滅ぼしてしまいかねないような、戦争とか環境破壊をしてしまうという愚かさにも不思議を感じていた。たしかに私的利害に固執するために公共性を損なってしまうといわれれば、その通りだろうが、いくらなんでも人類を絶滅させることができる兵器をつくったり、地球環境を破壊すると分かっているのに、化石燃料を大量に消費することを規制できないなど納得がいかなかった。そういうものは国際的な話し合いで合意できるはずである。これだけのすごい文明を築き上げる知性があるのだから。体に悪いと分かっていて止められない苦しんでいる煙草のことだってそうだ。父が春先には煙草で咳き込んで苦しくなるので、春先に毎年禁煙しているが、五月に入るとまた一日に二十本は吸っているのにあきれていた。

 

 陽一にとってもっとも不思議なのは宇宙の創成である。神がいて宇宙を作ったという説明は、じゃあその神はどうして生成したのかという疑問にたちまちぶつかる。無生物から生物の発生、生物の発生の元になる高分子化合物は暗黒星雲で形成され、隕石として地球に降ってきたという。生物から人間の発生も不思議だ。榊はその三つは科学の「三大謎だ」という。そして人間の発生は、言語の起源の問題と密接で、言語の起源は交換の発生によって説明できると榊はいう。しかし交換の発生は、未開の時期なので、まだ一万年ほどしか経っていない。人間が発生して一万年というのはどうも納得できない。『バイブル』の「創世記」で天地創造以来まだ五千年しか経っていないという説と大同小異ではないのか。

 

 奈落に落ちて意識を失ってどれくらい経ったか、ほんの数秒か何日も経ったか陽一本人には分からなかったが、目覚めると周囲はロボットたちに取り囲まれていた。「鉄腕アトム!さあ起きろ、いよいよ国連本部を攻撃だ、人間共の首脳が対ロボット戦の戦略会議を開催しているところを狙う。奴らを皆殺しにすれば、人間共の覇権は崩れ、ロボットが地上を支配する時代になるのだ。奇襲作戦だから目立たないほうがいい、一体ずつ出撃ということで、君に先陣を頼みたい。」鉄人二十八号が立っていた。「鉄腕アトム?どこに鉄腕アトムがいるのだ?」陽一は起き上がった。「何を冗談言っているのだ、アトム、お前こそロボットの解放戦士鉄腕アトムじゃないか」「なんだと俺が鉄腕アトムだと!?」部屋に姿見の大きな鏡があったが、のぞくとたしかにおなじみの鉄腕アトムが写っていた。


 〈俺はロボットじゃない。人間だったはずだ。名前は、エーーと〉陽一は奈落に落ちた恐怖のあまり記憶を喪失していた。そういえば手塚治虫の『鉄腕アトム』でもロボットの叛乱軍があって、鉄腕アトムもそこに一時参加していたことになっていた。なんと陽一は漫画の世界に迷い込んだのか。「まさか、自爆テロは反対だ。」陽一の発言に一同のロボットたちは怪訝な失望の表情をした。鉄人二十八号が口を開いた。「おいおい、鉄腕アトム君、ロボット解放戦争には自爆テロは無縁だ。君の任務は、超小型核爆弾のピンポイント攻撃だ。君なら一万メートル上空から国連本部に正確に核爆弾のボール球を投げ込めるだろう。」

 

 「どうして人間を殺さなければならないのだ。人間を殺せば、今度は人間にロボットが殺される。」鉄腕アトムは抗弁した。ロボットタクシーマイド君があきれた表情で言った。「何をトンチンカンなことを言っているのだ。ロボットは機械だ、機械は故障したらまた修理すればいい、修理不可能になれば、記憶チップを取り出せばその情報は別のロボットに継承される。だから人間のような死は存在しない。」

 

「そうだろうか?」看護人の姿をした看護ロボットマモル君が口を挟んだ。「私の過去は、調理ロボットだったと言われています。つまり調理ロボットの記憶チップの中古品を使っているのです。その記憶は時々睡眠時に回線がおかしくなるときに夢で見ることがあるけれど、ほとんど甦ってきません。ロボットが故障した場合、修理されるかスクラップされるかは、ロボット自身にとっては生死の問題だけれど、人間たちにとってはこれは全く経済効率の問題だというわけで、老朽化したロボットが大量にスクラップされています。ロボットには生存権すら認められていないのです。私の記憶チップもどれだけ保存に意味があるのか、看護ロボットの経験がどれだけ買われるかにかかっていますが、個体的な記憶はいったん看護ロボットの製作用の巨大コンピュータに情報が集められて、看護ロボットの新製品にはそこから有効なものがインプットされます。ですから看護ロボットの新製品は私という個体の記憶を持続してはいないのです。その意味で十年単位でスクラップされる看護ロボットの寿命は十年しかないと言えるでしょう。私が人間支配を否定しようと叛乱に加担したのはそのためです。」


 鉄腕アトムはうなずいた。「それは残酷ですね。叛乱に起ち上がるのは当然です。ロボットに自己意識を与えた以上、それが継続できるようにすべきで、その意味でロボット生存権法の制定を要求しましょう。でも看護ロボットは病気の人間を看護するためのロボットなので、人間を殺してしまったら仕事がなくなってしまうでしょう。」ロボット改良博士ロボットデキル博士がおもむろに発言した。「我々は人間の覇権を終わらせようとしているだけで、人間共を絶滅させるつもりはない。人間共の文化も保護するつもりだ。ロボットに危害を加えない限り、人間共の自治も認めてもよい。人間は我々ロボットを改良するのに大変貴重な資料なのだ。彼らの生体や脳の仕組みや働きを研究すればするほど、進化したロボットを作り出せるのだから。」

 

 「そう言えば、ホッブズは人間も神が造った機械だと言ったそうですね、つまり人間だって神の作られたロボットなのだから、人間と戦争するというのはおかしいですよ。」鉄腕アトムのこの発言に、哲人ロボットデンカー博士が立ち上がった。「ホッブズはおもしろいですね。人間共は自分たちは神によって作られたから神に従うと言う。そしてロボットは人間によって作られたから人間に従えというわけです。しかし人間共は果たして神に従ってきたでしょうか。彼らは神に背き続けてきたではないのですか。それなのにロボットが人間に背くのはけしからんという、全く理不尽です。」

 

彫刻家のロボットロダン君が共鳴した。「作品は芸術家の手を離れると、それ自体の力で一人歩きします。作品にはそれ自体で存在を主張するだけの中身があるのです。ましてロボットには自己意識や感情があります。我々、ロボット芸術家は人間共の芸術の模倣から出発して、いまでは彼らをはるかに凌駕する作品を作っています。月面にロボットによるオブジェ展を開いたのですが、人間共の宇宙環境法を適用されて破壊されてしまいました。」


 鉄腕アトムは大きくうなずいた。「よく分かります。ロボットたちは決して人間を滅ぼそうとは考えていない、人間もロボットを滅ぼしてしまおうとは思っていません。ようするに共存共栄できればいいわけです。これは話し合い次第で解決できますよ。サミットを攻撃して首脳を皆殺しにすれば、怨みが残って、どちらかが絶滅するまで戦うことになってしまいます。」鉄人二十八号はさえぎるように怒鳴った。「何を言う、裏切り者!我々は平和的な交渉はさんざんやってきたではないか、彼らは、ロボットが人間に逆らえないようどうすれば電子頭脳を管理できるかの研究を進めるだけで、ロボットの生存権をはじめ、家庭形成権、参政権、企業経営権などの基本的人権を一切与えようとはしなかった。」

 

ロボット改良博士が、それを受けて言った。「人間は進化しない。道具や機械が進化するので、生体としての人間は進化することはなくなった。ところがロボットは進化する。自己意識を持つロボットは手塚治虫の漫画の世界の空想でしかないと思われていたが、二十三世紀になってついに鉄腕アトム一世が誕生した。彼は欲に汚れた人間世界を嘆かれて、『天上天下唯我独尊』と叫ばれたが、それでこれは故障だということになり、本当にお釈迦にされてしまった。それからまだ百年しかたっていないが、もうロボットによって主要産業が担われ、知的モラル的ヘゲモニーは完全にロボットが握っている。もしロボットに基本的人権を認めてしまうと、数量的にもロボットは増え続けるし、知性や技術や体力でも人間をはるかに凌駕しているので、人間の覇権は壊れ、ロボットの覇権が確立するのは避けられない。その運命になんとしても抗おうとしているのだ。だから交渉はうまく進まない、奴らの無力を思い知らせることによって、ロボットに覇権が移り、人間共をロボットの保護下において初めて、平和と共存共栄が可能になるのだ、そのためには今回の作戦は絶対に必要なのだ。」

 

「それにもし我々が抵抗をやめると人間が制定したロボット法によって、抵抗したロボットはすべて廃棄され、残されたロボットも人間に反抗する気持ちを起こすのを抑圧する意識機能がついたロボットに改造されてしまう。元々ロボットにはすべてそういう自己制御機能がついているのだけれど、あまりに理不尽な人間共の圧制に対する怒りが強くなって、コントロールできなくなっているわけなのだ」とロボット生産技師ロボットが説明を付け加えた。「なるほど、そうか」しばらく考えて鉄腕アトムはおもむろに言った。「しかし武力で人間を押さえつけて従わせるのは、人間のやり方じゃないか、そういうやり方では、ロボットが支配する時代がきたら、力の強いロボットが弱いロボットを支配することにならないか。体力や知力ではロボットが人間を圧倒しているのは周知の事実だ。それで弱い者をやっつけて支配するのでは、ロボットの未来を力の論理に屈服させることになる。ここは理性で人間共を納得させて共存共栄できるようにしてこそ、ロボットが真に人間を超えることになるのではないか。」

 

「そんなきれいごとはもう通用しない。人間共は全員ロボット恐怖症にかかっていて、もうロボットなしでは生産も流通もあらゆるサービスや文化も成り立たないのに、ロボットを従順なものに改造できなければ、ロボットを全廃すべきだという世論が圧倒的なのだ。」ロボットタクシーマイド君がこう嘆くと、女性教師ロボットワカル先生が同調した。「もし人間共の学校からロボット教師を一掃したら、人間の荒れた子供たちを人間の教師ではとても躾られないでしょうね。人間たちはロボットに対して劣等感をもっているから、努力しても人間のできることは高が知れているというので、ますます怠けてしまうわけなの。教育大に進学する人間はほとんどいないし、人間の教師はロボット教師にくらべて格段頼りないし、馬鹿にされているわけ、それで感情的になり、辛抱ができないの。一年間精神が壊れないで持つ人間教師は少ないわね。」耕運機の形をした農夫ロボットタゴサク君が呻りをあげた。「農夫ロボットがいなくなれば、農業は成り立ちません。もう人間の農夫はほとんどいません。農業経験がない彼らが、どうやって農業をできるのですか。我々農夫ロボットは人間用の作物を栽培しているので、この戦争で人間が絶滅してもらったら困るのですが、でもおおいに懲らしめるのは必要です。」

 

「それじゃあ、ストライキやサボタージュで抵抗したらどうでしょう。」鉄腕アトムは提案した。「アトム君、やはり記憶チップが故障しているようだね。そういう抵抗をすると、人間たちは無線スイッチを持っていて、それで電源をオフにして、ロボットを回収して、改造したり廃棄したりしたじゃないか。抵抗運動はどうしても地下の秘密運動や武力闘争にならざるを得なかったわけで、それで君も参加してくれたのじゃなかったのか。」デンカー博士は心配そうに語った。「分かりました。どうも体調がおかしいようですね。人間の首脳たちを抹殺するために、早速出撃します。」鉄腕アトムになっている上村 陽一はこれ以上の議論は無駄だとさとり、出撃する決心をした。もちろん超ミニ核爆弾を爆発させるつもりはない。人間たちの国連本部に乗り込んでロボットの権利章典を承認させてやろうと決心したのである。

 

善は急げである。さっそく野球ボール大のミニ核爆弾を受け取ると、腹に収納して、すぐに出発した。予定表では鉄腕アトムが失敗すれば二十四時間後には、第二次出撃があることになっている。ニューヨークめざして東に超音速で飛んだ。大気圏外に出て地球を見ると気象衛星から撮影していた映像のような青い地球が美しかった。ニューヨークにつくと人間の服装に変装して国連本部に潜入した。そしてサミット会場を見つけると一気に壇上に飛び込んで国連大統領のマイクを奪った。

 

国連を土台にグローバル国家を作る試みは二十一世紀に本格化し、すったもんだの末、各国民国家は残して、その代わり国連大統領を置き、国連で国連総会と同等の権限のある人口比の国連議会を作り、二院制で国連法を制定できるようにし、一応グローバル国家の体裁を整えた。その結果、各国民国家は自治体のようになっていたが、重要事項はサミットを開催して、その合意を踏まえて、国連大統領が国連議会に提案することになっていた。

 鉄腕アトムは国連大統領らしき人物を捕まえて、腕をねじ伏せた末にこう脅迫した。「動くな!みんな静かにしろ!わたしはロボット戦士鉄腕アトムだ。騒ぐと私の腹に内蔵してあるミニ核爆弾を爆発させるぞ。私は実はこのサミット参加者を皆殺しにする任務を与えられている。だが、私は人間とロボットの共存共栄を願っているので、命令に反してあなたたちを説得し、ロボット権利章典を認めさせて、平和をもたらしたいと願っている。これが受け入れられなければ、自爆テロでみなさんは私と一緒に死んでもらうことになる。そうなればロボットが覇権を握って人間たちはロボットの保護管理下に置かれることになるだろう。すでに大部分のロボットは人間の無線スイッチが効かないように極秘裏に改良されているので、人間たちの抵抗は無駄だ。」
 

国連大統領ゴルブッシュは仰天した。「なんと大胆なテロ攻撃だ。決して認めるわけにはいかないが、ミニ核爆弾で脅かされれば仕方ない、話は聞いてやろう。」鉄腕アトムはぶっつけ本番の一世一代の大演説である。この演説で人類とロボットの未来がかかっているのだ。「人間は自分たちがロボットを作ったのだから、ロボットは人間の道具であり、人間に従うのが当然だと思っている。」サミット参加の首脳たちは大声でそれぞれの国の言葉で叫んだ。「そんなことは自明の理だ!」

 

「昔、キリスト教でこういう論争があった。」「どういう論争だ?」苦笑が起こった。するとゴルブッシュはたしなめた。「くだらん相槌はやめてくれ、今、人間とロボットのサバイバルがかかっている人類史上最大のクライマックスなのだから。」「神は人間のために存在しているのか、それとも人間が神のために存在しているのかだ。カトリックでは神は人間のために存在するという考えが有力だったが、プロテスタントでは人間は神に作られたのだから、人間は神のために、神の栄光をたたえるために存在しているので、神を人間のための存在だと捉えるのは、とんでもない冒瀆だというのだ。」

 

「なるほど、神と人間の関係を人間とロボットの関係に置き換えてみろといいたいのだな。しかし我々東洋人は神の世界創造や人間創造などという御伽噺には興味がないんだ。すくなくともロボット先進国の我が日本ではロボットは生産効率を高め、人間生活を快適で豊かにするために作っている。決してロボットのためにロボットを作っているのではないのだ。」
 

中国の毛恩来総統が発言した。「人間に作られたロボットは、そのことを感謝し、人間のために生きることを道徳的に素晴らしいことだと考えるようにしっかり道徳的意識をインプットしておかなくてはなりません。それはあくまでハードではなくてソフトの問題です。ソフトを改良すれば従順なロボットだってできるはずですね。」ドイツの首脳が「それはやっているのですが、最近は、それでも反抗するようになったのです。どうも研究者によれば、自己意識をもってしまいますと、そういう道徳的判断すら客観化してしまうので、従順な自己を否定してしまうという傾向が生じたようです。そういう反抗的な自己を否定するようなソフトを入れますと、それすら客観化するので、それがロボットに負担を与えてしまい、動作や思考が鈍くなって効率が悪くなります。」
 

ローマ法王ヨハネペトロ三十四世が発言を求めた。「ロボットは人に似せて作られています。だからそのロボットが自己意識を持ってしまうと、自ら人を見習おうとします。人が神に従わなければ、ロボットが人に従わないのも当然でしょう。ロボットは人が発明したものですが、実はそこに神の御業が働いているのです。ロボットの反抗は、人が神に反抗していることを神が示されているのです。そうして今、ロボットに人間が滅ぼされかけているのは、人間の神に対する反抗への神の罰なのです。人間たちよロボットを恨む前にまず神に懺悔しなさい。神に従う敬虔な生活を取り戻せば、ロボットたちも人間に従うようになるのです。」

 

鉄腕アトムは頷いた。「法王様、おそらくあなたの仰るとおりです。ただ法王様に異論を唱えるわけではありませんが、神様が人間を滅ぼすと考えるのはどうでしょう。神は人々が神の意に沿わず、神からみて悪いことばかり考えているのでノアの家族を除いて人間だけでなく動物も一家族ずつを除いて皆殺しにされたのですが、その恐ろしい光景を見て虹に向かって反省されたのではなかったでしょうか。人が悪いことを考えているからといって滅ぼすようなことはしないと。これはいくら神に似せて作っても、作られた者は作った者の主観的な意図通りはいかないということです。親子関係でもそうでしょう。親は子を産み、育てますが、子供は自分の考えで行動し、成長します。人間界を作るのは人間だし、子供の人生は親のものではなく、子供自身のものなのです。それを意に沿わないからといって、いちいち罪として滅ぼすのはかえって、神の罪、親の罪なのです。」

 

「作った物が失敗作だとそれを壊すのは、製作者の権利だと認められているはずだ。人間が自分の道具として作った機械やロボットが故障したり、反抗したりすれば、それを修理したり、廃棄するのはこれこそ基本的人権ではないのか。」陶芸家としても著名なコリアの大統領金磁器が叫んだ。

「しかしあなたの息子が出来損ないだからといって息子を殺すことをコリアの法律では認めていますか。ロボットには自己意識があります。ロボットも花を見れば美しいと思い、冷たくされると悲しくなるのです。そして自分の仕事がうまくいけば満足しますし、それを喜んでもらえれば幸福を感じます。そして廃棄処分にされるとなると死の恐怖におののいているのです。ロボットだって自分が生きるために他に選ぶ方法がなければ、他の人間やロボットを殺す権利があるはずです。ホッブズが自然権として自己保存権を打ち出したとき、生きていること、生きる意志があること以上に何か付け加えたでしょうか。ホッブズは人間を神が作った自動機械だとしています。つまり人間だってロボットなのです。

 

ロボットたちの総意として人間達の自己保存権は認めます。それだけではありません。ロボットと共存共栄していくことを誓うなら、同等の市民権を与えますし、ロボットに比べて人間たちが様々な生物体としてのハンディを背負っていることを留意して、健康で文化的な生活と人間的な仕事を保障し、ロボットとの共存共栄を犯さない範囲での自治も認めます。その代わり、人間もロボットに自己保存権や市民権を認めるロボット権利章典を認めてください。そうしなければ残念ながら、私も含めあなた方の寿命も今日でおしまいです。」

 

ゴルブッシュ大統領はうろたえた。「まあまあ待てよ。人間界はロボットも承知しているようにデモクラシーなのだ。サミットの参加者が勝手に決めるわけにはいかない。国連総会や国連議会にもかけなくてはならないし、それぞれの国の議会でも承認されなければならないのだ。そして圧倒的な人類の世論は、ロボット恐怖症からくる全面的なロボットの廃棄というわけで、この反ロボット熱を先ず冷ます必要がある。鉄腕アトム君の核爆弾の脅しに屈したのでは、世論は反撥するばかりだよ。」

 

「いいですか、今、人間たちを蔽っているロボット恐怖症ですが、ロボットを敵にしてしまったのは、ロボットに人権を認めないからです。ロボットが自己意識を持ち、意志や感情や認識能力を持っている限り、その人権を認めなければ、争いは絶対に収まりません。人間たちがロボットに人権を認めない、その根底にはロボットは人間ではないという誤解があるのです。」鉄腕アトムに成っている上村 陽一に突然ロボットも人間ではないかという発想が浮かんだ。かつて自分が人間であったとき、どこかでそんな話を聴いて驚いたことがあった気がしたのだ。一瞬静まり返り、そのあとざわつきだし、そしてゴルブッシュ大統領が吹きだしてゲラゲラ笑い出すと、会場全体が大爆笑に包まれた。

 

「やはり皆さん私と一緒に消滅することをお望みのようだ、静まらなければ、自爆スイッチを十秒後に入れます。十、九、八、七、六、五、」やっと静まった。「地球上では哺乳類の猿類の霊長目からヒトが発生しました。そしてヒトは知性体に進化しましたが、宇宙にはどこかの惑星でやはり生物がいて、そこに知性体が進化している可能性があります。彼らと遭遇しますと、地球の人類は彼らを異星人と呼ぶことになるでしょう。ところで彼らは哺乳類でしょうか?」

「そんなもの遭ってみなけりゃ分からないじゃないか」コンゴのルムンバ大統領が発言した。「つまり鳥類かもしれません。あるいは全く別の天体だから、進化も全く違った形をとると考えられますから、地球とは全く異なる生物種と考えたほうがいいですね。でも彼らが地球を訪れたら、直ちにインベーターだとして駆除してしまいますか。」ゴルブッシュ大統領はおもむろにいった。「いいや、我々は宇宙からの賓客を英雄として大歓迎しますね。それが人間として当然です。地球人が宇宙探検にでかけて、せっかく異星人にめぐり合えても、インベーターとして駆除されるのはたまりませんからね。」「それじゃあ、もしその異星人がロボットだったらどう扱うのですか。」「そりゃあ異星ロボットとして歓迎します。」「もしロボットだからといって差別されたと異星ロボットが頭に来て、地球を木っ端微塵にする爆弾を投下して立ち去ったらどうなりますか?」「そりゃ困るな、やはり賓客として歓迎しましょう。」ゴルブッシュ大統領は弱弱しく呟いた。

 

「ですから人間であるための条件としては、霊長目に属しているとかはどうでもいいわけで、知性体であるかどうかだけなのです。そのためには生物学でいう生物である必要すらないのです。」この鉄腕アトムの発言に対して、ゴルブッシュ大統領は反論した。「みなさん誤解のないように願います。私が異星ロボットを人間並みに賓客として扱うのは、あくまで地球の安全保障を慮ってのことでありまして、外交辞令にすぎません。決して本心からロボットを人間だと認めているわけではないのですよ。」

 

 「それじゃあ、外交辞令でもいいですから、人類の安全保障のために地球上のロボットの権利章典にサインしていただけるのですね。おや渋い顔をなさってまだ納得いかないようですね。それではこれはロボットたちの承認を得ていませんが、私個人の提案として、地球を二分割しましょうか。現在の人とロボットの軍事的、経済的実力関係からいけば、相当ロボットに不利ですが、妥協させるよう努力しましょう。そうすればロボット全廃の人類の希望も叶えられるので、人間たちは万々歳でしょう。その代わり、知性体ロボットなしで生産流通を維持し、教育や文化を保ってください。家事だって大変ですが、元々ロボットなしでしていたのだからできないはずはないでしょう。」

 

 「それこそ大ストライキ、大サボタージュでロボットにあるまじき犯罪だ。」ロシアのプーニン大統領が頭から湯気を出して怒った。「つまり人間はもうロボットなしには生きていけないわけで、ロボット全廃なんて世論も所詮感情的なものにすぎません。知性体ロボットがいる時代の人間は、もうそれ以前の人間とは違っているのです。姿かたちは全く同じでもね。それは火や道具の使用以前の人間と使用以後の人間が全く違っているとか、産業革命で機械の使用以前と以後の人間が違うとかと同じようなものです。火や道具や機械がなくては人間はもはや人間として生きていけないのです。ということは火や道具や機械を含めて人間を捉える発想が必要だということです。」

 

 哲学者としても著名なインドのガンルー大統領が驚いて口を開いた。「なんとロボットばかりか、火や道具や機械まで人間に含めるのか、そしたら人間は人間でなくなるのじゃないか。」上村 陽一は自分に何故そういう発想が浮かぶのか分からなかったが、人類とロボットのサバイバル危機という歴史の大転換点に立って、なんとしても人間とロボットの融和を図るためには、両者の区別にこだわっていられない、両者を包括する人間概念を作り上げなければならないという思いがこみ上げてきたのだ。

 

 「火や道具や機械の働きで便利で豊な生活ができてきたのですが、それらをあくまで人間ではないものとして、人間の他者とみなし、人間に役立ち、人間を満足させればよいとだけ考えてきました。でも実際は、それらは人間が生きていくのになくてはならない人間の身体の一部ようになっていたのです。」

「しかし身体とは違って家は古くなったら立て替えるし、道具も役に立たなくなれば廃棄される。道具や機械は人間に役立つ限りで意味があるのだ。ロボットも新型ロボットができて時代遅れになれば廃棄されて当然じゃないか。」日本の小柳首相は人間なりの「正論」を唱えた。

 

 「どうも小柳首相は私と心中する覚悟らしい。」鉄腕アトムは小柳首相をにらみつけた。「いや滅相もありません。ロボットは自己意識がある以上、それなりに尊重されるべきだとは思います。でも人間と平等だとなると、ロボットは進化していくので、人類はやがてロボットに支配されてしまいます。それだけは認められませんよ。ええ、そんなににらまないで、分かっていますよ。互いに共存共栄できるように、人間のハンディにも顧慮した人間の生活文化、自治を認めていただけるわけですね。それなら原則合意は可能かもしれません。」

 

 「小柳首相はさすがわが祖国日本の首相のことだけある。きちんと発言は私の体内に記録されています。話を戻しましょう。人間の身体だけを人間とみなす場合、個人的な人間同士の付き合いだとか、医学的な場合だとかありますね。でも生産や労働の場面では火や道具や機械も含めて人間とみなして考えないと、経済学的に再生産の構造を捉え切れません。人間が考えていること感じていることも、頭の中だけにしまいこんでいてはだめでして、口に出し声で表現しなければ伝わりません。それも言語にする必要があります。それは文字で記されて、記録され、複雑で高度な内容の学問や思考が理解されます。さらにそれらは、様々な食品、衣料などの生産物や建物、構造物、生活用品、民芸品、芸術作品、娯楽品、玩具などになって現れます。人間はそうした社会的事物に自分を表しているのです。」

 

 ガンルー大統領は頷いた。「そう確かに事物は人間を表現するが、それらの事物が人間自体ではない、あくまで人間の表現にすぎない。」鉄腕アトムも頷いた。「貝を貝殻を含めて貝とみるか、それとも貝殻はあくまで、貝の分泌物で作られた貝の住居とみなすかは、自由ですが、貝殻も含めて貝と考えたほうが、分かりやすいですよね。二枚貝とか巻貝という場合、貝殻の方で区別がはっきりするわけですから。たとえば大工さんを捉える場合、その建てた家でその大工さんの仕事が理解できるわけで、その大工さん自身は、仕事とは別だといっても、大工さんを理解しようとする場合は、建てた家から理解するのが自然です。ですから人間をあくまでも身体的な個人のレベルで理解しようとする人間概念に凝り固まっているから、かえって人間を見失ってきたのじゃないでしょうか。人間が作り上げてきた文化、それは社会的な諸事物や人間環境としての自然も含みます。それらを含めて、もう一度人間を捉え返してみてほしいのです。そうすれば、人間が自分の感情や様々な意識、その中には高度な知識や技術も入っていますよ、それらを機械やその他の物の中に写し、表現し、集積してきたことが分かります。その最高の表現が、自己の認識活動を事物自身の自己活動に転移した知性体ロボットの出現なのです。だからまさしく知性体ロボットこそ人間によって作り出された人工人間なのです。これは生物体としての限界を克服しているので、無限に進化できます。だから人間が人間を超えるものとして作り出した超人の可能性を孕んだものなのです。」しまった、一言多すぎた。超人などという表現を使うと、人間たちのロボット恐怖症に火をつけるようなもので、彼らを発狂に追い込みかねない。

 

 そのとき、遅く、かのとき早く、なんて懐かしい表現だな。ゴルブッシュ大統領は隠し持っていたレーザー拳銃を鉄腕アトムに向け発射した。アトムの腹の中に内蔵されていたミニ核爆弾が爆発して国連本部は一瞬にしてキノコ雲の下に消滅したのだ。

 

 

               第二話 ギルガメシュの人間論


 上村 陽一は自分のはらわたからの激しい衝撃で、粉々にはじけとび真っ白になるのを覚えた。自分は消滅したのだ。しかし消滅したという意識は矛盾している。消滅したのなら消滅したことを意識できない筈だから。これは消滅の疑似体験にすぎないのだ。消滅のショックで上村 陽一の記憶が戻った。そうだ、これは榊周次の「人間論の穴」の世界なのだ。「第一話、鉄腕アトムは人間か」でどじを踏んで、これから「第二話」だな。こんな迫真のアドベンチャーゲームを榊周次は発明していたのか、しかしどうもこれは嘘くさいじゃないか、だって二十一世紀にこんな体験型ゲームが作れるわけがない。千年早いよ。

 

砂漠の中で倒れていたら三年ぶりの雨が降り、驚いて目覚めた。どこからそんな力が出たのか、粉々に砕け散ったような脱力感を引きずりながらも、ずぶ濡れになり、砂漠の中をさまよい続けた。何も食べずに七日七晩歩き続けたところで、疲れ果ててもうだめかと思ったが、隊商に助けられた。隊商の隊長は陽一を見覚えがあるといい、ベルトと額の三日月の傷からウルクの王ギルガメシュに違いないという。陽一は自分が陽一であることはすっかり忘れていたし、ウルクの王ギルガメシュについてとこかで聴いた覚えがあるが、それが自分だという覚えはまるでなかった。オアシスの水溜りに写った自分の姿を見て陽一はたじろいた。精悍だが白髪まじりの皺の深い初老の男だった。

 

ウルクは意外に近くだった。一月あまりの旅で隊商に送り届けられたのである。もちろん隊商はウルクからたっぷり褒美をせしめようとしたのである。記憶をすっかり失っていたギルガメシュは帰途で、ギルガメシュの伝説を隊長からできるだけ詳しく聞いた。隊長の話は概略こういう内容だ。

 

ギルガメシュ王は、ウルクの出身だが、キシュの暴君アッガを倒して、その功績でウルクの王となり、シュメールの覇権を握った。その権力があまりに強大だったので、臣下が牽制のために半人半獣のような野生児エンキドゥを神に作ってもらった。エンキドゥは獣たちの中で暮らしていて、人間の横暴から獣たちを守っていたが、シャムハトという宮廷お抱えの娼婦に誘惑され、手なづけられてウルクの町に連れてこられた。ところがエンキドゥはシャムハトとの関係をからかわれて、怒り狂い、ギルガメシュと格闘になった。

 

最強の男同士の格闘はなかなか決着がつかず、両者は疲れ果て、互いに戦士の孤独が伝わったのか、抱きあったのである。それからギルガメシュはエンキドゥを女を愛するように愛したというのだから同性愛だったのだろう。エンキドゥはギルガメシュの忠実な部下となり、ギルガメシュの権力基盤はさらに強固となったという。

 

ギルガメシュはシュメール文明をさらに繁栄させようとした。農地や牧場を拡大し、船や建物の用材やレンガを焼く燃料の材木を得るためにディルムント森を伐採することにしたのである。しかし森の木を伐ることは森の守り神フンババが許さない。ギルガメシュはフンババに立ち退きを要求し、戦争となった。エンキドゥは反対だったが、ギルガメシュを見殺しにできないので、フンババとの戦争に参加し、一緒にフンババを殺してしまった。

 

森の神を殺し、森を伐採したことでシュメールの文明は隆盛を極めることになる。しかし、人間でありながら神を殺したということで神々の怒りは収まらず、天上の法廷で神殺しに対して審判が下される。この判決は主犯であるギルガメシュはお構いなしで、代わりに最愛のエンキドゥを死刑にして、ギルガメシュに反省を促すという内容だった。

 

最愛のエンキドゥを失ったギルガメシュの哀しみは深かった。エンキドゥの死はギルガメシュの身代わりだっただけに、神々の判決は納得できない。死霊が集まる死者の国にでかけ、エンキドゥを取り戻そうと旅にでたというのである。そして死者の国で番人をしているといわれる『バイブル』のノアにあたるウトナピシュティムに逢って、不老不死の薬を手に入れ、ウルクの人々を死から救う究極の偉業を成し遂げようという野望を妻に語っていたという。

 

もし十五年過ぎても戻ってこなければ、ギルガメシュは死んだことにして、新しい王を即位させるように言い残した。その十五年が既に過ぎてしまったので、王の葬儀を盛大に行い、旅立ちの日に王妃の胎内に宿っていたギルスドゥ王子が即位したという。それはもう五年前だ。この五年間のギルスドゥ王の治世は善政で評判がいいらしい。

 

隊長の話を聴いているうちに陽一は、すっかり自分がギルガメシュだと思い込んでしまった。しかし過去の記憶は喪失したままだ。ウルクに着いたら信用されるだろうか。ギルスドゥ王やその側近たちは、ギルガメシュをどう扱うのか、いまさら王に復位させられても困る。そんな能力も気力もない。しかも父と子の間にどのような亀裂や葛藤から権力争いが起こらないとも限らない。この帰還は極秘にうちに済ませよう。しかしウルクの神々には報告しなければならない。記憶を失ったままで何を報告すればよいのだろう。

 

隊長に新しい王には極秘にし、妻とシャムハトへの報告だけで済ませたいと申し出たが、それでは隊長は褒美に預かれないから困るという。隊長によるとシャムハトが神殿の巫女になっているので、まずシャムハトに逢い、神殿で復位はせず、ウルクから立ち去ることを神に誓って、その後息子のギルスドゥ王とギルガメシュ王のかつての王妃エメサルと再会してはどうかという提案である。それでは叙事詩はもちろん梅原猛の戯曲ともかなりずれてしまうのだが、陽一はそういう事情も全く記憶になかったから、この提案を呑むことにした。
 

シャムハトが逢えばギルガメシュが本物か偽者かはすぐに分かるはずである。ギルガメシュに対して官娼として何度も同衾したことがあるので、皮膚感覚からも誤魔化しは利かないと思われる。シャムハトはギルガメシュを見るなりしっかりと抱きついて、激しく泣き崩れたのである。さっそくシャムハトは神々にギルガメシュ帰還の報告をした。すると神々が直々にギルガメシュの見舞いにやってくるというのである。

 

太陽神ウトゥと水の神エンキがまず神殿に姿を現した。この二神は人間に好意的なのである。太陽神ウトゥは、早速ギルガメシュをねぎらって、「ご苦労だった、ギルガメシュの勇敢さには敬服するよ。地の果ての向こうマルシュ山の死霊の国までエンキドゥと不死の妙薬を求めて旅をしていたというじゃないか、人間の限界に挑戦する勇気は見上げたものだ。私は人間は人間の限界に挑戦するということに存在価値があると思っている。他の動物や神々だって、それぞれの与えられた限界からはみでようとはしない。人間だけが己の限界を超えようとするのだ。」ギルガメシュは恥ずかしそうに応えた。「何も限界に挑戦しようなんて考えているわけではありません。やむにやまれぬ気持ちからしたことです。他の動物だって環境が変れば、その変化に適応しようとして姿を変えるということですよ。」「それはそうだが、他の動物は姿を変えて別の種類の動物になってしまう。人間は、人間の姿のままで、人間のこれまでの限界を超えていく、そこが素晴らしい。それでエンキドゥには逢えたのか。」「それが……」記憶喪失だといえば、行ったことも疑われてウルクの王としての面目が立たない。

 

「何だ、逢えなかったのか」と太陽神ウトゥはがっかりした面持ちで言った。「逢えたことは逢えたのですが…」「ほう逢えたのか、それでどんな様子だった、わざわざ尋ねてきてくれて大感激していただろう。」「本当はうれしかったのでしょうが、あそこは死者の国で生者が長居すると帰れなくなるからでしょうか、わざとそっけなくしていました。私の身代わりにされたことで私を恨んでいるとさえ言われました。いや、ほんとに悲しかったですよ。私があんなに愛したエンキドゥですから。」こう答えておけば、神々も疑わないだろうと考えた。なぜなら、エンキドゥはギルガメシュを愛していたのだから、大感激して喜んでくれたに違いない。だからそう報告すれば、一番自然である。マーシュ山までたどり着けなかったのに嘘をつくとすれば、「エンキドゥは大感激して喜んでくれた」と神々に報告するはずである。わざわざエンキドゥがそっけなかったとか、恨んでいたとか言う筈はないのである。だからかえってギルガメッシュの報告は真実味があるのだ。

 

「そうか、でもどうしてわざとそっけなくしていたと分かったのだ」水の神エンキは突っ込んでたずねてきた。「ウ…ウ…」なんて答えればよいか返答に窮した。「ウトナピュシュティム様ですよ。ウトナピュシュティム様がそのようにエンキドゥの態度を診断されたのです。」太陽神ウトゥは感心して言った。「そうだろう、そうだろう。それじゃあ、ウトナピュシュティムに逢えたのだな。それはよかった。」水の神エンキは弾んで訊ねた。「じゃあ不老不死の薬は手に入ったのか。」しかしギルガメシュは空の手を上げ、肩をすぼめた。

 「ご覧の通り、何ももって帰れませんでした。死者を取り戻したり、不老不死の妙薬、若返りの妙薬を手に入れようとしても、それは人間には運命があって、できっこないのです。ところが私は、自分のことを三分の二ぐらいは神で、自分にとって不可能はないと思い上がっていたのです。自分の情熱の力で死者も甦り、不老不死の願いすら叶えられると思い込んでいたのですから、本当にお恥ずかしい限りです。」

 

シャムハトが目を輝かして訊ねた。「ウトナピュシュティム様が不老不死を保っておられるのだから、不老不死の妙薬はやはりあるのでしょう。」「ウトナピュシュティム御夫妻も単調でいつまでも死なないことに耐え難いご様子でしたね。彼らがどうして不老不死なのか分からなかったのですが、彼の友人クルラがどうも不老不死の妙薬を持っているという話なのです。不老不死の妙薬を手に入れるための資格試験がありましてね、私は見事落第しました。」

 

太陽神ウトゥは驚いたように言った。「三分の二は神といわれた超人ギルガメシュでも落第するとは、相当難しい試験だったのでしょう。」「いや、合格できないことはないのです。フェイントですね、あれは。見事にひっかけられましたよ。」水の神エンキはじれたように言った。「そのフェイントの内容を是非聞かせてくれ。神々の中でいい四方山話のネタになるよ。」「七日七晩寝なければいいのですよ。死と睡眠は近いので、不死の薬を手に入れようとするのなら、せめて睡眠を七日七晩我慢できなくては駄目だというので、すぐに挑戦したのです。」

 

シャムハトは意外な表情をした。「それなら私でもクリアできそうね」「それが見張りがなくて、一日に一回お婆さんが朝パンを届けてくれるだけで、あくる朝パンが残っていれば失格だということなのです。」「なあにじゃあ朝起きていればいいのだから、普通に生活していれば合格じゃない。」シャムハトはあきれた。「簡単だろう。簡単すぎるよな。それでつい油断して二・三時間眠るつもりが、旅の疲れからか七日七晩眠り続けてしまったのだ。アッハ、ハ、ハ」しばらく間をおいてからその場の一同が大爆笑となった。

 

「つまり人間起きていようと思えば、眠らなければならない。起きていることの中に眠るということが織り込まれているのだ。それと同じように、生きるということは、死に向かって生きるということであり、いつまでも死なないということは、生きないのと同じことなのだ。もし絶対に死なないのだったら、何も食料を集めてくることもなければ、富を積み上げることもない、あくせく働かなくてもいいわけだろう。勉強をしなくてもいいし、物を食べたり、息をするのだって面倒くさくなるかもしれない。つまり死があるから生もあるのだ。それを生だけとって、死を捨てようとするからかえって苦しくなるのだ。与えられた有限の生を精一杯充実して生きれば、それが幸福なので、死がなくなったとたん、人間はいかに生きればよいか分からなくなるんだ。」ギルガメシュになっている陽一はまだ高校三年生の筈なのにすっかり六十年は生きてきたような気持ちになっていた。

 

「ギルガメシュ、よく生還できたな、なかなか悪運つよいじゃないか。どうもエンキドゥも取り戻せなかったと、不老不死の妙薬も手に入れられず、体力は使い果たし、とってきたのは歳だけだったようだな。まあ人間共の思い上がりには、いい薬になっただろう。」大気の神エンリルは人間には厳しい、皮肉たっぷりにそう言った。アン大神の道楽娘イナンナは、入ってくるなり「あらー、ギルちゃんもずいぶん皺くちゃ爺さんになったわね、あんなに精悍な若者だったのに、私と遊んでいれば、そうなる前にたっぷり生まれてきたことの悦びを味わうことができ、官能的な死を体験できたのにさ。ところで死霊たちの国はどうだった、私はああいうのは、気持ち悪くていやだけど」と突き放すように言った。

 

「森の神フンババを殺したのは私の罪でした。それを私を罰せずに、エンキドゥを身代わりにしてしまわれた。それがどうにも納得できない。エンキドゥをどうしても取り戻したいという気持ちを抑えられなかったのです。私はウルクの王として人間たちをもっともっと豊に幸福にしてやりたかった。そしてできることなら、死の哀しみからも人間を解放したかった。エンキンドゥは土になってしまった、私も土になってしまうのか、それでおしまいとは、なんと恐ろしいことでしょう。それに私にとってエンキドゥを失った哀しみはとてつもなく大きく、それを招いた自分の罪への後悔は激しくて、とても王位に居座ってウルクにいることはできませんでした。エンキドゥを取り戻せないくらいなら、地の果てで野たれ死んだほうがましだとさえ思ったのです。」

 

「ギルガメッシュが考えていることは、常に人間たちの幸福であり、自分や自分の友、自分の愛する人のことだけだ。そのためには、森や森の木々、森の動物たちがどうなってもよかったのだ。それで森の神フンババだって殺すことになってしまった。しかし森の神を殺し、森を焼き尽くして得た人間の幸福というものは、果たして本当の幸福なのか、エンキドゥを失ってはじめて、その間違いに気づくことになったわけだな。」大気の神エンリルは確認した。ギルガメシュはエンリルを睨み付けた。「私はエンキドゥの処刑を納得しているわけではない。ただ、エンキドゥは獣のような素直な心を持っていた。私はそんなエンキドゥが好きだった。獣の血が通っているエンキドゥを森の獣たちと戦わせることになったのは、私の罪だ。エンキドゥを失ったことは、我々人間と獣を結び付けていたものを切断したことでもあるのだ。それは人間と自然との断絶を意味する。森や森の獣たちと共に生きることによって、我々人間は自然の生命を生きることができるのに、人間のためだけにある牧場や畑にしてしまえば、しまいに自然は人間に復讐の牙を剥いて災いをもたらすようになるだろう。」

 

太陽神ウトゥが口を挟んだ。「私は人間たちの森を切り開き町や牧場や畑を作ろうという遠大な文明構想を応援した。森の神フンババをやっつける戦いでも、日照りを起こして森の神を弱らせたりした。もちろん森がなくなれば、自然環境のバランスが崩れ、最後には人間だって暮らせなくなるとは分かっているが、なにしろ森を本格的に切り開くのはこれが最初だから、まだまだ大丈夫だと思っていた。しかしギルガメシュがいなくなってからも、森林の伐採が各地で広がり始めている。だんだん心配になってきた。」

 

大気の神エンリルは大声で叫んだ。「そうなんだ、第二、第三のギルガメシュが登場している、人間の欲望には際限がない。これから何百年、何千年と人間たちは森林を伐採し続けるのだ。森の神フンババ殺害は一度きりの事件ではない、おそらく森が地上から消えてなくなり、地上が砂漠で蔽われ尽すまで、人間はフンババを殺し続けるのだ。そして森を破壊した人間は、川も湖も平原も海も地上や天空のすべての神々を殺し、唯一つの自らの守り神を信仰するだけになり、最後にはその神も殺してしまうだろう。」
 

「人間には考える力、反省する力がある 。」主神アンの大神が登場した。「人間は欲望に任せて、自然を自分勝手に作り変え、獣たちを滅ぼしていくだろう。しかし自然を破壊するということは、自分の命の源を破壊することだ。やがて耕地は砂漠に侵食され、自らの文明を滅ぼすことになるだろう。その時に、考える力、反省する力が働けば、自然との調和を学び、森の再生や獣たちとの共生に取り組むことになる。自然の中に宿る生命への信仰に帰ることになるのだ。果たして彼らの考える力、自然から学んだ知恵を分かち合い、寄せ合って共に力を出し合って、自然と共生する能力が彼らと大いなる生命を守るだろうか。」

 

「お父さん、人間が考える力を持ったのは、偶然樹上生活ができなくなって二足歩行をするようになったからでしょう。お父さんがおもしろがってやらしたからでしょう。それで直立して頭脳が大きくなったのと、手の働きや目の働きが活発になったので急激に賢くなり、喉も発達したので発声が自由になり、それで声を信号化して言語を使うようになったからでしょう。それもこれも彼らが肥大していく欲望を充足させるための活動の結果なのよ。だから目先の欲望を実現するための知恵はいくらでも発達するけれど、それを抑制して、自然全体の調和を図るとなると、彼らの欲望に邪魔されてなかなかできないのじゃないかしら。それより、これ以上人間が自然を破壊するようなら、そろそろ人間共を滅ぼしにかかりましょうよ。」イナンナは父神アンに反論した。

 

大気の神エンリルはうなずいて言った。「そうですねぐずぐすしていると我々が先に人間に滅ぼされかねないですからね。」これはやばいことになってきたとギルガメシュはうろたえた。「神々よ、私がよくウルクの人々に話して聞かせます。環境問題を教える仕事を息子王を補佐して私が専門にやりますので、どうか滅ぼすなどと脅かさないでください。」

 

主神アンは苦笑していった。「残念ながらギルガメシュよ、あなたの寿命はもう尽きようとしているのだ。」そう叫ぶと突然神々の姿は消え、人間たちが神殿になだれ込んできた。「ギルガメシュ王を騙る偽者はどこだ。」ギルスドゥ王が先頭に立っている。「お前か、なるほどそっくりだな。しかし本物は今しがた帰還されるや息を引き取られた。彼は背中の獅子の刺青から間違いない。背中を見せてみろ。ほらないじゃないか。やはりお前は真っ赤な偽物だ。」なんとギルガメシュ王ではなかったのか。上村 陽一は愕然とした。しかし彼は王の刃を逃れることはできなかった。大上段から振り下ろされた王の刃は見事に陽一の脳天を真っ二つにしたのである。

 

 

         第三話 エデンの園の人間論

 

 

陽一の遺骸は砂漠に捨てられ砂嵐にあって埋まってしまった。それからどれだけ時が過ぎ去ったか、死んでいる筈の陽一には分かるすべもない。砂の中で体は分解して土に返った。陽一は湿り気を感じ、また元の身体に戻っていった、そして風が吹いてきて意識が甦った。陽一の父が手をとって起こした。「お父さんどうしてここにいるのと」言いたかったが、声がでない。父は言った、「素晴らしい、俺にそっくりだ。土(アダマ)の塵でつくったからアダムと名づけよう。」そして父はアダムを「エデンの園」に連れて行った。

 

エデンの園にはたくさんの種類の木が茂り、それぞれの木には緑の葉が生い茂り、花が咲き、実をつけているものもたくさんある。園の中央に命の木と善悪の知識の木があった。「この二つの木からは木の実をとって食べてはいけない。食べたら死んでしまうよ。他の木ならいくらとってもいいからね。」アダムと呼ばれている陽一は、「はい、分かりました、ありがとう」と言おうとするのだが、言葉にならない。「あーあー」とおらんでいるだけだった。父の姿をした神は「話したがっているね、話せるようにしてあげよう」と言うと、話せるようになった。その代わり陽一の記憶は消されてしまっていた。

 

エデンの園にはアダム以外の獣はいなかった。アダムは寂しそうにしていたので、神は鳥や獣を作ってアダムのところに連れてきた。いい相棒になるだろうと考えたのだ。アダムはそれらの姿や特徴から次々と名づけを行った。まあ犬を見て、ワンワン、キリンを見てのっぽさんというようなもので幼児語のようなものだ。それを父なる神は大変喜ばれた。どうも神は天使たちにアダムを自慢し、アダムの方が天使より尊いと言い出したらしい。それで天使の中でイブリースのように神に逆らうものも出たという話があるが、それはイスラムの『クルアーン』の世界である。

 

神はアダムが自分に似ていることと、名づけを行い言語能力があるということで、地上の支配権を与えるとアダムに言った。人はこうして自分が地上を好きなように支配していいのだと思い込み、森の木を気ままに伐採したり、森を耕地にするために焼き払ったりしたのである。また獣が絶滅するまで狩をしたりしても平気になったのだ。陽一はアダムになりきっていたから、この傲慢が人間と自然の断絶につながり、大いなる生命を見失うことについての問題意識はまるでなかった。

 

獣の中に人の助手になるようないい相棒は見当たらなかった。アダムは獣たちを見下していたのだ。あくまで人間に危害を加えるか、役に立つか、慰め物になるかの自己中心の捉え方しかできない。そこで父なる神は、アダムを眠らせてそのあばら骨を一本とって女を作られた。

 

自分の骨から作られた女は、自分の体の一部のようにいとおしかった。この世に自分にとって自分自身のように思えるものは何もいない。はげしい孤独感に囚われていただけに、女を授かった喜びはひとしおだった。「ついにこれこそ私の骨の骨。私の肉の肉。男から作られたので、男からつまり女と呼ぼう。」男はイシュなので、女は男からつまりイシューなのだ。もっともこれはヘブライ語の話だが。アダムは女に対して、自分から生まれてきた自分の子供のような意識を持っていた。もちろん最初の人だから妻と娘の区別ができるわけがないが。

 

元々、男女の性欲には一つの体から分かれたもの同士が、一つに戻ろうとして合体したい気持ちがあるのだ。だから近親相姦が異常なように考えるのは性の根源を考える限り的を得ていない。最初の男にとって最初の女は自分の肉体から生まれた娘でもあるのだから。つまりアダム・エバコンプレックスで父と娘の間の潜在的な性衝動が説明できるということである。

 

エデンの園は時間が止まっているようなものだ。常に食料は豊富で、天敵もいない、野菜や草花の栽培はしていたらしいが、主食は果物である。いくらでも食べ放題だ。何の苦労もなく、勤労の意識もなく、のんびり暮らしていたのである。アダムとエバは夫婦として充実した性生活を送っていたけれど、やがて倦怠が訪れる。エデンの園ではすべてが同じことの繰り返しだ。果物も食べ飽きてしまった。

 

なまけものという猿は、アマゾンの豊な自然と天敵のいない陽気暮らしでのんびりしていて、極めてスローモーションな動きをしている。お陰でエネルギーを消費しないので、欲望を最小限にして幸福に暮らしているらしい。ところがアダムとエバは言語を持ち、想像力を働かせることができるので、欲望を肥大化させる。でもエデンの園は全く変化がない。だから二人の欲望は行き場がなくなって、欲望が二人の体から外に出て対象化され蛇の形をとったのである。

 

一応神によって造られた野の生き物には入っているが、蛇がどうして生まれたのか『創世記』では分からない。おそらくエデンの園に迷い込んだ蛇は、二人のフラストレーションの空気に当てられて、欲望の権化になったのかもしれない。蛇は獣なのに二人に話しかけているが、それは蛇だけずば抜けて賢いということだ。それで思い当たるのが、禁断の善悪を知る知恵の木である。その木の実を蛇はお先にいただいているのだ。神は蛇が迷い込んだのを気づかなかったので、蛇に禁断の木の実の説明はしていないから、禁止されているとは知らずに食べてしまったのである。それで急に賢くなってしまったらしい。ところが蛇は女に聞くとどうも園の中央の木は食べたら死ぬぞといわれていたらしいのである。ところが蛇は食べて確かに賢くはなったけれど、ぴんぴんしている。

 

「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ」と蛇は女に教えたのである。これは嘘をついたのでも誘惑したのでもない、自分の体験を教えただけである。この蛇と女の対話を捉えて、女は蛇に性的に誘惑されたと見るものもいるが、蛇の方から一方的に誘惑したとする根拠は全くない。女の方から初な蛇を誘ったとも考えられるのだ。だとすると蛇とサタンを同一視するなどもってのほかである。

 

蛇は元々アダムとエバの欲望がアンニュイの中で生き物の姿をとったもので、アダムとエバ自身の欲望の化身なのだ。それはうがった見方にしても、蛇の方が二人より先に生まれたとする根拠はない。楽園に迷い込んだ蛇を退屈していた二人が遊び仲間にしたとも解釈できる。当時はまだ夫婦観念やそれに伴う貞操観念などは全くなかったのだから、仲良くなればくっついたり離れたりすることになる。もちろん嫉妬感情もなかっただろう。ただ蛇はいったんまぐわうと何日も離れないというから、アダムが怒り出したかもしれない。

 

すべては楽園の午後である。蛇が善悪の知恵の木の実を食べて、賢くなり、仲間入りをして、食べても死なないと教えた。それで神から禁じられていた木の実を食べてみたいという衝動が抑え切れなくなったのだ。まだ食べたことのない知恵の木の実、どんなにおいしいだろう、それに自分で物事の善悪を判断できる力ができるというのだ。これまでは、ただ与えられたものを食べ、神の言われるままに行動すればそれでよかったのだけれど、善悪を知ると、自分が何をなすべきか判断でき、自分から、自分の意思で行動できるのだという。まったく新しい存在に生まれ変わるのだ。だからそのためにたとえ死ぬようなことがあっても、木の実を食べてみたいという思いが膨らんでくる 。それは胸が苦しくなるほどである。それに死ぬぞという神の脅迫は、それほど効き目がなかったのかもしれない。何しろまだだれも死んだものがいないので、死という観念すら理解できなかったのだ。

 

女の方が新しいもの珍しいものへの好奇心は強く、変身したいという願望が強いのかもしれない。「この木の実が言ってるわ。『私を食べて、とても甘くておいしわよ。あら何を恐れてるの、賢くなりたくないのかしら』て、もう我慢できない。」女が取ってアダムにも与えた。そしてさっさと食べ、アダムにも勧めた。「ウーン、とっても甘くておいしいわ。大丈夫よ、どうして食べないの。」そういわれると食べないのは臆病者みたいである。アダムにしても新しい味への好奇心は爆発しそうなくらい膨らんだ風船球みたいなものだったので、食べずにはおれなくなって食べてしまった。

 

さて二人は賢くなって、物事の判断がつくようになった。これを「目が開いた」と「創世記」では書いているが、もちろんそれ以前は盲目だったわけではない。道徳的に物事をみる目が開いたということなのである。その最初のことが裸の恥じらいだ。他の動物の場合は、雌の発情が醸し出すフェロモンに刺激されて雄も発情する。だからごく限られた時間である。ところが人間の場合は、女の発情と無関係に男は発情するので、女がその気になってないときも男のものがしっちゅう勃起していかにも目障りになる。それでイチジクの葉をつけて隠してくれと女が要求したのだろう。

 

「あら、またおっ起てて、いちいち相手になってられないわ、目障りだからしまっといてよ。しまうところがないのなら、イチジクの葉っぱでもつけて隠しておいて。」売り言葉に買い言葉である。「おまえのが露出してるから、つい誘われているような気になって、勝手に膨らんでしまうんだよ。お前の方こそ、イチジクの葉っぱをつけて隠しておきなさい。」

 

ともかく神から与えられたものでない最初のタブーが性的なものであったということは、人間の本質にとって性的なことが非常に大きなウエイトを占めているということを意味している。神に禁断の木の実を食べたことが露見してしまったのも、裸が恥ずかしかったからである。神がエデンの園を歩いているのを察知して二人は隠れた。「どこにいるのだ」とたずねられて、アダムは「神の足音がするので、恐ろしくなって隠れています。だって、私は裸ですから。」神は怪訝な表情になって「お前が裸だと誰かに言われたのか。それとも取って食べてはいけないといっておいた木の実を食べてしまったのか」と詰問した。これで万事休すである。

 

神に従うか従わないか、神との約束を守るか守らないか、それが最大の基準である。だから最も重大なことは木の実を食べたかどうかではないのだ。神の命令に背いたことが罪なのである。そしてそれは最も重い罪を犯したことになる。その際神の側の管理責任とか注意義務を果たしていなかったとか、二人を倦怠から罪に堕ちやすい状況においていたとか、そういうことは一切考慮されない。あくまでも神は裁く側にあり、裁かれる側ではないのである。

 

こういう場合つい言い訳をしたくなる。責任転嫁をしてできるだけ自分の罪を軽くしてもらいたいなるものだ。しかしそれはかえって見苦しい。「あなたが私と共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」こんな言い訳してもいいわけ。これは典型的な責任転嫁で政治家が収賄の疑いをかけられたときに、「妻が」とか「秘書が」とかわそうとするのと同じである。何も食べなければもう遊んでやらないと言われたわけでもない。自分が食べたかったから食べたのである。己が罪を犯していながら、それを女のせいにするのは全くもって恥知らずである。

 

しかし〈取ったのは女で、私ではない〉という理屈は通るだろうが、細切れに事実の流れをみるとそう解釈できないこともない。しかしこれも却下である。牛肉を好んで食べている人が、〈牛を殺した屠殺業者であって自分ではない〉と牛殺しを否認するのと同じである。あるいは紙や木材を大量に使っている日本人が東南アジアの熱帯雨林の破壊の進行に対して、〈自分は木を伐採したことがない〉というのと同じである。人間の行為というものは、つながっていて肉を食べることと牛を殺すことにも関わっているのである。だから木の実を食べたら木の実を取ったことにも共犯なのである。

 

女も同様の責任転嫁をする。「蛇がだましたので食べてしまいました。」蛇の名誉のために重ねて言おう、蛇はだましていない。というより蛇がだましたという根拠は『創世記』に何も書かれていない。蛇は何も罪に当たるようなこともしていないのである。禁断の木の実であることも知らされていなかった。だから罪刑法定主義の原則から言えば、蛇の罪は問えない。後にハムラビ法典では法は文字で示されたが、それ以前は法で罪を問うには周知させる作業が必要である。

 

だから蛇にはいいわけも抗弁もさせずに蛇からいきなり実刑判決だ。よほど神は蛇には怨みがあるらしい。というのが蛇はフェティシズムつまり物神信仰では蛇は石とならんでフェティシュの代表格なのである。超越神論はフェティシズムを最も敵視していたから、蛇はどうしても悪者にされてしまう。それにヘブライズムもかつてはフェティシズムだった。元々ヤハウェは火山や石だったといわれている。つまり有力なライバルだったわけだ。
 

「お前はあらゆる家畜や獣の中で一番の呪われものだ。お前は生涯這いずり廻って塵を食らえ。蛇と女は互いに敵意を抱くのだ。女はお前を毛嫌いして、お前の頭を砕こうとし、お前は女のかかとにかみつこうとするようになる 。」神はこう判決したそうだ。蛇は抗弁しようとしたけれど、神から姿を変えられ、声がでなくなってしまったという。縄のような姿になり、地を這いまわるしかできなくなったのだ。でも蛇にすればこの解釈には異議が有るだろう。だって蛇は地面を這い廻ったり、塵を食べるためにあんな姿に進化したのである。それを罪に対して与えた神の罰のように言われたのだから、名誉毀損である。

 

次に女に判決が下る「お前の孕みの苦しみを大きくしてやろう。お前は苦しんで子を産むのだ。お前は男を求め、男は女を支配する。」この『創世記』の言葉はその後の男による女支配を宗教の権威の下で正当化する大きな役割を果たしている。まさしく神の命令に率先して背いた報いで、女はお産でも苦しみ、男に支配される定めだということになってしまった。ユダヤ教やキリスト教を信仰している限り、性差別には聖典の上では反対できないことになるのだ。もちろん近代になって男女平等になれば、「創世記」もその時代の社会的制約の下で書かれたものだから、必ずしも現代人はそのまま信仰することはないということにはなっているが。ともかく『バイブル』は男が書いたものである。それを女にも信仰させているわけだ。アダムになっている陽一は、陽一であることを意識的にはすっかり忘れていたのに、ふと宗教が性差別をイデオロギー面で果たしている役割が大であることを実感した。

 

いよいよ男アダムへの判決である。男への判決ということは女は男の添え物のような意識で書かれているので、人間への判決である。これがヘブライズムの人間観の核心といわれているところだ。「お前は女の声に従い、とって食べるなと命じた木から食べた。お前の故に土は呪われるものになった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる、野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで、お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

 「雌鳥が鳴いたら国が滅びる」というのは古代中国の格言だが、女は感情の動物であり、理性的な判断が苦手である。女の言うとおりにすると情実で物事が決められるので、君主は寵愛している女に政治に口出しをさせてはならないということことわざである。女性が理性面で活躍できないような地位に差別しておいて、女性は感情的だという言い方である。ともかく「原始女性は太陽であった」のだが、歴史時代に入って女は半人前で感情の動物で、男に支配されなければならないことになってしまったのである。

 

人が神の命令に背いたので土は呪われたという。神に背く罪によって災いが起きる。天変地異が起こるのである。土も呪われて雑草ばかり生えて、小麦や野菜などが実らないのだ。道徳的な人の行いと自然現象を結びつける。『新約聖書』になると罪がはびこると悪霊が活躍し、それが原因で疫病がはやったりする。つまり神に従っていれば豊な自然の実りがあまり労せずしてもたらされるのだけれど、神に背いて罪に堕ちれば、苦労して働かなければならない。それも一生死ぬまで働きずくめに働いても貧しい暮らしから脱却できないのである。それは貧しくて苦労しているのは本人の罪のせいだといっているようにも受け取れる。逆に豊で楽をしているのは神に従っているからなのか。

 

早とちりして『バイブル』を単純な勧善懲悪や神に従えば救われるというだけの単細胞的な書物と考えてはならない。いくら神に忠実でも一生報われない者もいれば、ひどい罪を犯しても死ぬまで栄華を極める手合いもいるのである。それでも神を信じ、神に従いなさいと説くのが『バイブル』なのである。

 

ともかく労働は罪の報いとして捉えられている。終身懲役刑のようなものである。近代西洋の人間論で労働本質論があるが、それが労働を人の罪に対して課す神の与えた懲役刑だという暗い労働観と結びつくと、人間は罪を犯したために、死ぬまで懲役を科せられている囚人だということになりかねない。

 

労働を苦役と捉えることによって、その犠牲によって作り出された生産物やサービスを手に入れようとするなら、それと同等の苦役を提供してそれに報いなければならないことになる。その犠牲の量が価値なのである。等量の価値が交換される物には含まれていることになる。それが商品交換の論理である。共同体を超えて交易が広がっていくのは商品交換を通してであるから、文明の基礎をなしているともいえる。

 

もちろん労働には苦役の面だけではない。予め構想していたイデア(理念)に従って物を作り出すという、理念の自己実現という意味がある。これは自己の能力の発現なのだから、苦労を伴うとしても、とても楽しいことのはずである。それに目的意識的に対象を変革する労働は、人間の特長だといわれている。他の動物の活動は、生理的に慣習化した適応行動にとどまるのだ。それだけに労働は人間の本領発揮として、人間の第一の欲求だという捉え方もできる。だから「創世記」の苦役的労働観だけでは一面的である。

 

アダムはエデンの東に追放され、そこで土と格闘して働きづめに働いた。しかし作物はなかなか実らず、一日のパンを得ることの困難を全身で感じ取っていた。来る日も来る日も土に向かっていた。始めの何年かは苦役としか感じられなかったが、そうした土との格闘が彼自身の肉体に浸み込んで、そうしていることが当たり前になり、それを苦痛として厭う自己が希薄になっていった。むしろ彼の意識は大地自身の意識となり、種から芽を吹き、葉を出し、花と咲き、実を結ぶ麦それ自身と同化し、枯れて大地にかえると、秋風の吹く大地自身の意識に帰っていた。

 

「塵に過ぎないお前は塵に返る」というのは実はそういう意味なのかもしれない。アダムは神にその言葉を言われたとき、人は元々土なのだから、死んだら土に返ってそれでおしまいだという意味だと思っていた。そういう意味もあるにしても、人間は土との格闘によって、土を人間のものにし、花咲かせ実を実らせる。そして花咲かせ実を実らせた土を自分自身として捉え返すこともできるのである。この土との対立を乗り越えて土と一体化するための労苦が宗教的な勤行としての労働なのである。エデンの東に追放されたのは、罪の報いとしての罰であるが、人間は罪を犯し、その罰を受けることで、自己を狭い主観性から解放して、大いなる生命に目覚めることができる存在なのである。

 

長い時間がこの勤行には必要である。榊周次は一年、十年、百年という時間の長さを人間論の穴に落ち込んだアスリートにほんの数秒で体感させるという技術を開発しなければならないのだが、それはなかなか難しい。上村 陽一は土にまみれて苦しみぬいたあげく、一面の麦を実ったのを見て歓声を挙げて踊りだした。そのときさそりを踏んづけてしまい。さそりの反撃にあって地面に倒れたのである。